きっかけは母方の祖母が亡くなったことだった。交通事故だった。祖母の遺体は損傷が激しかったらしく、お通夜を前に早々に棺に納められ、死に顔も拝めないようになっていた。
 詳しい事情は知らなかったが、僕が生まれる前から僕の家族と祖父母は絶縁状態にあった。だから、僕は母方の祖父母には一度も会ったことがなかった。
 昨夜、『祖母が亡くなったので、お通夜と告別式に出るように』と母に言われ、僕は生まれて初めて母方の祖父母の家に連れてこられたのだ。無理やりだった。
 なぜ、無理やりなのかと言うと、僕はゴールデンウィーク明けから、すでに一カ月も高校に行かず、家に引きこもっていたからだ。
 父方の家族は代々医師の家系で、父も同居する祖父も医師だった。当然の如く、僕も医師になることを求められた。生まれた時から、しっかりとしたレールに乗せられていた僕は、それが当たり前だと思うようにすり込みをされていた。故に僕は他の道を考えることもないまま幼少期から思春期を過ごした。
 僕は勉強の甲斐もあって、三年前、無事に第一志望の中高一貫校に入学した。トップの成績で中学から高校に進級したのは、ほんの二カ月前のことだった。
 母は看護師で、両親共、いつも多忙だった。優しい両親ではあったが、二人はいつも疲れた顔をしていた。三人でゆっくりと過ごせる時間はほとんどなく、旅行に連れて行ってもらった記憶もなかった。冷え切っているとまでは言えないものの、少々温かみに欠ける家族だった。
 そして、今年のゴールデンウィーク前、とうとう父が過労で倒れた。その姿を見た時、僕は初めて、それまでの自分の人生に、そしてこれからの進路に疑問を抱いた。一所懸命勉強を続けた結果としてたどり着くのが父と同じ場所ならば、どうして苦労して勉強を続けなければならないのだろう。馬鹿馬鹿しいと思った。
 人間というものは堕ちる時には速いもので、僕はあっという間に、前から好きだったゲーム、アニメ、漫画、そしてネットにどっぷりとはまり、部屋に引きこもる生活に入った。
 そんな僕を責めない両親とは裏腹に、同居する父方の祖父には『根性無し』となじられた。祖父の小学生時代は所謂スポコン漫画やドラマに人気があった。祖父は漫画好きで、比較的最近の作品までリビングルームに並んでいた。その中には昔のスポコン漫画の作品もズラリと揃っていて、僕も全て目を通していた。
 祖父はスポコンドラマに触発されて柔道を始めた人だったので、僕に『根性無し』の烙印を押したのも無理はなかった。実際僕は、中学のマラソン大会では三年間ビリだったし、中二の旅行行事の二日目に予定されていた登山は仮病を使って宿舎に残った。マラソンや登山で、わざわざつらい思いをするのは馬鹿馬鹿しいとしか思えなかった。しかし、僕を罵り続ける祖父の態度にはさすがに頭にきたので、それ以上『根性』を持ち出されないように、僕は嫌味の籠った一撃を返した。
「『根性』とか『ド根性』とか言いますけど、それはお祖父さんの好きな漫画を見習えってことですか?利き腕が使い物にならなくなって再起不能になるまで野球をすればいいんですか?真っ白な灰になって死ぬまでボクシングをすればいいんですか。それとも、父みたいに、自分が病気になって倒れるまで病人に尽くせばいいんですか?」
 僕の狙い通り祖父は絶句した。それ以来、祖父とは口を聞いていない。

 学校に行かなくなってから、僕は良くも悪くも自分自身と向き合うことが多くなった。『これまでの人生は一体何だったんだろう、これから僕はどうすればよいのだろう』、と思った。
 僕は決して誰とも話せないという程ではなかったが、親しい友達はいなかった。勉強、勉強で育ってきた僕は、なんとなく周りの誰もが競争相手のような気がして、うまく心を許すことができなかったのだ。
 男子の友達もいない僕は、当然女の子と付き合ったことなどあるはずもなかった。中学から男子校の僕には、女の子と知り合う機会が無いことも原因の一つではあった。かといって、出会い系サイトに手を出すほど僕は愚かではなかった。
 結果として、僕は、なんとなく美少女が登場する漫画やアニメを漁るようになった。そこには、可愛い妹タイプ、素敵なお姉さんタイプ、男勝りなタイプなど、様々な少女たちがいて、一時は夢中になったが、今はマイブームも下火になっていた。所詮、現実世界には存在しない彼女たちを探し求めても虚しいだけだと思い始めたからだった。
