……昼休みが終わると、ホームルームだけで解散となった。
「午前中授業があったのはまぁ、大人の事情ってやつだねー」
顧問の藤峰佳織が、現れなかった高嶺の椅子に座りながら。
のんびりと僕に話しかける。
教室にはもう、僕たち以外は誰もいない。
担任の高尾響子が、早々に体育祭でも文化祭でも準備にいけと。
みんなをたきつけて、空っぽにしてしまったのだ。
それから、ふらりと藤峰先生が現れて。
「ここで交代ね!」
「あっちはよろしく!」
そういって、高尾先生と交代していまに至る。
アイツのカバンを机の上に置きながら、藤峰先生は僕の顔を見る。
でも先生、僕にわからないことがいっぱいあるのは、十分わかっていますよね?
「もちろん、海原君が鈍いのは知っているけどね」
先生は、容赦ないことを平気でいってから。
「でもあの由衣ちゃんが、お弁当を残して消えたんだよ! そこまで、なにに悩んでいるのか、考えてみた?」
もっと頭を使えと、僕に伝えてくる。
「『文化祭デート』を、部員のみんなに知られたくなかったんですか?」
藤峰先生が、ため息をつく。
「普段の由衣ちゃんなら、どうする?」
「嫌なことは、断固として断ります」
「それがわかるのに、本当に海原君はねぇ……」
そこまでいいかけて、僕たちは同時に気配を感じる。
み、三藤先輩ですか……。
「呼ばれそうな気がしたので、きました」
「さすがだねぇ、月子ちゃん」
なに? このふたりって、どうやって通じ合ってるんだ?
……三人が同時に、窓の外の赤とんぼを見つけた。
「まだ暑いよねー」
先生の視線は、赤とんぼより遠くを見つめていた気もするけれど。
「……ま、そっとしとこっか」
突然、先生がやさしい声でつぶやいた。
「海原くんやわたしでは役不足、だということですか?」
「ううん、月子ちゃん。それは違う。ふたりを見たから、そう思っただけ」
藤峰先生って、よくわからない。
「これは由衣ちゃんの、空回りだね」
ますます、僕にはわからないのだけれど。
ただ、なんとなく。
「いつもみたいに、戻ってきた誰かを、いつもどおり迎えればいいんですね」
それだけは、僕でも理解した。
「そうそう、海原君のいうとおり! それならおふたりとも、得意でしょ?」
そのあと、先生は。
食べ損ねたパンを、隠れて食べるからと。
先に戻っていいよと、僕たちに告げた。
「……食べ損ねたにしては、量が多かった気がするわね」
三藤先輩の表情は、それ以上はいわないという顔だけれど。
同時に先生にまかせておけば心配ないとも、僕に伝えてくれた。
……あのふたりを見たら。
今回は『失恋』じゃないとわかって、正直少しホッとした。
教室を出て、非常階段の扉を開ける。
数段上を見上げると、そこには予想どおり。
散々泣きじゃくったみたいな顔の女の子が、わたしをジッと見つめている。
「ここで、佳織先生なの?」
「最近、出番少ないでしょ?」
「なにそれ……」
由衣ちゃんが、少しだけやさしい目をしてくれた。うん、これなら大丈夫。
「『彼』だと、困るでしょ?」
「いまは、ちょっと……」
「月子ちゃんに、頼もうかとも思ったけど。あの子、わざわざ遠回りしてきたのよね。じゃぁわたしかぁ……って。たまには仕事しろっていわれちゃったみたい」
そう、三藤月子はいつもなら。
非常階段経由で、すぐに飛んでくるはずだ。
でもきょうはわざわざ、遠回りをして普通の階段を通ってきた。
由衣ちゃんの、居場所とかはわかるくせに……。
「鈍いふたりじゃ、わたしの心なんてわかんないよ……」
そうそう、ちょっとあのふたりじゃぁ……。まだ無理かもねぇ。
「……お昼途中だって聞いたから。わけてあげる」
この子たちに、なにかありそうだと思うと。
ふとパンを、余分に買ってしまう。
ただ、わたしはまだ『完璧』じゃなくて……。
「佳織、きょうは余分に買ったほうがいいみたいだよ!」
響子の『お告げ』が、役に立つんだよね……。
「……おいしい?」
「うん……。ありがと、先生」
「そりゃぁ今朝買ったヤツだから。パンは買った当日が最高なのよ!」
「なに、それ〜」
「大切なことよ。きっと大人になったらわかるわ」
「もう、どんな大人なのかわかんないよ……」
……それからしばらくは、ふたりで他愛のない話しをした。
「わたし、みんなのところに戻ります」
「そうね」
「でも、なにがあったとかいわなくても、いいですか?」
「そうねぇ、もう聞かれたりもしないかもね」
「そっか……。あ、でもその前に。ちょっと『寄り道』してもいいですか?」
「どうぞ、ご自由に。みんなきっと、わたしに付き合わされて遅いだろう、くらいにしか思ってないわよ」
……先生と一緒に、教室に戻ると。
わたしのカバンは、すでになかった。
それだけではない。
机の中も、きれいに片付いている。
ゲッ、じゃぁロッカーの中見られた?
