……教室棟の、三階。
文化部の展示が並ぶ、この場所で。
不機嫌な顔の玲香ちゃんを、僕は絶賛ご案内中だ。
このおよそ、十五分前。
「……そこはさぁ。持ち帰りも頼もうよ!」
玲香ちゃんは、僕たちにうどんと蕎麦がないと不満を述べていた。
「わたし、もうおうどん食べたくない……」
「お蕎麦怖い、お蕎麦怖い……」
トラウマ級の、特盛うどんと特製蕎麦を食べ続けたふたりはさておいて。
「のびたら、おいしくないじゃない」
「走って持ってくるとか、できるじゃん!」
「お汁がこぼれるわ。それにここまで運ぶには、遠いわよ」
三藤先輩は、玲香ちゃんの苦情を受け付ける気がまったくなさそうだ。
藤峰先生と、高尾先生はその隣で。
「わたし、パン派」
「わたしも、パン派」
そういいながら、大人の余裕を見せつけている。
でもきっと限定パンだったら、子供以上に泣き叫んでいるのだろう。
「……もういいわ、海原くん」
小さくため息をついてから、三藤先輩は僕を見ると。
「陽子と、美也ちゃんのようすを見がてら。文化部の展示の『視察』をお願いしてもいいかしら?」
そういって、玲香ちゃんのほうを向く。
「えっ! 昴君と、いっていいの?」
「……構わないわ。刺激が多すぎて、わたしも疲れたわ」
……あれ?
三藤先輩、いまちょっとだけ。
遠慮とか、しましたか?
……とにかく、そんなやり取りがあって。
確かに、『視察』は報告書のために必要だし。
「ここはね! 手芸部の刺繍が、とってもキレイなの!」
玲香ちゃんの機嫌が、だいぶ戻った上。
一度波野先輩と、回ったからと。
マップ不要で、次々と案内をしてくれるのだけど……。
「し、視察中だからさぁ。もうちょっと、は、離れない?」
玲香ちゃんが近づくたびに、その腕や肩が当たるのだ。
これじゃぁ……。
い、いくら腕章していたとしても……。
「だって悪魔みたいな月子が、いないんだよ?」
「え?」
「あと鬼みたいな由衣も、わがまま勝手な姫妃もいま頃部室で死んでるでしょ? 邪悪な人たちから解放されるなんて、最高じゃない?」
偶然とおり過ぎた、小学生低学年くらいの女の子を連れた母親らしき人が。
その子の耳を、反射的に塞いだけれど。
ど、毒気が……すごくない?
玲香ちゃん? うどんと蕎麦の恨みなの?
「グエッ……」
今度は、いきなり強烈に腕を引っ張られ。
厳粛な雰囲気を漂わせている、茶道部の実演場に引きずり込まれる。
あ。入り口の部員さんに、睨まれましたけど。
……って、え? 僕だけ?
玲香ちゃんは、他人のフリをして。
おとがめなしでよかったぁ、みたいな顔をしている。
すると玲香ちゃんが、今度は僕のズボンの裾を引っ張って。
廊下を見るな、前を向いておけみたいな表情で僕を見る。
まぁ、従います……けどね。
……だけどなんで、いきなりここなんだろう?
……うん。
気づかれる前に、気づいたから大丈夫。
春香陽子と長岡仁が、並んで歩いているのが遠目に見えた。
ただの、偶然というよりは。
あれは、『文化祭デート』。
そんな雰囲気がした
一瞬だったけれど。
陽子ちゃんの表情は、そう。
ふと昴君を見ていたときのそれに、よく似ていた。
でも、きょうって。ウワサだと。
確か、同級生の男の子とどうこう、みたいな話しじゃなかったっけ?