 そんな風に人と関わることが苦手な僕が、人の病や死と向き合わなければならない医者になろうとしていたなんて。考えてみると、僕はおよそ方向違いの線路に乗せられていたのだ。
 それならば自分で別の道を見つけるべきなのかとも思ったが、何も思いつかなかった。漫画やアニメ、ゲームは好きだったが、その作り手にはなれるとも、なりたいとも思わなかった。
 勉強をする気にもなれない、人とうまく関われない、やりたいことも見つからない。だから、そんな僕には『引きこもり』がお似合いだった。

 さて、話を母方の祖母のことに戻そう。僕が祖父母の家に着いた時には、既に母方の親戚がたくさん集まっていた。もちろん初めて会う人たちばかりだったが、彼らの視線はどこか刺々しかった。
 当然、僕は居づらくなって母屋を抜け出した。祖父母の家は昔風だったので、敷地内には大きな物置小屋が建っていた。扉に手を掛けてみると、あっさりと開いた。
 僕は中に入り、ちょうど良い高さの木箱の上に腰を降ろすと、ポケットからスマホを取り出し、自分だけの世界に浸った。
 僕は、通夜の時間ぎりぎりまで、そこに居座ることにした。

 しかし、僕の思惑はあっさりと潰えた。
 三十分程すると、不意に物置小屋の扉が開き、一人の老人が入ってきた。
「ん。お前は隆史か?こんな所で何をしている?しかし、お前、若い頃のお前の親爺そっくりだな」
 僕の名前や、父の若い頃の顔まで知っているということは、彼は僕の祖父なのだろうと思った。
「すみません。周りが皆、知らない人ばかりなので気が重くなってしまい、ここに逃げ込んでしまいました」
 僕はとりあえず下手に出ることにした。
「お前、高校に行ってないそうだな。愛子がそう言っていた」
 どうやら、僕の母は祖母とは連絡を取り合っていたようだ。愛子とは祖母の名前だった。祖父の名前は久雄だ。それを知ったのは、先ほど忌中の張り紙を見た時だった。それはともかく、僕は祖父の言葉にとりあえず適当な返答をすることにした。
「はい、ちょっと事情があって行っていません」
「健康で、金もあるのに、行けない事情などあるものか。その気になれば、何とでもなるはずだ。お前はただ逃げてるだけだ。根性無しだな」
 母方の祖父にも『根性無し』という烙印を押されカチンときたが、反抗してみても意味が無いような気がした。今の状況を見る限り、この先、僕が祖父と関わることはなさそうに思えた。不謹慎と言われるかもしれないが、次に僕がまたこの家に来る時があるとしたら、それはたぶん祖父の葬儀の時だ。ならばここは、妙に反抗したりせず、適当に受け流した方が利口だと思った。
 しかし、なぜ母は祖父母と疎遠になったのか、なぜ祖父は初めて会った自分の孫にこうもつらく当たるのか、それは気になった。僕はこの際、聞いてみることにした。
「あの、一つ聞いても良いですか?」
「何だ?」
 祖父は相変わらず不機嫌そうだった。
「どうして、お祖父さんと、僕の家族は疎遠になっているんですか」
「お前、何も聞いてないのか?」
「はい、子供の頃からお二人は遠くにいるのだと聞かされていただけでした」
「そうか、無難な嘘で誤魔化していたんだな」
 祖父は僕に真相を告げるべきかどうか少し迷ったようで、すぐには答えが返ってこなかった。
「隆史、お前も、もう高校生だから知っても良い頃だな。私たちがこんな風になってしまったのは、全部お前の親爺のせいだ」
「どういうことですか?」
「お前の親爺は、まだ看護学生だったお前の母親に手を出したんだ。その頃、お前の母親は長く付き合っていた男に裏切られて落ち込んでいた。お前の親爺はそこに付け込んだんだ。そうしてできたのがお前という訳だ。私は、とても、そんな男に大切な娘はやれないと思った。だから結婚には反対したんだ。だが、お前の母親は、どうしても結婚してお前を生むと言って、この家を出て行ったんだ」
 令和の高校生の僕にとっては、デキ婚などは珍しい話ではなかった。だが、昭和生まれの祖父の怒りは分からなくもなかった。しかし、父はきちんと責任を取って母と結婚し、母もそのせいで看護師になれなくなったわけでもなかった。僕の目から見ても両親の夫婦仲は良好だった。すぐには無理でも、とっくに和解しているが普通ではないかと思った。
