午後三時の校庭が、決戦の場に選ばれた。

 長く美しい黒髪が、風になびく。
 栗色で、先端にウェーブのかかった髪が揺れる。

 離れたところで、鈴なりの生徒たちが固唾を飲んで。
 大時計の針が、ゆっくりと運命のときを迎えるのを待っている。

「入学して、出会って、夏休みに合宿したばっかりなのにねぇ……」
 僕の隣で、みんなで過ごした半年間をたったの一文でまとめたその人が。
 やや潤んだ目で、僕を見つめてきた……。



「……そんな情景描写はいらないから、はじめてもいいかしら?」
「えっ……」
「そうそう、面倒だからさっさとカタでもつけとこうよ〜」
「お、おい……」
「じゃ、もうそれでいいわよねー」
「あ、あの……」

 我が道をゆく、三藤(みふじ)先輩。
 せっかちな、高嶺(たかね)
 ただただ自由な、藤峰(ふじみね)先生。
 三人が、バラバラのタイミングだけれど僕を見る。

 さ、作品の冒頭ですよ……。
 少しは、真面目にやりませんか?

 もちろん、そんな本音を『女子たち』にいえるはずのない僕は。
「い、一応。約束の三時までもう少し、時間があリますので……」
 日々、磨かれつつある無難なセリフで。
 なんとか、物語を進めようとする。


 ……この奇妙な『決戦』の背景を、解説するために。
 話しを、三時より少し前に戻そう。

 いや。
 早くしろという、圧力がすごいので。

 一週間前まで、一気にさかのぼって。
 お、お話しさせてください……。



 ……文化祭と体育祭が、徐々に近づいている。
 それぞれの実行委員会と、文化部や運動部の部長以下三役が大集合。
 通称『委員会』は、その日も。
 相変わらず、大紛糾中だった。

「うるさい三年生ばっかりで、ごめんね〜」
 僕の左隣で、放送部員兼文化祭実行委員長でもある都木(とき)美也(みや)先輩が。
 もめる同級生たちを評して、苦笑いする。

 なんでも、放送部部長が歴々の『委員会委員長』だとのことで。
 若輩一年生の僕、海原(うなはら)(すばる)が。
 このまとまらない会議の議長を、拝命している。


「ねぇ海原。お腹、すいてきた」
「わ・た・し・も」
 うしろで、わからない漢字の板書に苦戦している高嶺(たかね)由衣(ゆい)と。
 文化祭終了後に、演劇部から放送部に完全移籍予定の波野(なみの)姫妃(きき)先輩のふたりが。
 いい加減終わりにしろと、暗に僕に告げる。

「かわいいね、この写真!」
「昴君だけ、ちょっと複雑な顔してるけどね〜」
 夏休みに突然、僕の『姉』になる宣言した春香(なるか)陽子(ようこ)
 僕の小学生時代の遊び友達、赤根(あかね)玲香(れいか)
 先輩ふたりは、じゃんけんで『板書の刑』から逃れられて。
 いまは書記用のパソコンを、仲良く眺めながら。
 どうやらこれまでに部内で撮り溜めた写真を、眺めて楽しんでいるようだ。

 だが、そんな部員を責めるのはお門違いだ。
 なぜなら、放送部顧問兼委員会担当・藤峰(ふじみね)佳織(かおり)
 同副顧問兼副担当・高尾(たかお)響子(きょうこ)
 これらふたりの教師は、新品の移動式電子黒板を隠れ(みの)に。
 大好きなパンを、満足そうな笑顔で食べ続けているからだ。


 どこかの部長が、また大きな声でなにかいうもんだから。
 別の部長が、カチンときていい返す。
「そろそろ、海原君の出番かなぁ……」
 都木先輩が、そういいながら。
「お疲れさま」
 やさしい笑顔で、僕を見た。

「……あの! ですからみなさん!」
 夏の合宿の成果で、僕の声がよくとおるようになったのは事実で。
 だから、みんなが一瞬。
 僕に注目してくれたのだと、思ったのだけれど……。


「……えっ?」


 僕も、なにか聞こえた気がする。

 き、気のせいだよな?


