駅前の小さな公園は、しんと静まり返っていた。
 誰も座っていないブランコが、風に揺れてきしむ。
 カラカラとチェーンの音だけが、夜の空気に溶けていく。
 私と、彼。
 彼の定位置だというベンチに並んで座った。
 誰もいない。
 音もない。
 駅前なのに、ここはまるで時間が止まってしまったみたいだった。
「……」
 私は、ほとんど溶けてしまったイチゴアイスを、ぼんやりと見つめる。
 さっきまで、あんなに悩んでいたのに。
 今はもう、なんだかどうでもよく思えてしまう。
 たまにはこんな夜も、悪くないかもしれない。
 そんなふうに思ってしまう脳天気な自分が、すこしだけ可笑しかった。
「……イチゴ、好きなの?」
 ふいに彼が、そう言った。
 彼はネクタイを緩めて、ワイシャツの第1ボタンを開ける。その仕草を見てはいけないように感じて、私は咄嗟に視線を逸らした。
「……どうしてですか?」
「さっきから、ずっとそれ見てるから。溶けてドロドロだけど」
「イチゴが好きっていうより、酔うと食べたくなるんです……でも、結局あんまり進まなくて」
 すこしだけ声が掠れる。
 彼は、私の手元を見て笑っていた。
 私も目を伏せて、つられるように、小さく笑い返す。
「甘いやつが欲しい、ってやつね」
「……そうです」
 私たちの間に、また沈黙が落ちる。
 だけど、不思議と嫌ではなかった。
 足元には、街灯が伸ばす影が並んで映る。
 どうしてだろう。
 知らない人なのに、こうして話すことが、まったく怖くなかった。
「……いいじゃん」
「……」
 思わず溶けたアイスを見つめたまま、言葉が出なくなる。
 ほんのすこしだけ、胸が温かくなるのも、酒のせいだと思いたかった。
「ところで……あなたは、終電を逃すことが多いんですか?」
「なんで?」
「なんでって……〝特技〟だって、さっき言ったじゃないですか」
「あぁ、そうだったね」
 クスッと笑った彼は、ベンチの背もたれにもたれかかって空を仰いだ。
 同じように空を見上げると、満天の星が視界に入る。
 星を妨げる光も高い建物も、何もない。
 まるでプラネタリウムのような自然に、思わず感嘆の声が漏れた。
「……ここは、星が綺麗に見える。この光景が好きなんだ」
「星を見たいから、終電逃してるってことですか?」
「はは、それもいいね」
 彼はグッと体を伸ばし、ふぅ……と溜息を吐く。
「俺、プログラマーなんだけど、予期せぬ不具合とかね。そういうの対応してることが多くて。よく終電を逃すんだ」
「……え」
「過疎地に起業すると町から補助金が出るっていう制度があるらしくて。それでこの場所にオフィスを構えたらしいんだけど。いろいろ、問題あるよね」
「……」
 なんだか……ひとりだけ酔っている状態なのが、恥ずかしく思えてきた。
 私は、手元のアイスをそっとベンチに置いた。
 もう溶けきっていて、もはや何を食べていたのかもよくわからない。
 ほんのすこしだけ風が吹く。
 ブランコのチェーンが、またカラカラと鳴った。
「……忙しいのに、私の相手なんかしてもらって、ごめんなさい。いつものように、寝てください」
「別に、寝なくていいよ。俺も話し相手がいると楽しいし」
 彼の言葉が、ふっと夜に溶けていく。
 まるで、この場所も、私たちも——ほんとうに時間の狭間に迷い込んでしまったみたいだった。
「そういえば、名前を聞いてもいいですか?」
「……知らなくても、よくない?」
「え?」
「今だけなんだから。始発が動けば、俺らはまた〝いつも通り〟だし」
「……」
 さっき、『あとで』と言ったことは忘れているのか。
 わからない。
 隣にいて、一緒にいる人のことがわからない。なのに、気になってしまう。
 これも、酒のせい。
 そう言い聞かせながら、私はまた空を仰いだ。