あ、月子先輩ごめんね。あの人は、無許可でそんなことはしないか。
じゃぁきっとアイツは……。
カバンと、机の中身も全部持たされて、放送室まで運ばされたんだ。
……なにそれ、結構笑える。
「そうそう。高嶺は笑っていれば、それなりにかわいい」
……ふと、アイツがよくいっていたわたしの『評判』を思い出した。
そういえば、セリフ自体は思い出すけれど。
アイツは、最近ちっとも口にはしない。
よし、今度いわせないと!
だってなんか、つまんないもん。
「ちょっとごめんね、本当はまだ早いけど。いまは役立つと思うから」
先生が、そういって。
不思議な大人の粉で、わたしの涙の跡をほとんど消してくれた。
「地肌がキレイなうちは、あんまり使っちゃダメよ」
そうやって、何度もいうもんだから。
「なにそれ。なんかお姉ちゃんみたい」
思わず、わたしはそんな感想を口にした。
佳織先生は、よっぽどうれしかったのか。
「お姉ちゃんっていわれても、おかしくない年齢ですからねぇ〜」
そういって、とびきりの笑顔で喜んでいた。
……よし。
わたしに笑顔が、戻ってきた。
体育祭実行員会の部屋に、向かう途中で。
六組の男子と、ばったり出会う。
「文化祭の日はね、やることがいっぱいあるんだ」
よし、出だしは順調だ。
「だから、一緒には回れません。ごめんなさい」
「そ、そうなんだ……」
「うん。最初に伝えられなくて、ごめんなさい。あ、あと……」
……いまの気持ちを、言葉で伝えればいいんだ。
「放送部のみんなって、特別な関係だからさ」
そう。
「アイツが彼氏かどうかなんて、いまは考えなくていいくらい、大切なんだ」
これでいい。
「お、俺には。よくわからないけれど……」
「それでいいよ、ごめんね。あと、ありがとう」
……六組の男子に、告げたあと。
わたしはひとりで、誰もいない廊下を歩きながら。
その子には伝えなかった、セリフを唱えた。
「……好きな人がいるとわからせてくれて、ありがとう」
もう、恋するだけでは、終われない。
おかげでわかった。
だからありがとう。
わたしが、放送室の前に到着すると。
扉が、ちょうど開いた。
「由衣!」
美也先輩が、わたしを見て。
「おかえりー!」
陽子先輩が、大げさにわたしをハグしてくれた。
部室に戻ると、月子先輩、玲香ちゃん、姫妃先輩の三人が立ち上がったまま。
向かいに座って小さくなっている、海原昴に。
かわるがわる、なにかいっている。
佳織先生と響子先生は、部屋の端っこで好奇の目をキラキラさせながら。
おいしそうに、今度はチョコツイストロールをつまんでいる。
「あ……」
もう、佳織先生。口に入れたまま喋ろうとしないで!
「由衣ちゃん……」
響子先生が、わたしに口だけ動かして、聞いてきた。
「ど・こ・に・い・く・の?」
そんなの、あたりまえじゃないですか!
わたしが目指すのは、『あの席』だけど。
その前にあの三人と、合流する!
「ちょっと! どういう状況か、説明しなさいよアンタ!」
……ひるんだアイツと、ほかの三人の目が。
わたしに、伝えている。
そう、それで、いいんだと。
……大人になって、わたしにもし娘ができたなら。
いつかその子に、伝えよう。
女の子には、たまに勇気をくれたりもする。
……不思議な大人の粉が、あるんだよって。