 ところが、都木先輩も。
「えっ……?」
 そういって僕の、右隣をのその人を見て固まっている。

「ウソっ……」
 続いて、元々大きな両目をさらに広げて。
 高嶺が右手のチョークと、左手の黒板消しの両方を思わず落とす。
 ただ、よりによって。
 僕の、カバンの上じゃないか……。

「気のせいじゃ、な・い・よ」
 波野先輩が、僕を見て無駄にニコリとする。
 えっ? ここ……。
 笑顔のシーンじゃ、ありませんよね……。

「しゃ、しゃべった……」
 話し合いでエキサイトして、立ち上がっていたどこかの部長が。
 ついに声に出してしまい、教室中がザワザワしはじめる。
 まぁ、無理もない。
 放送部以外の人前では、基本しゃべらないらないと。
 あまりにも校内で、『有名』なので。
 いわば『奇跡』みたいな瞬間を、目撃したのだ。


「あ、あの……。いま、なんと?」
 そんな先輩に、聞くのは野暮かと思いつつ。

 僕の右隣に姿勢よく座る、副部長兼副委員長。

 三藤(みふじ)月子(つきこ)、その人に。

 僕はつい、聞いてしまった。


 カチ、カチ、カチ。
 親友の春香先輩が、わざわざ時計みたいにカウントする。

 一方で当の本人は、そんなことを気にしていない。
 というか、たぶん紛糾していた会議が。
 余程腹に、据えかねていたのだろう。

 静まり返った、人だらけの社会科教室で。
 三藤先輩は、その凛とした声で。

「海原くん、聞いていなかったの?」

 そういって、僕をその藤色の瞳でじっと見つめたあとで。


「もう一度いうわ。海原くん、いますぐ別れましょう」


 はっきりと、そういい切った。




「……へ?」


「……海原くん。一緒にいても、いいことなんてないわ」


「えっ……」


 ……藤峰先生と高尾先生が。
 僕と目線が合いそうになって、慌てて窓の外を見る。

「別れましょう、いいことなんてないわ……」
 玲香ちゃんが、極めて事務的な声で復唱しながら。
 やや荒めに、キーボードを打つ音だけが。
 社会科教室の中で、虚しく響く。


 ……教室中の、すべての会議参加者が。
 僕を、僕だけを見つめている。

「……別れる?」
「えっ、ってことはやっぱり……」
「だって、ほかに意味ってある?」


 あ、あの……。みなさん。
 た、多分なんですけどね……。『それ』じゃなくて……。

 僕は、すべての視線を引き連れて。
 隣で呆然と立ち尽くしている、三藤先輩を恐る恐る……。

 あ……。
 やっぱり、自分の発した言葉の意味。
 ようやく自覚しちゃった……顔ですよね、それ?

 両耳のみならず、顔まで真っ赤になった三藤先輩が。
「あ、あの……」
 そこまでいいかけて、フリーズすると。
「う、うん。わかった! ね、陽子?」
「う、うん……。 そうだね、美也ちゃん!」
 いつものふたりが、慌ててフォローに入ると。
「由衣、いくよっ!」
 玲香ちゃんと、波野先輩と高嶺の三人が。
 三藤先輩を、引きずるように部屋から運び出す。

 それから、都木先輩が。
 まだポカンとしている、参加者に向けて。

「あ、あのね! い、いまのは。文化部と運動部の意見が、ほら。すっごく割れてるでしょ? だ、だからさ。一旦それぞれに『別れて』、検討してから再度やりませんか? ……っていう意味、な、なんだよね?」
 いっぱいつまりながらも、頑張って説明してくれる。

「そ、そうなんです! あの子、口下手なんで!」

 春香先輩が、慌てたようすで補足して。
「そうそう! ちょっといい間違えただけだから。はい移動!」
 なぜか高尾先生までが、助け舟を出してくれた。


「……そ、そんな感じです。で、ではみ、みなさん」
 僕も、なんとか言葉をつないで。
「えっと。文化部と、運動部で別々に……」
 そこまで、いいかけたところで。
「そうそう! 『別れて!』やろっか!」
 藤峰先生が、なんだか妙なところを強調して割り込んでくる。

 加えてその『悪魔』は、無駄に僕にウインクすると。
 わざわざもう一度、今度は僕の耳元で。
「ね? 『別れて』いいんだよね、海原君?」
 めちゃくちゃ楽しそうな声で、僕に聞いてきた。



 ……とまぁ、そんな『悪夢』の会議を経て。
 その結果、本日午後三時。
 僕たちがいまいる校庭が、『決戦』の場に選ばれた。

 三藤先輩の長く美しい黒髪が、風になびく。
 高嶺の栗色のややウェーブのかかった髪も、少し揺れる。

「入学して、出会って、夏休みの合宿したばっかりなのにねぇ……」
 僕の隣で、みんなで過ごした半年間をたったの一文でまとめた藤峰先生が。
 やや潤んだ目で、僕を見つめてきた。


 ……そして大時計が、そのときを刻むとき。


 この物語がまた、ひとつ進むのだ。