さわやかな、秋晴れの土曜日。
 校庭では、全生徒と教職員を東西の二チームににわけた体育祭が。
 盛大に開催されている。

 僕たち『放送部』は、機器の設営さえ済ませれば。
 あとは、体育祭実行委員のみなさんが。
 進行や実況、音楽などの一切を担当してくれる。
 とはいえ、一応。
 『委員会』兼務でもあり、またメカの非常事態に備え。
 玲香(れいか)ちゃんが大会本部用の、テントに待機している。

 文化祭実行委員は、体育祭の実施中にもかかわらず。
 明日の本番に向けた準備やらなにやらで、任務が山積みらしい。
 ということで都木(とき)先輩と春香(はるか)先輩は、本日はいったりきたりの大忙しだ。

 波野(なみの)先輩は、僕を手伝うんだといい張ったものの。
姫妃(きき)お願い! 中庭のステージの設営が危機なの!」
 春香先輩が、韻を踏んで呼びかけて連れていった。
 そして、三藤(みふじ)先輩と高嶺(たかね)。僕を含めた『残り』の三人には……。
 またまた『極秘任務』が与えられた。


「……って、こんなの極秘でもなんでもないし!」
「誰も手伝いたくなかっただけ、でいいんじゃないかしら?」
 ふたりが、死んだ魚の目みたいな感じで僕を見る。
「う、海原(うなはら)君はそんなこと思わないよねぇ〜」
「そうだよ、委員長だもんね〜」
 藤峰(ふじみね)佳織(かおり)高尾(たかお)響子(きょうこ)の、大人のふたりが。
 無駄に、僕に愛想をふる。
「……先生がたとは、永遠にわかり合えないと思います」
「えー、ひどい!」
「横暴だよ、それ!」
 いまは、なんといわれようが構わない。
 それに、僕は現在の進行状況もさることながら。
 競技後の苦情受付を担当させられないかと、気が気ではない。

 委員会担当『教師』の提案種目は、パン食い競争だった。
「海原君、承認印を押したじゃない」
 藤峰先生、それは認めますけどね。
 でも、まさかこんなことになるなんて……。



「……さすが藤峰先生と高尾先生だ。スケールがデカい!」
「えっ?」
 先週、体育祭実行委員長の長岡(ながおか)先輩と話したときの違和感に。
 僕はもっと、ツッコムべきだった。

「どういうことなの、海原くん?」
 ……三日前に、三藤先輩が昨日はなかった書類があるといいだして。
 先輩と僕は、それを聞いてコソッと部室から逃亡しかけた先生たちを捕獲した。

「『二十人』で申請されたはずの競技が、『二百人』に変わっていますけど?」
「そ、そう……? 誤植に気づかなかった委員さんがいたんじゃない?」
「さ、参加者は集まったみたいだよ?」
 それから、先生たちは。
 一度でいいから、大勢でパン食い競争をしてみたかったと白状した。

「どんな動機ですか、まったく……」
 大人たちは、そんな僕のことは華麗にスルーしてたくせに。
「あいにくですが、『あんパン』の予算は二十人分しかありません」
「ちょ、ちょっと月子ちゃん! それって!」
「ねぇ! 大丈夫だよね?」
 先輩が伝えた、現実にはやたらと反応している。
「いや。いまさら、予算を増額するなんて不可能ですけどね……」
 僕がそこまでいいかけたところで、この大人たちときたら……。

「もちろん『こしあん』だよね!」
「は?」
「ちゃんと『つぶあん』頼んでるよね!」
「へ?」
 ……そのあと、しばらくのあいだ。
 僕は家に帰るといって聞かなかい先輩を、なだめるのが大変だった……。



