『今野、今何してる? 会社の飲み会で終電逃しちゃって、まだ駅の近くに住んでいて、もしも暇なら今日泊めてほしいです』
今野との関係は、このまま離れていって縁が途切れてしまうのかなと思っていた。
久しぶりに勇気をだして送ったLINEが、私の人生を再び鮮やかにした。
終電乗れなくて、良かったな――。
*
暑い日の夜、会社の飲み会で終電を逃した。居酒屋で時間を気にしながら職場の人たちと会話をしていたけれど、なかなか抜け出せなくて。解散後に間に合うかもと居酒屋から出ると駅まで急いだ。けれど、駅のホームに着いた瞬間に電車が出発してしまった。
私以外には誰もいない。ホームに響く電車の遠ざかる音と、静まり返った夜の空気。急に心細く感じてきた。
呆然としていると駅の近隣に住んでいるひとりの男が頭に浮かんでくる。
――あわよくば、また泊めてもらおうかな?
久しぶりにLINEを送った相手は、高校時代に仲の良かった同級生の男、今野勇征(こんのゆうせい)だ。友達以上恋人未満な関係の、微妙な関係だった人。そして私にとっては、最初で最後の恋をしていた人。今も未練がゼロだとはいえない。高校卒業してからも連絡を少しだけとっていたけれど、二十八歳になった今は全くしていなかった。駅の近くのマンションに彼は今も住んでいる、と思う。多分。
急に泊めて欲しいなんて、微妙だったかな?
断られる可能性の方が高いかな?
もしかしたら今、彼女がいるかもしれないし誘うこと自体が間違っていたかも?
もしも断られたら二十分ぐらい歩いた場所にあるネカフェで朝まで時間を潰したり、仮眠を取ればいい。あぁ、でも今日はヒールの高い靴だし、歩くのだるいかも。タクシーで行こうかな。
『家で映画みてた。駅まで迎えに行こうか?』
断られることを想定してあれこれ考えていると返事がきた。気持ちがふわっと軽くなる。と、同時に久しぶりに会うからか、緊張もしてきた。
『よろしくお願いします』
『了解!』
ベンチに座りながら瞬く星空を眺めていたら、バイクのエンジン音が徐々に近づいてきた。やがて姿も見えてきて、バイクを停めると今野は黒いヘルメットを脱ぎニカッと笑顔を見せてきた。
「美里(みさと)、久しぶりだな」
「ね、久しぶり。二年ぶりぐらい?」
「そうだな」
久しぶりに目と目が合う。頬がひきつり明らかに不自然だろうと思われる自分の笑顔。今野は私たちが出会った高校時代の時から一切変わってない。堂々としている雰囲気にサラサラな黒髪。とにかく凛としている佇まいだ。いや、でもよく見ると、大人になったのかな?
「ほい、ヘルメット」
今野から白いヘルメットを受け取ると被りながらバイクの後ろに跨いだ。バイクは走り出す。二十歳辺りの頃はよくこうやって、しょっちゅう後ろに乗せてもらっていたな。夜の街を走るバイクの振動と、頬を撫でる涼しい風が、懐かしい記憶を呼び起こした。
私は、ぎゅっと強く今野の腰を掴んだ。久しぶりに今野に触れた。彼に触れた私の指先は、熱を帯びていた。
向かい風も、心地よい――。
*
今野が住んでいるマンション前に着く。
「あ、ちょっとコンビニに寄ってもいい? 小腹すいたから夜食の唐揚げ買う」
「いいよ、私も食べたい」
「歩きでいい?」
「うん、いいよ」
返事をした後、彼は私の足元を見つめて「ちょっとだけ待ってて?」と、マンションの中にひとりで入っていった。少し経つと、黒いスニーカーを持ってきた。
「なれないヒール、足痛そうだから……」
「もう、なれたし。大丈夫だけど、スニーカーに履き替えるね、ありがとう」
就職したての頃、まだヒールの靴がなれていない時、よく今野の前で足が痛いと愚痴をこぼしていた。まだ覚えててくれたんだ。それに――
「……私のスニーカー、捨てないでとっておいてくれてたんだ?」
「うん、またいつか美里が家に来るだろうなって思って」
そうなんだ――私だけかな、会わなくなって日が経つごとにふたりの距離が離れていくと感じていたのは。
*
徒歩五分以内の場所にあるコンビニへ向かった。柔らかい夜風、生ぬるいのにいつもよりも気持ちよく感じる空気。並んだ住宅、公園……全てがいつもよりも綺麗な景色にみえる。それは隣に今野がいるからなのかな。コンビニで唐揚げとお酒を買うと、マンションに戻った。
マンションの五階の端にある今野の部屋。玄関のドアを開けると今野の香りが漂ってきた。言葉では表せない、今野だけの独特な香り。ふと最近雑誌で読んだ『いい香りと感じる相手とは、遺伝子レベルで相性が良い』という文章を思い出す。少なくとも私と今野の相性は悪くはないだろう。私はそう思っているけれど、今野は?
