「……えっ? なになに?」
「いいからいいから。姫妃、こっちにおいで!」
……美也ちゃんが、ニコニコしながら手を伸ばしてくれて。
わたしを舞台にあがらせる、その直前。
「わたし。海原君の、こういうところが大好き……」
美也ちゃんは、ためらうことなく。
ただ、誰に聞かせるでもなく。
ごくごく自然に、つぶやいた。
思わずその場に、立ちどまってしまったわたしに気がつくと。
「えっ姫妃、どうしたの……? もしかして、腕とか痛かった?」
すぐに心配してくれる、あなたはやさしい先輩だ。
それに。つい口から出た本音に、自分で気づいていないのは。
美也ちゃんの場合は、わざとじゃない。
「ううん、平気だよ」
「あぁ、よかった!」
でもね、その笑顔を見て痛んだのはね。
わたしの、骨や傷口ではなくて。
わたしの心の中、なんだよね……。
……海原君が、台本なしで。
わたしをみんなに、勝手に紹介している。
あぁ、こうなることを。もし、先に知っていたら。
前髪くらい、整えておいたのに……。
「波野先輩、ひとことでいいので。あいさつをどうぞ!」
海原君、さっきは自分がそういわれて戸惑っていたくせに。
今度はわたしに、無茶振りするなんてひ・ど・い・っ!
「えっと、あの……」
ステージの上で、なにを話そうか。
一瞬動きをとめた、わたしに向かって。
海原君は、予告なく。
「……舞台、立てましたね」
……そういって、うれしそうな顔をした。
「あ、あの……」
わたしが、意図せず。
一気に恋してしまった、その彼は。
「怪我しちゃって、劇ができなかったんですけど……」
こうして意表をつくから、『嫌い』なの。
「文化祭。みなさんが、楽しめたならよかったです……」
だけど、いや。
だから、その彼のことが『好き』だと。
「それに、わたしも。最後にこうして、ステージに立てました」
……気づいただけでは、終われない。
わたしの目から、涙があふれ出しそうで。
でも泣くのは、あと少し我慢しないと。
次のセリフが、すぐには出なくて。
静まり返った、会場でこのとき。
「あの……」
……ひとりの女子が、手を挙げた。
「……どうかしましたか?」
……海原君が、その子に問いかけると。
「その怪我は……。わたしを立て看板から、かばってくれたからなんです」
えっ……。
あのときの子なの?
「……ほかにも、なにかあるのかな?」
いつのまにか、その子のところに移動していた美也ちゃんが。
その隣の女子たちにも、聞いている。
「わ、わたしの親友を。目の前で守ってくれました……」
「だから怪我させてしまって、ごめんなさい!」
「そっかぁ……どう思う、姫妃?」
美也ちゃんが、その子たちの背中をやさしく撫でながらわたしに聞いたので。
「そんな、こちらこそ! ありがとうございました!」
わたしは思わず、お礼を述べた。
すると、会場から静かな拍手があがって。
やがてそれが、大きなものへと変わっていく。
……ど、どうしよう。
涙、なのかな?
なんだか前が、見えにくくなってくる。
「……演劇部長に、あとで報告しましょうね」
「えっ?」
海原君の、声がする。
そうか、隣に立ってくれていたんだ。
「うん、海原君。ありがとう」
「それにしても、よかったですね」
「えっ?」
「なんか、懐が広い感じがして。いやぁ、怪我した甲斐ありましたよねぇ」
「……ちょ、ちょっと!」
彼のいつもの感じに、安心して。
つい、わたしは。
どこにいるのか、忘れてしまった。
「なにそ・れ! 怪我してうれしい子なんて、い・な・い・よっ!」
「えっ? でもさっきありがとうっていいませんでした?」
「あのときの美也ちゃんの顔、見てた? 『どう思う?』なんていってたけど」
……あんなかわいい顔で、こっち見てきて。
というか、あれってほとんど。
海原君に、聞いてんじゃないの?
なんだか、そんなふうに考えたらわたし。
主役、奪われそうだって焦ったんだけど!
「別に自分で怪我したから、あの子たちを責めるつもりなんてないけどね!」
わたしは、彼に向かって。
「でもわたし、女優志望だよ! イメージ商売してんだからさぁ」
遠慮なく。
「その分の気づかいは、海原君がし・て・よ・ね!」
ズバリと、いってみた。
……ふと気づくと。
もう一度、会場が静まりかえっている。
……えっ。
……な、なにこの沈黙?
「あ……す、すいませんでした……」
ええっ!
海原君が、マイクを近づけていたせいで。
スピーカーから音声となって、みんなに聞こえてたの?
で、でもいったい。
ど、どこから聞こえてたの?
「……えっとね。姫妃のダークサイド……全部かな?」
美也ちゃんが、ボソリというもんだから。
わたしは、思わず。
「う、うそぉーー!」
大声で、叫んでしまった……。
……どうやら、波野先輩のような人のことを。
三藤先輩いわく、『表裏のある性格』というらしい。
とにかく、先ほどの『寸劇』に。
会場は爆笑の渦に包まれた。
恋愛劇じゃなくても、アドリブでも。
どうやら、波野先輩は。
ステージの上でしっかり、輝けるようだ。
「よぉ〜し! 校歌斉唱だぁー!」
長岡先輩が、再度絶叫すると。
「音頭は、俺が取る!」
波野ファンの、剣道部長が乱入してきて。
「負けるか! 俺にやらせろっ!」
高嶺推しの、柔道部元部長の田京先輩と部員たちが押しかけてきた。
「い・やー・っ!」
そう叫ぶ波野先輩には、悪かったけれど。
都木先輩と僕は、早々にステージを降りると。
「……またあとでね」
「……はい、またあとで」
短く言葉をかわして、その場をあとにした。
『演劇姫』が、どうだったのかはともかく。
彼女を囲んだ三年男子たちは、大変幸せそうで。
大勢の観客たちと共に、スーパーハイテンションのまま。
この年の学園祭は、幕を閉じた。
……放送室に、僕たち五人と。
ふたりの先生が揃う。
「海原君なんて、大っ嫌い!」
ステージから戻った波野先輩が、半分涙目のままキッと僕をにらむ。
「……それで構わないわよ。それに、よかったじゃない」
「月子! 海原君の味方しないでよ!」
「あら。ステージと客席がひとつになるって、理想じゃなかったのかしら?」
「そ、それはそうだけど……」
「じゃ〜、よかったね、姫妃!」
「そうですよ。あのままアイツが突っ立ってたら、どうなるかと思いましたし」
玲香ちゃんと高嶺も、波野先輩の抗議をサラリと流して。
「よし、じゃぁお祝いにパンをよろしく!」
「そうだね海原君! まだ売れ残ってそうだからよろしくっ!」
……な、なんで。
先生たちは、そうやっていつも。
何事もパンにこじつけるのかは、わからないけれど。
意外と、このときの僕は。
そんな戯言にも惑わされず、冷静だった。
「……部室の整理整頓は、どうですか?」
「海原くん、ご心配なく」
三藤先輩も、ちゃんとわかってくれている。
「いや、そんなのわかってるし!」
はいはい、高嶺。
お前がわかっているなら、みんなも大丈夫だ。
「……それでは、いきましょうか」
僕の言葉に、七人が無言でうなずくと。
揃って放送室を、あとにする。
廊下、階段、渡り廊下を静かに過ぎて。
それぞれの、様々な想いを胸に僕たちは。
講堂の機器室を目指して、まっすぐ進む。
すべては、都木美也先輩の。
……引退のときを、迎えるために。


