「……さっき『おでこを出した髪型で演技するのは』っていったよね?」
「は、はい……」
「だから、ありがとうっていったんだよ?」
……まったく。
要領を得ない、その顔!
やっぱり空気読まない、その顔!
わたしは、海原君を眺めながら。
ふと、まだ一ヶ月も経っていない『あのとき』。
みんなに『あいまい』にされた、わたしが告白したときを。
……つい思い出した。
「一目惚れというか……あなたに、恋に落ちました」
ね・え! ちゃんと、聞こえてたよね?
「だ・か・ら! 君に、恋してしまったの!」
わ・た・し。はっきりいったよね!
いま思えば、あのとき。
な〜んか、いろんな人たちが。
海原君がなにか口にするのを、邪魔した気がするんだよねぇ……。
筆頭は、都木美也。あの人だけれど。
絶対、海原君を好きな子はもっといる。
まぁ、いまはそれはいい。
わたしの中では、『一時休戦』なんだから。
「……でさぁ、海原君はさっきからいったい。なに考えてるの?」
わたしは、目の前で固まっている彼にもう一度聞く。
「い、いや……。隣に座れといわれて……」
「それがどうかした?」
「だって、隣ですよ!」
「それがなに? 嫌なの?」
「嫌とか、そういうのとは違って……」
……ん?
もしかして、海原君。
「照れてるの?」
……このとき、もしわたしがそんなことを聞いて。
少しでも、彼が顔を赤らめたりしてくれていたら。
海原君とわたしの未来は、その瞬間から違っていたのかもしれない。
ただ、どうやら彼はわたしが『色仕掛け』を企てたとしても。
わたしだけに夢中になれることは『まだ』ない。
なんだか、そんな予感がした。
そうそう。わたしの中では、『一時休戦』なんだから……。
「いいから座る! 怪我人のいうことくらい聞いてよね!」
わたしは、半ば強引に彼を座らせる。
ただ無理に、隣ではなくて。
仕方ないから、すぐ近くのパイプ椅子にしてあげた。
「……でね、話しを戻すよ」
どうやら、波野先輩の目の前に座ることになったようだ。
……よ、よかった。
というか、まだ先輩との距離感がうまくつかめない。
「さっき海原君は『おでこを出す髪型で演技するのは……』っていったよね?」
ダメだ、距離感どころか、思考回路もまだよくわからない。
「もしかして。ま、まだ根に持っているとか……」
「違うよ、ほんとうに鈍感なんだからぁ……」
あ、その顔はもう我慢できない。
コイツは絶望的に気づけないんだな、みたいな感じでしょうか?
また、やっちゃったかぁ……。
ところが、波野先輩の目がキラキラしている。
え、なんで?
「ど、どうしたんですか?」
「あのね、それって。わたしが舞台に立つの前提だよね?」
「……へ?」
「顔に怪我したからもう無理、とかじゃなくて……」
先輩が一度、そこで声が詰まって。
そうか、そうなのか。
そこでようやく、僕は気がついた。
波野先輩の顔には、たくさんの涙の跡が残っていて。
……鈍感な、僕だからこそ。
先輩は、うれしかったんだ。
「おでこぐらい、もし傷跡が残っても。またステージに立てるんだって……」
その涙声は、演技ではない。
「そんな『当たり前』のこと、自分じゃ見つけられなかったよ……」
病院着でも、包帯姿でも、仮に傷跡が残ったとしても。
波野姫妃は、どんなときだって。
スポットライトを浴びて、舞台に立てる。
僕はどうやら、先輩の背中を。
そっと押すことが、できたようだ。
……ちなみに。
ずっと未来に、とある女優がインタビュー記事で語っていたのだけれど。
「高校時代に、怪我をしたんですけれど……」
顔というか、額にも怪我をして絶望しかけたけたそのとき。
「同時に、最高の出会いがあったんです!」
そう嬉々として語って。
おまけに、あの頃があったからこそ。
「演技の幅と、笑顔の深みが増えました」
盛大なリップサービスまで、してくれた。
あのときを共有した誰かは、その記事をみて。
「転んでも、ただでは起きない」
みたいなことをつぶやいて。
その隣にいるもうひとりも、よく知っているからこそ……。
大きくうなずいて、それから笑っていた。
……それから迎えた、土曜日の午後。
部長の病室に、三藤先輩と見舞いにいった際に。
文化祭舞台を中止したいと、告げられた。
「ふたりで、じっくり話し合った結論だから、心配無用!」
怪我の具合からして、現実的な答えではあるけれど。
「……本当に、よかったんですか?」
僕は波野先輩に会ったときについ、そう聞いてしまった。
「い・い・の。それで決まり!」
通院は続くが、この日は先輩の『退院記念日』で。
それもあるのか、先輩が明るく答えている。
「妙なところだけは、ものわかりがいいのよね……」
「月子は、いつもひとこと多いよねぇ〜。ね、海原君?」
「あなた、ついでに病院で性格も治してもらえばよかったわね」
三藤先輩が、いつもの調子で色々いうのは。いつもならいいんですけど……。
「み、三藤先輩。お母様の前ですよ」
小さな声で、お知らせしたものの……。
忘れていた! みたいな顔で三藤先輩が慌てて振り返る。
その瞬間、波野先輩が得意げに鼻の穴を広げたのに気づいたのは。
病院中で、きっと僕だけだろう。
「いいのよ。娘に親友ができてたなんて、うれしいわぁ〜」
「えっと、ママ……。まだそこまでじゃなくて……」
ご機嫌な母の前で、波野先輩が珍しく謙虚、というか慌てたようすになると。
「あら、違ったのかしら?」
「えっ?」
「へ?」
思わず、波野先輩と僕が変な声になる。
み、三藤先輩。いまなんて……。
感動した波野先輩が、なにかいいかけると今度は。
「確かに、親友宣言はした覚えがなかったわね……」
そういうと、三藤先輩はひとりスタスタと歩き出す。
「ちょ、ちょっと! 月子ひどいっ!」
「別に、事実を述べただけよ」
ふたりが、一応病院内なので控えた声でやり取りをしながら。
笑顔でバタバタと、エントランスを出ていく。
いつもと少し違う、三藤先輩のテンションはきっと。
ようやく少しだけ、安心したのだろう。
「あらあら。あのようすならもう、来週の骨の検査はいらなさそうね?」
僕の隣で、波野先輩のお母さんが目を細めていて、続いて。
「まったく。あなたも大変ねぇ、海原君?」
楽しそうな笑顔になった。
……と、思ったら。
「あの、海原君」
「は、はい……」
なんですか、その真顔は?