今野の顔を覗いてみた。今野がどう思っているのかは、謎。視線を部屋全体に移した。
あの時と変わらない、部屋の様子。
変わるもの、変わらないもの――。
「どうぞ」
「おじゃまします」
私は丁寧に今野の部屋を見回した。
「私の中で、一番変わってないものに再会して、なんか、安心した」
「どういうこと?」
表情をキョトンとさせながら今野は顔を傾げた。
「相変わらず、今野の部屋は汚いな」
強めなその言葉を吐き出すと、緊張感は一気にほどけていき、心の奥から笑みが溢れてきた。今野も一緒に笑ってくれた。
「相変わらず、はっきり言うな?」
「だって、元々はこういう性格だもん」
張り詰めていた目に見えない何かが解かれていくような感じ。私は手に持っていたバッグを床に置くと、ベージュの三人がけソファーに深く腰をかけ、深く息を吐いた。
「さて、少し休憩したら片付けようか」
「やっぱりそうなるんだ。久しぶりに俺ら会ったのに」
「だってこの部屋、今日も散らかり具合がすごいよ。というか、今野の家に遊びに来たらの恒例行事だからね」
私は立ち上がると、台所の棚にある大きなゴミ袋を出した。ゴミ袋の場所は、私が数年前にここの大掃除をして、ここが良いと勝手に設置した場所から変わってない。
「今野は、どうする? 寝ててもいいよ」
「俺も一緒にやるよ……」
「やるの? あの時は気がついたら寝ていたのに」
私が大きなゴミ袋をパサッと広げながら言うと、今野は苦笑いしながら台所に立ち、辺りを見回す。
「とりあえず俺は、ゴミ集めるかな」
「そうだね、私は床に散らばってる、必要な物っぽいのをまとめるね」
「ありがとう」
私はリビングであちこち散らかっている服をとりあえず畳んで一箇所に集めた。
「うわっ、なんかヤバそうなペットボトル出てきた」
「えっ、何?」
今野がいる台所へ行くと、彼が持っていたペットボトルの賞味期限を見る。私は思わず吹き出した。
「賞味期限が二年前! 今野、私と会わなくなってからもしかして片付け一回もしてなかったりする?」
「いや、さすがにしてるわ。最近忙しくてさ……って、言い訳になんないよね」
彼は頭をかきながら、ちょっと照れたように笑う。
「今野は、片付け以外は完璧なんだけどね」
「何、俺、完璧だと思われてるの? 嬉しいな」
「でも片付けが……」
「いや、本気だせば片付けなんて楽勝だし」
「本当に? 無理っぽいなぁ」
「本当だから。美里、見てて? 俺、本気出すから」
煽るとこうやってムキになっちゃうところ、昔から変わってないな。
「私、片付け楽しくなってきた」
「俺もなんか、楽しい」
私の人生の中で片付けが楽しくなることなんて、なかなかないだろう。むしろ面倒だから、自分の家は余計な物を買わないように普段は気をつけている。楽しいのは、今野の家だから。
部屋を綺麗にする目的が一緒なのも何だか嬉しいし、それに、今の今野を知れるから――。
服をまとめた後は、漫画本やDVDが散らばっている床に目をやる。
「棚に戻せばいいだけなのに、何故床に無造作に置くの?」
デジャブ。前にこの部屋を片付けた時にも同じ言葉を私は言った。そして、なんでかな?ってその時に今野は言っていたっけ。
「なんでかな?」
あの時と同じ言葉が返ってきた。今野は今野のままで、それを知るたびに私は安心する。今野と仲が良かった頃と今の私の周りの環境は、がらっと変わってしまっていたから。