いずれにせよ、鉢合わせしたくない。
わたしはなんとなく、そんな気持ちになった。
……最近、色々忙しいよね。
これがいわゆる、『学園祭マジック』みたいなものなのだろう。
だとしても、わたしの隣の昴君は……。
見ている世界が、違う気がする。
ここ最近は、純粋に。
体育祭と文化祭のために働いている昴君を、微力でも支えたいと思ってきた。
だからいまは、そのちょっとした彼の息抜き。
あるいはわたしのご褒美、みたいなもの。
……そう、陽子。
『浮かれている』あなたとは、少し違うんだよ。
みんなのために頑張る、昴君を支えたい。
あなたを見て、改めてそう思った。
陽子のことで、どうして、わたしがそんなことを思ったのかは。
もう少しあとで、形として現れるのだけれど……。
いまは、まだ口にはしないでおくね。
……美術部の、油絵を鑑賞していると。
玲香ちゃんがなんだか、無口になった。
おまけに距離も、保たれている。
先ほど茶道部の部屋に、引きずり込まれた直後から。
いや正確には、その直前から。
どうやら玲香ちゃんは、少し緊張しているみたいだ。
いったい、なんでだろう。
僕がまた、余分なことでもいってしまったのか?
「視察だから、真面目にやろうと思っただけだよ」
僕の疑問が、顔に書いてあったらしい。
玲香ちゃんが、笑顔でそう答えてくれた。
でも、いつもより少しだけ。
その笑顔が、曇っている気がするけれど……。
それって本当に、僕の気のせいかな?
「ねぇ、玲香ちゃん……」
「……ダメ」
え、やっぱり怒らせた?
「だ・か・ら。昴君は、委員長でしょ?」
「う、うん」
「しっかり記録用に、観察してよ。じゃないとわたしが、頑張る意味がない……」
珍しく伏せ目がちに話してくれた、後半の言葉の意味が。
はっきりと理解できたわけでは、ないけれど。
そうか。僕は玲香ちゃんと、文化祭を楽しむ前に。
真面目にやらなきゃダメなんだと、理解した。
……ちょっと違うんだよ、昴君。
意図が少し、ズレたのがわかって。
そのズレた部分が、チクリと胸に刺さる。
楽しみたいのは、わたしも同じ。
だけど、だけどね。
それは別のときで、構わないよ。
いつかもし、堂々と『文化祭デート』ができるなら。
そのときはちゃんと、『彼女として』。
わたしと歩けてよかったって、思って欲しい。
そう思うと、陽子。
……あなたも、決して。
堂々と楽しんでは、いなかったね。
陽子も、わたしも。
ほかの、みんなだって。
来年の文化祭で、誰かと堂々と歩くことが、できるのかな?
でも、その前にわたしは……。
「……さっきまで、副委員長がいてくれたけど。きてくれてありがと〜!」
講堂の機器室で、暇そうにしていた美也ちゃんが。
わたしたちを見て、喜んでいる。
「あれ? 春香先輩は休憩中ですか?」
昴君の質問は、阿吽の呼吸でふたりともスルーした。
「休憩中ですかねぇ? じゃ、都木先輩もどうぞ」
ひとりで、解決したと思えば。
今度は、それ?
……他人のことを、気遣えるクセに。
ほんとうに昴君は、女の子を理解していない。
「ねぇ、玲香……」
美也ちゃんが、わたしに聞いている。
意外と、遠慮のなくなったその目が。
わたしは仲間として、うれしくて。
ただ『ある点』においては、脅威でもある。
でも、どうぞ。
それくらいでわたし、もう動揺しませんから。
「ねぇ、昴君」
「ん、なに玲香ちゃん?」
「わたしとの『視察』はここまで。次は美也ちゃんと、いってらっしゃい!」
……ちょっと、もう!
僕がまたいくんですか! みたいな顔しないでよ!
「委員長でしょ! 美也ちゃん、一日中機器室に置いといたらモヤシになるよ!」
「ちょっと玲香、モヤシって……」
「いいから、どうぞ。いってらっしゃ〜い!」
……わたしは、美也ちゃんの背中を軽く押すと。
扉の前で、念のため少し強めにもう一度押して。
ふたりを部屋から、追い出した。
いい、昴君!
みんないっぱい、気持ちを振り回されているんだから。
あなたはせいぜい、校内をさまよってきて!


