「……陽子はやっぱり。放送部、やめたいんだよね?」
……波野先輩が、そう質問したとき。
僕は春香先輩が。
天井を見上げながら、口にしかけた返事を。
ごくりと、飲み込んだ気がした。
都木先輩の引退のためだと、思っていた違和感の正体は。
おそらく、『このこと』だったのだろう。
僕以外のメンバーにも、感じることがあるようで。
変なことなどいうな、とか。
そんなわけないよね、とか。
波野先輩をたしなめるような言葉を。
……誰も口に、しなかった。
「……いいかたを、変えてあげる」
……わたしは、陽子に向き合うと。
真実を認めなさいと、言葉の刃を突きつける。
「今度は美也ちゃんと同じタイミングで、『機器部』を引退したいんだよね?」
……陽子は『昔のまま』の、機器部が好き。
美也ちゃんと、月子がいて。
あとはギリギリ受け入れられるラインが、海原《うなはら》君までで。
由衣から、あとの。
玲香や、わたしは。
あなたの中では、お呼びじゃないんだよ。
「ウ、ウソですよね……」
……お願いだから由衣、いまは泣かないで。
傷つけた分は、あとでわたしがなぐさめてあげるから。
涙はまだ、我慢して。
「姫妃、いきなりなに? どうしてそんなこというの?」
「じゃぁ陽子、一緒に演劇部やってくれる?」
「えっ……」
陽子の、固いその表情が。
すべての答えを、物語る。
「やりたいとは、思わないでしょ?」
「ごめんだけど……思わない」
「じゃぁ、『放送部』は? やりたいの?」
「え? えっと……」
わたしは、別にあなたを苦しめたいわけじゃない。
素直な気持ちになりなよと、この役を引き受けただけ。
「じゃ、質問を変えてあげる。『機器部』だったら続けてる?」
……陽子も、認めようと思ったのだろう。
いや、きっとわたしの気持ちを。
理解して、くれたのだろう。
少し青白かったその顔が、穏やかになって。
それから、彼女は。
「やってると……思う……」
……その本心を。静かに、口にした。
「……なんだかわたし、酷い女だね」
……違うよ。
陽子は、素直なだけ。
酷くなんてない。
「でもね、あとから入ったわたしたちだって……」
誰ひとりとして、ちっとも悪くない。
こうなってしまったのは。
誰の、責任でもないんだよ。
あなたの幼馴染と、親友がいただけの空間は。
いまは、みんなの場所に変わったの。
わたしたちはもう、放送部に入ってしまった。
そして、馴染んでしまった。
それにね、この場所が。
……好きで好きで、たまらないの。
「だけど陽子は『放送部』が、好きになれないんだよね?」
きっと『機器部』として、のんびりと。
本当に気心の知れた仲間とだけで、ゆっくり過ごしたいんじゃない?
いや。
わたしだから。もっと、はっきりいってあげる。
「きっと、陽子はね……わたしたちが邪魔なんだよ」
「そ、そんな……」
わたしは、陽子の心を揺さぶり続ける。
そうしないと、この子はまた。
自分の殻の中に、閉じこもってしまうから。
それにここで、あなたにやさしくしたら。
いま心を痛めている、ほかのみんなを。
わたしはただ、傷つけただけで終わってしまう。
「ねぇ、陽子。あなた、変われるの?」
「わたし。変わっていくのが、怖い……」
……そう、それでいいんだよ、陽子。
「美也ちゃんがいなくなるのが、悲しい」
そうだね。
「月子が、ほかのみんなとどんどん仲よくなっていくのが……。うらやましい」
そうだよね。
「あとね……」
うん、もっと教えて。
わたし、ちゃんと聞くから平気だよ。
「みんなは、これからも同じ列車で帰れるのに……」
そう、陽子以外のわたしたちはみんな。
部室や学校を出たら、解散じゃなくて。
「この先ひとりだけ、逆方向の電車に乗るなんて。寂しくて嫌なの!」
そのあともまだまだ、一緒だもんね……。
楽しいからこそ。
一緒にいたいから、こそ。
どこまでも、いつまでも離れたくない。
それは、わかるよ。
でも、まだあなたは言葉にしきれていないはず。
「……でもそんなの、わたしのわがままだし」
そこまでいうと、陽子は。
一度、息をゆっくり吸ってから。
「みんなが変わるスピードに、わたしはついていけていなくてね」
落ち着いた声で、そう教えてくれてから。
「でも、でも本当は……」
少し、震えた声で。
「わたしだってみんなみたいに、変わりたいの!」
心の中から。
その気持ちを、絞り出してくれた。
……もう。
姫妃のせいだよ……。
いままで、ずっとわたしの中に溜め込んできたものが。
どんどん胸の奥から、湧いてくる。
子供の頃からたびたび訪れる、美也ちゃんとの別れ。
こんなの毎回、嫌なの!
