「始発まで、あと……何時間くらいかな?」
 私はスマホを開いて、時刻表を確認する。
 始発は5時12分と書いてあった。
「あと、3時間半くらいです」
「じゃあ、まだまだ時間があるね」
「そうですね」
 私は、さっき置いたアイスを飲み干し、近くにあったゴミ箱にそっとしまった。
 こんな夜に、誰かとただ話しているだけで、こんなにも心が和らぐとは思っていなかった。
 正直、ほんとうに絶望していた。
 終電を逃した私が悪いのは当然だが、それでもやっぱり、ひとりで始発を待つのは心細く思う。
 誰もいないとはいえ、何が起こるかわからない。
 隣にいる彼は、間違いなくそんな絶望を取り除いてくれている。
 知らない人なのに、心は穏やかだった。
「……ねぇ、今日初めて話したのにさ」
「はい?」
「やたら打ち解けて話してくれるよね」
「……それは、たぶん……お酒のせいです」
 そう返したけど、笑う余裕なんてなかった。
 ほんとうは、それだけではないと思っていた。
 きっと、酒のせいだけではない。
 この夜だから。
 名前も知らない彼だからこそ、心を許せることがあるのだと思う。
「……私、誰かとこうして他愛もない話をするの、久しぶりなんです」
「へぇ、そっか。恋人とかいないんだ?」
「……はい。というか、もう恋とか、いいかなぁ……みたいな」
 思わず出た言葉に、自分でもすこし驚いた。
 だけど、それを引っ込めようとも、取り繕うとも思わなかった。
「なんか……昔、ちょっと複雑な、恋? みたいなの、してて。結局、どうしたらよかったのか、今でもわからないままなんです」
「複雑な恋?」
「……高校の頃の話です。相手は、友達だった子で。女の子で……」
 そう言って、私はすこしだけ彼の表情をうかがった。
 でも彼は何も言わずに、ただ静かに、耳を傾けてくれていた。
「……最初は、ふざけて手を繋いだり、抱きついたりしていただけなんです。でも、気づいたら、ドキドキして……何回も、キスをして……」
 胸の奥が、すこしだけ痛んだ。
 あの頃の記憶が、イチゴアイスみたいに甘くて、でも溶けてしまったみたいに掴めなくて。もう何年も前の話なのに、鮮明に残る記憶が余計に私を苦しめる。
「でも、そのあと関係が悪くなって。自然消滅って言えばそれまでだけど……結局、何も言えなかったんです。好きだったのかも、って思うけど……ほんとうに恋だったのかも、自信なくて。同性は、初めてだったので」
 彼は、すこしだけ視線を落として、「んー」と声を漏らした。
 私も、落ち着かない自分の指先を見つめながら、ぽつりと言葉を続ける。
「今でも、たまに考えるんです。あれが恋だったのか、それとも……遊びの延長だったのかって」
「……その子とは、会ってないの?」
「はい。在学中に疎遠になって、もうそのままです。何も言わずに、離れたまま終わりました」
「……そっか」
 それだけ言って、彼はふたたび星空を見上げた。
 初めてだった。
 この話は、誰にもしたことがない。
 ほんとうに、今だけの時間だから。名前を知らない彼だからなのだと思った。
「でもさ」
「……はい」
「その〝わからない〟って気持ち、たぶん……ちゃんと〝恋〟だったんじゃない?」
「……え?」
「ほんとうに何も感じてなかったら、こんな夜に、その人のこと思い出したりしないでしょ」
「……」
 私は、言葉を失った。
 彼の言うことが正論すぎて、心に深く刺さる。
 星が滲んで見えるのは、酔いのせいか——それとも、過去の私が救われた気がしたからか。
 彼に話して、ふと気づいた。
 あの気持ちは、確かに〝恋〟だったんだ。