散らばった漫画本とDVD。あの時あったものと、なかった物もある。今野が何を読んで、何を観ているのかをさりげなくチェックして、頭の中に題名を叩き込む。それからひとつにまとめて棚に戻した。
そしてとても気になることもチェックする。女の気配があるかないか。直接聞けばいいのだけど、このタイミングで聞いてしまって、もしも彼女がいると直接聞いてしまったら、帰らないと行けない気がするし、何よりもショックを受ける自分が想像できる。
――だって、今野と再会して、まだ彼に対する想いが残っている自分に気がついてしまっていたから。
結局、洗面所やトイレの細かいところまで、女のいる気配を探したけれども何も出てこなかった。そもそも今野は彼女のことをとても大切にしそうだし、もしもいたなら私を家にはあげないか。それに、こんなに散らかってはいなさそうだな。だけど、好きな人とかいたら――?
いや、今は片付けに集中しよう。
今野も真剣に掃除をし、あっという間に踏み場のなかった床も綺麗になったし、部屋全体の見栄えも良くなった。ふたりで部屋全体の綺麗さを確認し終わると、目を合わせ、同時に微笑み頷いた。
*
「美里、もう寝る?」
ソファーに座りながらリビングの壁時計を確認すると深夜二時。寝るのが勿体ないなと気持ちがよぎる。
「今野、明日、もう今日になるのか……仕事?」
「いや、休みだよ。美里は?」
「私も、休みだよ」
「どうしよう。ずっと起きてる?」
「そうしよっかな」
私の返事を聞くと今野はDVDをあさりだした。そしてまた床に無造作に置いていく。
「美里、さっきDVDの題名真剣に見てたけど、気になるのあったら今、観る?」
「うん、観たいかも。気になるというか、今野がオススメを選んでほしいな」
「分かった」
内容が気になるんじゃなくて、今野が何に興味があるのかが気になってたと言葉が出かかったけれど、心の中にだけにその言葉を収めた。
今野はDVDを眺めた後、結局「今俺のオススメは配信の方にあるかな」と、テレビのリモコンを持ち電源を点けた。映画配信アプリを起動させ、私の横に座る。久しぶりに隣に座って距離が近くて、私の心臓の音はひっそりと早くなる。どうにかして鎮まりたいと、私はDVDが再び散らかった場所を見る。
「それ、きちんと戻してよ。せっかく綺麗にしたのに」
「そうだよね、ごめん」と、今野は棚にDVDを戻した。
私が帰ったら、またすぐに散らかっちゃうんだろうな――。
テレビで流れ始めたのは、恋愛映画だ。
「これ、幽霊の女の人と人間の男の話なんだけどミステリー要素もあって、楽しいよ」
「そうなんだ、楽しみだな」
白くて大きなクッションを抱きしめながら私は画面の中の物語に集中しようとした。だけど、横にいる今野のことが気になりすぎて、集中できなかった。恋愛映画繋がりで、気になること聞いちゃおうかな。
「今野は今、恋人いるの?」
画面を眺めながら、でも意識は完全に今野の場所にある。
「いないよ」
「そうなんだ。好きな人とかは?」
「好きというか、一緒にいたいなって人は……いる」
私は勢いよく今野を見た。彼の視線は画面の中にあった。
「……そうなんだ、いるんだ」
「うん、いる」
今野はこっちを向いて、私たちは目が合う。
それ以上言葉を出すのが難しくなって、私は視線を彼からそらし、無言で画面を眺めた。映画の中の女性の悲鳴が部屋の中で響いた。