「……娘を救ってくれて、ありがとうございました」
「い、いえ。そんな大袈裟な……」
怪我の責任の一端は、委員長として予見できなかった僕にもある。
そんなことを、僕は伝えてから。
「波野先輩の傷がどうなるかを、忘れたわけではありません」
消えることのない僕の本心も、真面目な声で口にした。
「そうね……」
しまった! ご家族相手に、また余分なことを口にした。
微妙な沈黙に思わず、ゴクリと唾を飲んだのだけれど。
「……それなら、解決法は簡単よ」
な、なんだかこの展開は。
とても危険な予感がする……。
「海原君が責任を取って下されば、構わないわよ」
「えっ……」
思わず、波野先輩のお母さんの目をじっくり見てしまう。
な、なんですかそのやさしすぎる眼差しは?
「ふつつかな娘ではありますが。このまま末長くお付き合いできます……」
うわぁ……。
いきなり予想しない最終回がやってきたんですか、これ!
「……かどうか。文化祭を楽しみにしているわ」
「へ? へっ?」
波野母の、その鋭い眼差しはなに……?
「聞きおよぶところ、放送部に随分とお妃候補が多いと聞いておりまして」
「え、えっ……」
「この目で、しかと拝見させていただきますね」
う、ウソ……ですよね?
母まで乱入とか、ないですよね?
……ちょうど駐車場の入り口まで歩いてきたのを確認した、先輩のお母さんが。
いきなり楽しそうに、笑い出す。
「ご、ごめんなさい。あまりに海原君が真面目だったので、つい冗談を……」
「あ、冗談だったんですね……。は、迫真の演技だったのでつい……」
「つい?」
「な、なんでもありません!」
「ちょっとママ、なに楽しそうにしてるの?」
た、助かった……と思ったのに。
「いえいえ。ちょっと、将来の相談をしていただけよ」
「え、なにそれ? どういうこと!」
「それは、彼から直接聞いてちょうだい。えっと、車の鍵は……」
続けて、右の背中が引っ張られる感覚がして振り向くと。
「……わたしも、聞いたほうがいいお話しかしら?」
み、三藤先輩ですよね。やっぱり……。
波野先輩が、わざとあいだに入りながら。
「これは『波野家』の問題ですので、月子は関係ないですー」
ギプスをしていないほうの手を、腰に当て。
勝ち誇ったような顔をする、波野先輩に。
三藤先輩は、小さく首を左右に振って、それから。
「確かに。『海原家』とは違う世界の話しね。それならお好きにどうぞ」
余裕たっぷりに、いい返す。
「ちょ、ちょっと月子! いまのはセリフのいい間違い!」
「セリフということは、やっぱり演技だったのね?」
「演技とかいわないで! 月子ってい・じ・わ・る〜」
ズカズカと駐車場を進む三藤先輩を、波野先輩が追いかけていく。
そんなふたりの、うしろ姿を眺めながら。
先輩のお母さんは、もう一度声を出して笑ってから。
「……ありがとう。おふたりがいれば、娘は安心して学校に戻れるわ」
そんなことを、つぶやいた。
……きっとそれは、何気ないひとことなのだろうけれど。
僕にはかえって少し、重たかった。
退院したとはいえ頭に包帯、腕にギプス。
そしてもう一名は、いまだ入院中。
波野先輩と部長の最後のステージを、奪ってしまった。
……その事実は変わらないのだ。
「……海原君、心配しすぎなくて結構よ」
「はい?」
「うちの娘は、あなたが悩むほど弱くはないわ。それに……」
先輩のお母さんが再び僕の目を、じっと見つめてくる。
「いざというときは、よろしくね!」
二度目の「お願い」が、どこまで本気で冗談だったのか。
その頃の僕には、理解できなかった。
ただ、自分の視野がまだまだ狭いことだけは。
今回の件で、痛感した。
結局そのあとは、波野家の車に乗って。
三藤先輩と僕は、いつもの『乗換駅』まで送ってもらった。
……ということは当然。
「乗る電車が違ったから、いままでちっとも知らなかったね!」
「え、ええ……」
「じゃ明日から、同じ電車で通おうね!」
そう一方的に、宣言されてしまった……。
おまけに、一学期に『坂の上』高校の放送部を訪問した帰り。
そこで立ち寄った書店が、まさか波野先輩の家だったなんて……。
「どうりで。品揃えがいいのに、毎回妖気を感じていたのよね……」
三藤先輩のそれは、まぁ冗談だろうけれど……。
「新刊注文してくれたら、学校に持っていくからね!」
「いいえ、それはダメよ」
「どうして、ママ?」
「そこはいつでもお立ち寄りください、でしょ。……ねぇ三藤さん、海原君?」
これからは、いくら本の種類が多くても……。
『その店』に立ち寄るべきか否かは。
……極めて慎重に、判断すべき問題となってしまった。


