大勢の生徒たちが、校庭に集まっている。

 午後三時。
 大時計の針が、ゆっくりとそのときへと進んでいく。

 三藤(みふじ)先輩と、高嶺(たかね)が離れてまっすぐ向かい合う。
 なにを思うのか、藤峰(ふじみね)先生が潤んだ目でその姿を見守る。
 いよいよ、『決戦』がはじまる。


 ……はずだった。


海原(うなはら)君、ちょっとタイム!」
「えっ? 先生?」
「目に、砂が入った……」
 あぁ、ややこしい……。
 そうだよな、この先生が。
 潤んだ目で、僕を見つめてくるわけがない。

「三時、過ぎちゃいますけど……」
「でも、目が痛いの! コンタクトなんだよ!」
 ……いや、大人なんだから我慢してよ。
 本当はそういいたいけれど、グッとこらえよう。
 ここは、仏の心で。
 そっと役割を交代してもらえるように、提案しよう。
「無理しないでください。高尾(たかお)先生に、代わってもらいましょうか?」

 ……しかし、僕は。
 我が顧問が、俗物の塊だということを忘れていた。
「ちょっと! そんなのダメっ!」
 藤峰先生が、主役を奪われる恐怖からか目玉を『クワッ!』とさせて。
「ギャ〜っ!」
 無駄に叫ぶもんだから、本当にグラウンドの主役になる。
「う、海原君さぁ……」
 ま、まずい……。
 怒らせてはいけない人を、覚醒させたのか?

「……コンタクト、探して」
「へ?」
「落ちたのよ! この広い砂漠のどこかにっ!」
 あの……。
 作品設定上、日本の地方都市の私立高校ですし。
 ここ、ただの校庭ですけど……?

「砂なんだから、砂漠でしょ!」
「いえ。我が国で砂漠と呼ばれる場所は、全国で唯一東京都の伊豆大島に……」
「わたし、英語教師だし! 大体それ、受験に出るの?」
 先生が、僕の話しなんてちっとも聞いてくれないどころか。
 なんちゃって進学校的には、なかなか大胆な言葉を叫んでいる。


 続いて、都木(とき)先輩が。
「……海原君、大変!」
美也(みや)、こないでっ!」

 ……まぁ、どっちもよくとおる声ですので。
 非常によく、周囲に音が反響して。
 校庭の真ん中で、思わずふたりが固まる。

 するとどうも最近、涙もろい先輩が。
 なんだかんだと慕っている、藤峰先生に拒否されたと思ったのか。
「こ、こないでなんて……」
 あぁ……。無駄に、悲しんでしまった……。

「ねぇ、コンタクトと生徒、どっちが大切だと思うわけ?」
 藤峰先生が、まるで早く見つけない僕が悪いみたいな雰囲気でいうけれど。
 それ、むしろ僕が聞きたいですし。
 おまけに普通そこって、生徒じゃないんですか?

 仕方がないので、都木先輩に口パクで事実を告げる。
「それなら、早く見つけてよ! ひどいっ!」
 えっ、文句いわれるの……僕なんですか?


(すばる)君!」
「昴!」
 突然、叫び声が耳に突き刺さる。
 そういえば放送部用のインカム、つけていたの忘れていた。
玲香(れいか)ちゃんと春香(はるか)先輩、どうかしました?」
「なにしてんの!」
「スケジュール押しちゃうよ!」
 普段と違って、プログラムの進行時間には厳しいふたりから、苦情が入る。

「……藤峰先生が、コンタクト落として探してます」
「あとにしようよ!」
「高尾先生に代わろうよ!」
 スケジュール命のふたりが、『正論』を叫ぶけれど。
 それがつうじたら僕、ここまで苦労してませんけどね……。

「なにしてるの! もう過ぎて・る・よ!」
 波野(なみの)姫妃(きき)、さすが演劇部だけあってこちらも時間に厳しいな。
 あれ?
 でも、『過ぎてる』って?

「……海原くん。もう、いいかしら?」
 三藤先輩の声が、入ってきて。
「『決戦』っていってもさ、わたしたちふたりのことじゃないし〜」 
 高嶺が、サラリとネタバレを披露する。

「じゃ、はじめるよ〜!」
 ワクワクした声が、校庭の反対側から聞こえて。
「よ〜い、ドン!」
 高尾先生が、予備のピストルを鳴らして。
 勝手に『決戦』を開始する。
「ちょ、ちょっとわたしのコンタクト〜!」
佳織(かおり)のはワンデーの使い捨てだから、再装着禁止なの。海原君連れ出して!」
「い、一回くらい平気だからぁ〜!」