――そっか、いるんだ。
*
気がつけば私は座ったまま眠っていた。しかも彼の肩に私の頭がもたれかかって。
「あっ、ごめん」と勢いよく私は彼から離れる。
「うん、大丈夫だよ。美里、少しベッドで寝る?」
「そうしようかな……二十歳の頃は朝まで起きてるの平気だったのに、もう無理かも」
「分かる、そして最近は無理して起きてると、翌日には疲れがどっとくる」
「ね、今野と朝まで遊んでいた頃は全く次の日に疲れが来なくって、余裕で夜更かしできてたのになぁ……」
話しながら私はベッドの上に座った。
「今野、また一緒に、寝る?」
〝また一緒に〟
そう、私は今野と朝まで過ごして、朝方一緒にベッドの中に入って眠ったことがある。だけど純粋に眠るだけで、男女の身体の関係は一切なかった。私の方は意識していたけれど、きっと彼は私のことを一切意識していなかったから、多分。
『手を出しても、いいんだよ』と、眠っている今野の背中を見つめながら何度も思っていた。
「いや、俺はソファーで眠るからいいよ。美里だけベッドで寝な?」
「うん、分かった。ありがとう」
眠る時間が勿体なかったけど、眠気には勝てなくて少しだけ仮眠をとることにした。
*
目が覚めると、カーテンの向こう側にある優しい光が部屋の中に漏れていた。朝の五時半。ソファーの上で今野は起きていた。
「あれ、眠らなかったんだ」
「うん、なんか時間が勿体なくて」
「なんで? 私がいるから?」
「うん、そうだよ」
真剣な眼差しでこっちを見てきた今野。思いがけないところで男な雰囲気を出してきたから、思い切り心臓が跳ね上がった。なんとなく私はカーテンを少しだけ開き、外を眺めた。
「もう朝だ、始発で帰ろうかな?」
「いや、帰りも家まで送るよ」
今野が家まで送ってくれるだろうなとは思っていたし、送って?って頼もうかなと思っていたけれど、動揺しすぎちゃって始発で帰るとか言ってしまった。
「ありがとう。じゃあ帰る準備をするね」
外に出る準備を終えると、今野がバイクのキーを持つ。
――もう、終わりかぁ。
一緒にいた時間が幸せだった分、帰るのが切なくなる。部屋を出るとバイク置き場に着いた。
――寂しいな、まだ一緒にいたいな。
「ねぇ、少し歩いて散歩しない? コンビニで朝ご飯買おうかな」
「いいね」
私たちは歩いた。コンビニでは、ロールパンとマカロニサラダ、お茶を買った。その後も、まだ一緒にいたいからマンションには戻りたくなくて。今野の前を歩き、気がつけば公園に着いていた。ふたりで並んでベンチに座る。
「美里、また、終電逃したら連絡ちょうだい?」
「また泊めてくれるの?」
「うん、いつでも」
「だけど、なかなか終電逃すことってないかな……」
と言いながらも頭の中で、次の会社での飲み会はいつ頃あるかな?とか、今後の終電を逃す方法をぐるぐると考えてしまう。
「……終電逃してない時でも大丈夫だから」
「ありがとう、またその時は泊めてくれたお礼に片付けするね」
「うん、美里……」
今野は、再び真剣な表情でこっちを見つめてきた。そんな表情で見つめられるたびに私はドキッとする。
「なに?」
「一緒にいたい人って、美里だから」
「えっ?」
「俺、美里とまだ一緒にいたい」
珍しく甘えるような声。今野から言われた言葉が胸の辺りにすっと入ってきて、あたたかくなる。