追いかけても、追いかけてもね。
いつも先にいかれるのは、嫌なの!
月子が、大好き。
でも、あの子がほかのみんなと仲よくなると。
わたしとの時間が減るから、嫌なの!
好きな人ができた、恋に落ちた。
でも、その人は。わたしを同じようにはみてくれない。
それだけじゃない。
わたしよりずっと魅力的な子たちが、次々に現れて。
どんどんわたしから、その人を遠ざけていく。
この部活にいると、みじめな自分が増えていく。
それが、耐えられないくらい嫌なの!
好きな人に、想いを伝えられない自分が嫌い。
みんなといたいのに、離れようとする自分が。
……情けなくて、嫌い。
そして、なにより。
なにも決められない自分が……大嫌い!
「……ねぇ?」
姫妃、お願い。
ここまでいったんだから、教えてよ。
「わたしは……どうしたらいいの?」
あなたなら、わかるでしょ?
「……そんなの、知らないよ」
ウソっ……。
「最初にいったでしょ? わたし、性格悪いから」
姫妃……。
ひどいよ、それはないよと。
わたしは、彼女を責めかけた。
……でも、そのとき。
「答えてはあげない。でも……」
そこまでいって、ギプスと包帯姿の『演劇姫』は。
まるでなにかの、妖精のように。
舞台の上を、ヒラリと一回転して。
「あーこいつ、ダメだなーって思いながらね」
微妙に、失礼なことをずけずけと口にしたあとで。
「ちゃんと。そばにいてあ・げ・る!」
最高に、かわいい笑顔を添えて。
……わたしを、見てくれた。
背中に、片腕だけが伸びてくる。
とっても細いけれど、それは力強くて。
それから。ちょっと軟膏のにおいと、少し大人の香りが混じった髪の毛が。
わたしの目の前に、あらわれた。
……そうか、姫妃って。
舞台ではとっても、大きく見えるけれど。
実は『放送部』で一番、ちっちゃいもんね。
「ちょっと陽子!」
「え、なに?」
「いま絶対。ちっちゃいとか、思ったよ・ね?」
「えっ? なんでわかったの?」
「当たり前でしょ、『親友』だよ!」
そういって、姫妃はわたしの頬にわざわざ頭をこすりつけてきてから。
「だ・か・ら! 陽子と違って、輝けるようにいつもがんばってるの!」
また微妙に、失礼なことをいってくる。
「あのね!」
……そうか、わたし。
もうこの子に。
遠慮したり、しなくていいんだ。
「姫妃、わたしだって。ちゃんとがんばってるんだよ!」
「知ってるか・ら!」
わたしの出した大きめの声に、倍以上のボリュームで姫妃は返事をすると。
今度は、とってもやさしい声色で。
「じゃぁ一回、休んでいいから。それからまた一緒に、前向いていかない?」
おまけにキラキラした目で、わたしを見つめてくれた。
「……ほんとに? 見捨てたりしない?」
「見捨てられたら、見捨てる。じゃないなら、ぜっ・た・い・見捨てない!」
「……わかった。じゃぁさ」
満足したわたしは、両手で。
彼女のギプスに、注意しながら。
目の前の『悪友』を、力一杯抱きしめた。
すると真横から。
「わたしも混ざるー!」
大好きな美也ちゃんの声が、聞こえてきて……。
……うわっ。
い、いつものやつだ……。
もはや『放送部』名物・容赦ない抱擁が。
きょうもまた。
い、いっぱいきた……。
「ちょ、ちょっと! 『わたしの』姫妃が、つぶれちゃう!」
「それなら、陽子も潰しちゃえ〜!」
「玲香! く、苦しいぃ〜!」
「こ、これは由衣……じゃないの?」
「わたしじゃなくて……佳織先生と、響子先生がっ……グエッ!」
「……まったく。毎回暑苦しいのよね」
そういって、輪の中に加わらない三藤先輩に。
「な、中に入らないんですか?」