「……もう、海原君! ちゃんと変えたからいいじゃないのー」
 体育祭の現実に戻って、藤峰先生が無駄なウインクをしてから僕を見る。
「無駄口はいいから、早く切り終えるわよ」
 軍手をして、警棒みたいな長さと硬さのフランスパンに挑みながら。
 三藤先輩が、僕たちを見る。
「ほんと、これもうパンじゃなくて武器ですよね〜」
 高嶺、お前が振り回すと凶器でしかない。
 た、頼むからやめてくれ……。

「フランスパンじゃなくて、ドイツ風バタールなんだよ……」
「そうそう、失敗作……じゃなくて試作品だから。安くしてもらえたでしょ!」
 高尾先生、あともう一回藤峰先生が手柄をほめろといっている。
 どんなコネクションなのかは、知らないけれど。
 確かに二百人分のパンは、手に入った。
 そ、それにしても……。


「『ちょっとだけ』、闇鍋的な要素を足してみるよ!」
 スライスしても、歯が折れそうなくらいハードなパンを。
 僕たちは開き直った大人が混ぜた、『特殊溶液』につけてやわらかくしている。

 まぁ、食べるのは僕じゃないんで。
 歯が折れるよりは、体調不良とかのほうがまだ……。
 ましなのか、本当に?

「ゴゥワッググ……」
 なに? いまの新種の獣みたいな声?
「ま、まずっ! なにこの味! なに入れたんですかっ!」
 高嶺の口に味見のパンを突っ込んだ藤峰先生が、めちゃくちゃ怒られてる。

「イチゴ牛乳と、ナンプラーを混ぜているのは見たわ……」
 イワシを発酵させて作る、タイ料理定番の調味料。
 三藤先輩が、いうとおり。
 強烈な臭いを発する大きな空瓶が、机の上に三本も並んでいる。
 ラー油、激辛チリパウダー、ニンニクチューブ、その辺りがかすむほど。
 緑色とか、紫色とか、見たことないない色をしたスパイスと……。
「えっ、マヨネーズもですか?」
 ほかにも、豚骨ラーメンのスープとか。
 うぇぇ……。なにそのネバネバした物体……。

「ほら急いで! 直接釣り下げて地面に落とすのは、食べ物に失礼でしょ!」
 藤峰先生が、この状況下では説得力ゼロに等しいことをいう。
 ……死人が出る、競技だな。
 僕はそんなことを考えながら、無心で。
 そんな悲惨な溶液に漬かって、ふにゃふにゃになったパンを袋に詰めていた。



「……それでは委員会担当『生徒』考案の、パン食い競争をはじめま〜す!」
「藤峰先生が、裏切ったわ……」
 冷静な三藤先輩の声が、二段階ほど低くなる。
「釣り下げたパンは、必ず食べ終えてからゴールしま〜す!」
「高尾先生が、鬼すぎる……」
 高嶺もさすがに、思うらしい。

「ねぇ、さっきからなんでこんなにクサイの?」
 休憩にやってきた波野先輩、メインテントではいえません……。
「嫌な、予感がする……」
 玲香ちゃんは、たいてい正しい。


 事前に、藤峰先生から。
 面倒だから、五十人ずつやるねと聞かされていた。
「テレビは匂いがわからないから、料理を食べるときはリアクションが大事」
 どうでもいいことが、名言に思えてくる。
「それでは、一回戦スタートっ!」
 第一陣の、悶え苦しむようすを見て。
 隣の三藤先輩が、ボソリとつぶやいた。

「わたしは、読書派だけど。でもいまは、映像化したものも見てみたいわね」

 パンを食べるだけじゃつまんないな〜と思っていた、善意の見学者たちは。
 四度にわたって繰り広げられた地獄絵図を見て、大いに盛り上がった。
 おまけに風向きによって、観客席の一部も被害にあった。
 だがそれがまた、他の参加者にはウケたらしい。



「高校生の感性って、わからないものね……」
 ……三藤先輩も同じ、高校生だけれど。

 とりあえず、パン食い競争は。
 食べ物を無駄にせず、終えることができたようだ……。