「ついたよ」
歩くこと十数分の間
ゲイバーとはどんな場所なのか、お店でのルールみたいなものはあるのか、私はどんなテンションでいればいいのか
一気に酔いが醒めた私は、歩きスマホをしながらできる限りの予習をした
基本的には、ゲイの方々がお酒を飲みに集う場所。昔は女性禁制のところが多かったけど、今は女性もOKのお店の方が増えてきているらしい
ただ、口コミを見ると『女はママたちの攻撃対象』という言葉がちらほら目についた
その空間にいるだけで暴言を浴びせられるそうで……とりあえず、空気になっておけば“まだマシ”とのこと。酔いが回ったり仲が良くなったつもりになって、喋りすぎるのは絶対にNG
私は酔ってもそんなにテンションは変わらないから、きっと大丈夫だけども
それでも、ネットの記事を見ているだけで、既に心が折れそうだ……
「身構えなくても、言われた言葉を真に受けなきゃ大丈夫だって」
「そうやって割り切れるならとっくにやってる……」
「ま、もうここまで来ちゃったからね。行くよー」
「あーまって、心の準備が」
「待たない。それにもう遅い」
彼が重たそうな扉を開けると、若い店員さんが目の前に立っていた
ひょろっと細めの体型に薄い顔立ち。ごついピアスや派手な金髪が、非行少年っぽさを醸し出している
でも、表情は至って穏やか。愛想よく笑っている。どこにでもいる普通の人だ
「あら、ライ。久しぶりじゃない? いらっしゃーい」
「久しぶり。今日は連れがいるから、よろしく」
「はいはーい、いらっしゃいませ。ゆっくりしてね」
「あ、はい。ありがとうございます」
接客も普通
いや、普通よりもアットホームな感じ
お店に入ると、お客さんと店員さん、お客さん同士でそれぞれ盛り上がっていて、みんな楽しそうに笑っている
狭い空間に、幸せで充実した空間がぎゅっと濃縮されているみたい
身構えていたのが失礼だったと、反省すべきなくらいに
「見た目は普通のバーと変わらないけど、みんな常連だし仲がいいんだよね。ご新規さんが来たときも、積極的に輪に入れようとみんなで話しかけてるし。だから、お気に入り」
「雰囲気があったかいよね。店員さんも私が女なのに親切で、びっくりしちゃった」
「あー……それは人によるかも」
「それって」
どういう意味なのか。私はまだ油断しちゃダメってことなのか
苦笑いを浮かべる彼に、詳しくきこうとしたそのとき
「なーんだ。ライが女を連れてきたと思ったら、ブスじゃない」
「……え?」
突然投げられたあまりにもストレートな悪口に、思わず耳を疑った
ついさっきまで、カウンターからお客さんたちと親し気に話していた店員さん
今は口角を下げ、私に鋭い視線を突き刺している
急変っぷりに、反射的に言葉が出てこなくなった
「ライの彼女は、美容系ユーチューバーでもやってそうな美意識高め系を想像してたのに。こんなおブスよりも、アタシの方がお似合いよねぇ」
私の隣に座っている彼へ向かって、パチっと綺麗なウインクを飛ばした
その顔は自信たっぷりで、その自信に見合うくらいのお化粧が施されている
近くで見つめてても崩れが見当たらない肌に、ほんの少し主張の強いアイメイク
唇には強気な赤リップが塗られていて……私の手抜きメイクとは大違いだ
アイラインとかアイシャドウとか、塩梅がよくわからない
ついつい数秒で済ませてしまうことがほとんどで、そのスタイルこそをブスだと咎められているように感じる
……すごく惨めだ
「ママ。いじめるのはそこまでにして、俺の酒作ってよ」
「任せて! なに飲む?」
「ハイボールをなにかで割ったやつが飲みたいかな」
「おっけーよ。愛情を込めて作るわね」
彼からのオーダーに、途端に声色が明るくなるママ
わかりやすく冷遇されているこの状況に、足元から冷えていくような感覚を覚えた
なんだろう、今すぐに酔っぱらってすべてを有耶無耶にしてしまいたい
この状況を冷静に分析するから、つらくなるんだ。だったら、なにも考えられなくなるくらい酔っぱらってしまえばいい
ここに来ると決めたのは自分なのに、不貞腐れてしまうのは情けない話だけど……
「おねーさんはなに飲むの?」
「スクリュードライバーでお願いします」
「りょーかい。ママ、次スクリュードライバーね」
「……手が空いたらね」
最初に出迎えてくれた若い店員さんが、オーダーをとってくれた
ママは露骨に不愛想だけど、1つ目のドリンクを作り終わると、意外にもさくっと私の分も作ってくれた
なんだかんだ、店として最低限のサービスは提供してくれるらしい
目の前にコトリと置かれた大きめのドリンク
オレンジジュースとウォッカのバランスがちょうどいいし、よく混ざっていて普通においしい
「ママはいわゆるニューハーフってやつで、女として生まれてきた人たちに対する憧れとか嫉妬心が強いんだよね。だから、どうしてもあたりが強くなっちゃうんだと思う」
「そうそう。特にママは、『せっかく女に生まれたのに着飾れる特権を使わないなんて!』って怒っちゃうタイプだから。おねーさんみたいな質素な人は嫌いなんだよ」
そんなの、女の私からすれば『女に生まれたからって、着飾らなきゃいけないことはないのだから、好きにさせてくれ』と正直思う。でも、着飾る、着飾らないを自由に選択できるのは、私が女に生まれて当たり前に選ぶ権利を持っているからで……
男の人が着飾るという選択は、昔よりも増えてきてはいるけど、当たり前に浸透しているかと言えばそうではない。まだまだ、基本的には着飾らないというのが一般的
そのことを考えた上でママの立場に立つと、いかに私が贅沢な選択をしているのか、ママが苛立つのもわかるような気がする