 祖父は未だに父のことは許せないという顔をしていた。気まずいままなのは嫌だったので、僕は祖父の機嫌を取るネタは何ないかと辺りを見回した。そして、隅の方に畳まれた卓球台が有るのに気付いた。更にその脇に置かれたガラスケースには賞状やトロフィー、カップなどが収まっていた。賞状には「桑原久雄」という祖父の名前が記載されていた。どうやら祖父は卓球が得意だったようだ。僕は良いネタが見つかったと思った。
「あの、お祖父さんは卓球が得意だったんですか?」
「実業団でプレイしていたが、まあ、一流とは言えんな。一番大事な試合には勝てなかったからな」
 それまで高圧的だった祖父の態度が、急に弱気に転じたような気がした。
「お前は卓球をしたことはあるのか?」
「本物はありませんが、コンピューターの卓球ゲームなら、結構強いですよ」
「ふん」
 僕の言葉に心底あきれ果てたという顔で、祖父は更に僕を否定しにかかった。
「勝つと決まっている相手に勝って、お前嬉しいのか?」
「そんなことないですよ。良く負けますから。負ければ悔しいですし、勝てば嬉しいですよ」
「お前、良い学校に通っているくせに物事の本質が分かっていないな。チェスでは、もう人間はスパコンに勝てないことは知っているな。市販のゲームなんてものはな、人間に負けるようにプログラミングされているんだ。絶対にクリアできないゲームなんて売れないからな。そんなものに振り回されている自分が愚かだとは思わんのか?」
 ムカついたが、一理あると思った。反論できずにいると、更に追い打ちを掛けられた。
「いいか、本物の卓球、いやスポーツはそんなものじゃない。時には自分の実力の百五十パーセントを出せても勝てない相手がいる場合もある。それにだ、多くの勝負では、一度負ければ、次の機会なんてないんだ。そこへゆくと、コンピューターゲームなど、何度負けても次があるだろう」
 傷口に塩を塗るような祖父の追撃に、僕はぐうの音も出なかった。
 僕が黙り込んでしまうと、祖父は別の質問をしてきた。
「隆史、お前、冒険旅行みたいなものをしたことがあるか?」
「はい、あの...」
 ゲームでと言いかけて僕は言葉を飲み込んだ。何度でも生き返ることができるなら冒険とは言えないと言われるのが想像できたからだ。
「あの、いえ、ありません」
「まあ、そうだろうな。今の高校生ならそんなものだろう」
 思い切り馬鹿にされると思っていたがそうでもなかった。話の流れからして、祖父は自分の自慢話でもしたいのだろうと思った。それが大したことでなければ、ケチをつて一矢報いることができるかもしれなかった。
「お祖父さんは、何かすごい冒険をしたことがあるんですか?」
 僕は少し嫌味っぽい口調で言った。しかし、祖父は嬉しそうに僕の問いに答えた。
「あるぞ。お前と同じ十六歳の時だ。私は一人で、福井県の敦賀から、長野県の安曇野まで、自転車で約四百キロを走る七泊八日の旅をしたんだ。決して忘れられない、自分の人生にとって大きな意味を持つ旅だったな」
 僕の目論見はもろくも崩れた。ケチのつけようがなかった。
 呆然としている僕の前で、なぜだか急に祖父の顔が優しくなった。
「なあ、隆史、お前、部屋に籠っていないで旅に出てみないか?お前の中で、何かが変わるかもしれないだろう。旅は良いぞ。人や物、毎日が新しい出会いの連続だ。その多くが一期一会の出会いだがな。でも、それもまた、貴重な経験だ。お前、一期一会とはどんな意味か知っているか?」
「茶道に由来する言葉で、一生に一度だけ会うという意味ですよね」
「ほう、良い学校に行っているだけあるな」
 初めて祖父に褒められた。
「隆史、ちょっと来てみろ」
 気乗りしなかったが、ついて行くしかなかった。僕は物置小屋の隅に連れていかれた。そこにはビニールのカバーが掛けられた何かが置かれていた。
「十六歳の夏、私はさっき言った一人旅の途中に、愛子に、お前の祖母に出会ったんだ」
 言いながら祖父はビニールのカバーに手を掛けられた。
「十六歳の夏、私はこれで旅をしたんだ」
言いながら祖父はカバーを取り去った。現れた祖父の自転車を見たその瞬間に目の前が真っ白になった。