 ……こうして、よくわからないうちに『決戦』がはじまった。

 どうやら、大時計はなんらかの理由で三秒前でとまっていたようで。
 開始時刻が三分過ぎたと、僕はあとで三人の先輩に怒られた。


 こうして、放送部というか、委員会としては。
 学園祭における最大の『難所』を終えたと。

 ……このときはみんな、そう考えていた。



「……ところでさ、なんの『決戦』だったっけ?」
 放送室で、パクパクとクッキーをつまみながら。
 高嶺が先ほどまでの熱戦を忘れて、サラリと聞いてくる。

「もう、由衣(ゆい)ったら。みんなが『麻袋競争』、してたでしょ?」
 玲香ちゃんが代わりに、説明してくれるけれど。
「なんでそんなこと、きょうしたんだっけ?」
「えっと……。昴君?」
 なんだ、玲香ちゃんも興味なかったの?
「まったく……。あれだけもめたのに……」
 そういいながら、僕はふたりに説明する。

 体育祭と文化祭の、二週間前から。
 校門から続く並木道には、出店する部活やクラスの立て看板が並ぶ。
 それが、我らが『丘の上』高校の伝統らしい。
 どうやら、その立て看板の位置というのが曲者で。
 それはそのまま、文化祭当日の出店の場所となる。

 加えて、翌年の四月には。
 僕が最初に悲劇を被った『あの』部活動勧誘週間の、各部活の立ち位置になる。

 いままでは、『あみだくじ』で決めていたらしい。
 僕もそのままで、よかったのだけれど……。


「なぁ海原。そろそろ、変えないか?」
 男子バレー部キャプテン兼体育祭実行委員長の、長岡(ながおか)(じん)先輩。
 先輩には、入学以来なにかとお世話になっているのだけれど。
 本音ではその発言は……いわないで欲しかった。

「そうそう、あんまり面白くないんだよねー。あれ」
 えっと、都木美也文化祭実行委員長。
 あなたは放送部の元部長と元書記でかつ、現役の部員でありながら……。
 また余分な仕事を、増やすんですか……。

 それから、もう忘れているみたいだけれど。
 玲香ちゃんも、高嶺も変えろ変えろといい出して……。

 それを委員会で決めようとしたのが、一週間前。
 前回紹介した、大揉めの回のことだ。

 まとまらない意見に、みんなが疲れ果てて。
 まるで見計らったかのように、『とある悪魔』が僕にささやいて。
 もうそれでいいんじゃないかと。投げやりになって決めたのが。
 ……この、『麻袋競争』だ。


 念のために、その『悪魔』の解説によると。
「腰まである丈夫な麻の袋に入って、ひたすらジャンプしながら前に進むのよ!」
「それって、無駄な体力を浪費するだけじゃないの……?」
 波野先輩と、僕の意見は一致したけれど。
「ちょっと黙って。テストの点数、マイナスにするよ」
 『悪魔』が僕たちにだけ聞こえる声で、それを抹殺して。
 意外にも、文化部のメンバーが。
 これなら運動部に勝てるかもしれないと、妙な希望を抱いたところ。
 運動部のほうは、負けるわけにはいかないと。
 無駄な対抗心を、燃やしはじめた。


 ……結果、翌日からは。
 練習に励む部活が、続出して。
 『麻袋』姿の部長たちが、生徒のあいだでも話題となり。
 こうして、大勢の生徒が応援やってきてくれて。
 最後の争いまで、大盛況となった。


「要するに、わたしの手柄だね!」
 藤峰先生が、得意げな顔をしているけれど。
 僕は、知っているのだ。
 文化祭用の、ゴミ袋と麻袋を間違えて大量購入した『悪魔』。
 もとい、教師がいたことを。

「配達届いたから、お願いねー」
「仕方ないですねぇ。……ウゲッ!」
 ゴミ袋三百枚だからと、頼まれて。
 台車に乗せられた、『麻袋三百枚』の入った段ボール箱。
 知らずに持ち上げようとした、あの日の腰の痛みを。
 僕は一生、忘れないだろう。


 そんな話しを終えた頃。
 部室に都木先輩と春香先輩が、帰ってきた。

「『麻袋競争』、来年もやろうね!」
「えっ? 美也ちゃん。もう卒業しちゃってるよ?」
「あっちゃ〜、忘れてた〜」
「じゃぁ、卒業しないとか?」
「え、ええっ……」

 その瞬間、まず三藤先輩と。
 それから都木先輩と、目が合った。
「なにかしら、海原くん?」
「海原君、どうしたの?」
「い、いえなんでも……」

 ……僕はつい、想像してしまった。

 先輩たちより、先に卒業できることはない。
 でも、もし一緒に卒業できたとしたら……。


「なに考えて・る・の? 海原君?」
 そういって波野先輩が、僕を現実に引き戻す。



 ……おそらく、僕は慢心していたのだろう。
 文化祭と体育祭まであと二週間。
 

 このまま、無事にその日を迎えたい。


 そんな油断が、あったがために……。