思わず僕は、質問してしまった。
「苦しむのは、嫌だわ」
あまりにもごもっともで、先輩らしいその本音に続いて。
「……陽子には、別の『親友』も必要よね」
先輩は、そういって小さくうなずいてから。
「でもきょうは、美也ちゃんの引退の日のはずよね?」
逆に僕に、どうするつもりなのかと聞いてきた。
「そ、そういえば……」
戸惑う僕に、三藤先輩は。
「急いで『区切りを』、つけなくてもいいわよ」
なんだか少し、含みのあるいいかたな上。
「『美也ちゃんの』ことは、きょうじゃなくてもいいわよ」
同じようなことを、重ねて告げてくる。
「あの……それって……」
「……なにかしら、海原くん?」
どうやら、三藤先輩は。
僕に『答える』つもりはないらしく。
「それにしても。『また』陽子が、全部持っていってしまったわね」
そういって、目の前の光景に話しを戻してしまったので。
「なんだか、よくわかりませんけど」
僕は、その隣で。
「みんなも、春香先輩も。スッキリしたみたいでよかったです」
先輩の話しに、合わせようとしたのだけれど……。
「……それはどうだか、わからないわよ」
やはり三藤月子、この人は。
……一筋縄では、いかない存在だ。
「友情では解決できないことって、世の中に存在するわよね?」
藤色の瞳が、ジッと見つめてくる。
こ、これは……。
答えを間違えると、こっぴどく叱られるやつだ。
し、真剣に考えないと。
えっと……。
あ!
そもそもきょうは。文化祭だったから……。
「金銭貸借、ですね!」
「……は?」
「だって、将来友達でもお金は貸すなって」
「う、海原くん。な、なんの話しをしているの?」
「ほら、並木道の出店を視察にいったときに……」
きっと山川たちの作った、紫色のたこ焼きのことだ。
「百五十円を、アイツが『親友価格』で百円にしましたよね?」
「……」
「それから値切って、五十円で買ったのに先輩が」
……友達だからって。大人になっても、お金貸したりしたら絶対ダメよ。
「先輩の助言、心に刻んでいますよっ!……って。えっ? ど、どこへ!」
どうやら三藤先輩は、僕を見捨てたらしく。
「海原くんの、バカっ」
そうつぶやくと、渋々といった表情をしながら。
……いつもの『女子の輪の中』に、飛び込んでいった。
「……海原くーーーん!」
……しばらくして。
みんなのようすを、遠目で眺めていた僕を。
都木先輩が満面の笑みで、呼んでくれる。
えっ……。
も、もしかして?
つ、ついに僕も!
ようやく、『あの輪』の中にっ!
「おねがーいっ!」
「早くしなよー!」
「ほら、急いで!」
「海原君!」
「部長!」
「は・や・く!」
みんなが、次々に僕を呼んできて。
僕が、ちょっと感動して。
前に進もうとした、そのとき。
つい先ほどとは、打って変わって。
唯一、同情するような表情の。
三藤先輩と、目が合った。
……都木美也先輩の、引退する『はず』だったこの日。
八人の美女たちの、とびきりの笑顔が記録された写真の数々は。
僕が、ひとりで『すべて』。
誰かのスマホで、撮影したものばかりだ。
「あぁ……カ、カメラマンですよね……」
そりゃぁ、そうだ。
僕が、みんなの輪に混じれる日なんて。
きっと永遠に……。
……ただ。
ずっと未来に、その写真を見たら。
誰もが、あの日も。
最高に、楽しかったというだろう。
そ、その際は。
できれば……。
ひとりだけ、どこにも写っていない『僕』のことにも……。
つ、ついでに。
いや。
ぜひ……!
……『気づいて』、もらいたい。
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