夢のなかまで会いにきて



 鳥の囀りで瞼を開ける。「…わぁ」と思わず声が漏れてしまった。夜は開け、太陽が柔らかく登っている。それはまるで絵画のように美しく煌めいていた。住宅街に朝靄が広がりそれを太陽の光が柔らかく包み込んでいる。とろけるような朝だ。


「この朝日も好きなんだ。まるでウィリアム・ターナーみたいでね」


 おはよう。そんな言葉を続けた傑くんは隣に座って同じように住宅街を眺めていた。鳥の囀りと朝早くから動くひとたちの忙しない声の間から彼の甘めかしい声が降ってくる。私は「ごめん寝ちゃって」と謝るが、彼は「いいよ。泣くと疲れるしね」と笑った。私は泣きながらピザを食べ、また泣いた。そして彼の声に酷く安心できて寝てしまったらしい。


「それよりさ、夜と朝の隙間を過ごしても朝のはじまりはあまり見なくない? この時間帯綺麗だからあなたに見せたかった」
「……うん、綺麗だね」


 ぼやけた朝の輪郭を確かめる。少しだけ肌寒く感じられる春の朝。私の体にブランケットがかけられていることに気づく。ほのかな傑くんの香水の香りがした。きゅ、ッとそれを両手で抱き寄せる。彼のあたたかな心が具現化したみたいで気持ちよい。肌がふわり柔らかく撫でられるようだ。そのとき、傑くんが口を開いた。


「俺、結果的に起業して店が軌道に乗ったからいいって自分に言いわけしていたんだけど、昔から画家になりたくてね。それで上京したんだ」
「……美大とか受けたの?」
「ん、試験に合格できなくて。俺の心の底から出てきた叫びで描いた絵はこの世の中に必要ないみたい」


 語られる言葉は穏やかなのに、歯を噛み締める音が聞こえてきた。「あなたが泣いてる姿見たら俺もなにか話したくなっちゃった」と言葉が続く。そして傑くんは微かに溜め息を吐く。その姿は美しい朝に似合わない怯えた姿で私は思わずそっと彼に触れてみた。背中に手を添える。助けたかった。運は巡るらしいから。
 ふと、感じる。彼が私を助けた理由は本当は彼自身が誰かに再度助けられたかったからなのではないか、と。運は巡る、暇だから、そう彼自身が言われたかったのではないか、と。そう思うと私の欲しい言葉ばかりをくれるまるで完璧な夢のような男性から本来の彼に触れられた気がする。


「私は傑くんの絵を見ていないからわからないけど、私を救ってくれた優しいあなたの叫びが届かないそんな美大なんて行かなくていい」


 傑くんの瞳が見開かれた。


「……椿さんって真面目で優しいって言われるでしょ?」
「なんで…?」
「こんな馬鹿な話に寄り添ってくれたのあなただけだよ。柊一にも恥ずかしくて話していない」


 傑くんはそう言って苦く笑みを浮かべた。太陽のひかりを浴び、美しく見える表情。悲しく見えるのにけれど、清々しくも感じられる彼の表情はこの世のものとは思えない絶世の美であった。それは外見がよいというものではなく、内側から滲み出る美しさだと感じる。綺麗なひとだ。だから私も話したくなった。昨晩泣いたけど話さなかったことを。


「私真面目な自分が嫌い。最近、可愛げがないって言われちゃって……」
「え、椿さん可愛いよ?」
「可愛いと可愛げは違うでしょ?」
「え? ホントにわからない。椿さん俺のまえではよく笑ってよく食べて、悪い子になりたいって素直にねだって、嬉しそうに俺からのサンダル履いたでしょ? 十分可愛げあると思うんだけど。真面目と可愛げがないはイコールじゃないよ」


 心底意味わからないという表示を浮かべる傑くん。今までの人生を肯定されたようでまた泣きそうになってしまう。そうか私、傑くんのまえでは可愛げがあるのか。


「悪夢見た?」
「見なかった」
「残念。夢のなかで椿さんに会いたかったのに」


 ふふ、っと彼は軽やかに話を変える。微笑む彼は言葉ではそういいながらでも安心したようだった。それと同じく久しく悪夢を見なかった私だけど、でもどこかで傑くんと会いたい気もしていた。だから私も少しだけ残念に思う。


「俺も椿さんの夢を見たい」
「え?」
「俺も椿さんと一緒に終電逃す夢を見たい」
「……終電逃した私を慰める夢を見たんじゃないの?」
「あんなの嘘に決まってんじゃん。オネーサン、運命なんてね作れるのよ」


 くすり、笑う傑くんの朝日に照らされる顔は美しい。昨晩のあれはやはり嘘だった。運命なんて作れる、彼からはいい言葉ばかりをもらっている。胸にそれらを刻み込んだ。
 私は彼の言葉にスマートフォンを取り出して、SNSを開いた。傑くんをフォローする。隣からぽこん、と通知音が響いて彼は私と同じようにスマホを取り出した。その通知に嬉しそうに微笑む。彼の「ありがとう」という言葉に私も口角があがる。
 

「さ、帰ろうか。送ってく」


 その言葉に目を見開く。送っていく?


「下に店の車あるの。乗ってくでしょ」
「え、車あるの?」


 私のその言葉にまたしても彼は嬉しげに微笑んだ。
 だってそんな話聞いてないし、聞いていても乗ったかわからないけど、始発待たなくてよかったってこと? え? どういうこと? そんな疑問が頭の中を渦巻いていく。


「かわいいでしょ? 気になった女性と話したくて車を隠していた男って」


 そんな言葉が鼓膜を通ったとき、なにかが弾け飛んだ。可愛げというものはこんなにもひとの心に響くのか。可愛らしさ、可愛げの正体はやはり曖昧だ。でも少なからず彼が愛される理由はわかる。私も愛されたい。もし可能なら傑くんとそんな関係を築きたい。可愛げがなんなのかを教えてもらいたい。
 新しい靴は新しい場所へ連れていってくれる。悪い子はどこへでも行ける。でも、


「傑くん。京都行こうよ。私は休むための旅、傑くんは好きに絵を描く旅にしよ」
「……一緒に?」
「そう。一緒に新しい場所に行こう。私、数日会社休むから傑くんもお休み取って」
「わかった。ありがとう、椿さん」


 自分の意志でどこに行くのかを決められるのはもっと素敵。
 私は彼が昨日購入したのに読んでいなかったガイドブックを指差す。数日後、私が彼の行きたい京都へと彼を連れていく。私は私を変えるためにひとつ決断をした。会社を休んだことのない私からしたら大きな一歩だ。その決断を見届けてくれた傑くんは出会ってから一番の笑みを浮かべる。


「……傑くん、私もっと可愛げのある女の子になりたい。あなたに教えてもらいたい」
「あなたは終電逃した悪い子で夜中にピザを食べ、そして泣けたいい子だからどこにでも行ける。なににでもなれるよ。いい子で悪い子は一番強い。でももし願うなら俺があなたをもっと可愛くしてあげる」


 彼のその言葉に自然と口角があがる。私、多分もう大丈夫。変われる。


「椿さん、これから俺となにをしたい?」
「じゃぁ明日も夢のなかまで会いにきて」
「いいよ。まずはそこからだね」
「私も傑くんの夢のなかに会いに行くよ。夢のなかの終電過ぎた駅で待ち合わせ」


 終電を乗り過ごしてしまったという行為はなにか人生の一幕が降りることと似ている。一息つける。あとは始発を待つだけ。