「私も同じ気持ち、かな? じゃあさ、今日どっか遊びに行く? もし今野に予定がなかったらだけど」
「予定、何もないよ。どこ行こうか?」
「じゃあ、バイクで――」
終電を逃した夜のお陰で、今野との新しいスタートが訪れた。
鳥の囀る声や爽やかで涼しい風。
朝の空気も気持ちがよくて、完全に明るくなっていた景色は、さらに輝いていた。
今野との関係は、このまま離れていって縁が途切れてしまうのかなと思っていた。
久しぶりに勇気をだして送ったLINEが、私の人生を再び鮮やかにした。
終電乗れなくて、良かったな――。
*
暑い日の夜、会社の飲み会で終電を逃した。居酒屋で時間を気にしながら職場の人たちと会話をしていたけれど、なかなか抜け出せなくて。解散後に間に合うかもと居酒屋から出ると駅まで急いだ。けれど、駅のホームに着いた瞬間に電車が出発してしまった。
私以外には誰もいない。ホームに響く電車の遠ざかる音と、静まり返った夜の空気。急に心細く感じてきた。
呆然としていると駅の近隣に住んでいるひとりの男が頭に浮かんでくる。
――あわよくば、また泊めてもらおうかな?
久しぶりにLINEを送った相手は、高校時代に仲の良かった同級生の男、今野勇征(こんのゆうせい)だ。友達以上恋人未満な関係の、微妙な関係だった人。そして私にとっては、最初で最後の恋をしていた人。今も未練がゼロだとはいえない。高校卒業してからも連絡を少しだけとっていたけれど、二十八歳になった今は全くしていなかった。駅の近くのマンションに彼は今も住んでいる、と思う。多分。
急に泊めて欲しいなんて、微妙だったかな?
断られる可能性の方が高いかな?
もしかしたら今、彼女がいるかもしれないし誘うこと自体が間違っていたかも?
もしも断られたら二十分ぐらい歩いた場所にあるネカフェで朝まで時間を潰したり、仮眠を取ればいい。あぁ、でも今日はヒールの高い靴だし、歩くのだるいかも。タクシーで行こうかな。
『家で映画みてた。駅まで迎えに行こうか?』
断られることを想定してあれこれ考えていると返事がきた。気持ちがふわっと軽くなる。と、同時に久しぶりに会うからか、緊張もしてきた。
『よろしくお願いします』
『了解!』
ベンチに座りながら瞬く星空を眺めていたら、バイクのエンジン音が徐々に近づいてきた。やがて姿も見えてきて、バイクを停めると今野は黒いヘルメットを脱ぎニカッと笑顔を見せてきた。
「美里(みさと)、久しぶりだな」
「ね、久しぶり。二年ぶりぐらい?」
「そうだな」
久しぶりに目と目が合う。頬がひきつり明らかに不自然だろうと思われる自分の笑顔。今野は私たちが出会った高校時代の時から一切変わってない。堂々としている雰囲気にサラサラな黒髪。とにかく凛としている佇まいだ。いや、でもよく見ると、大人になったのかな?
「ほい、ヘルメット」
今野から白いヘルメットを受け取ると被りながらバイクの後ろに跨いだ。バイクは走り出す。二十歳辺りの頃はよくこうやって、しょっちゅう後ろに乗せてもらっていたな。夜の街を走るバイクの振動と、頬を撫でる涼しい風が、懐かしい記憶を呼び起こした。
私は、ぎゅっと強く今野の腰を掴んだ。久しぶりに今野に触れた。彼に触れた私の指先は、熱を帯びていた。
向かい風も、心地よい――。
*
今野が住んでいるマンション前に着く。
「あ、ちょっとコンビニに寄ってもいい? 小腹すいたから夜食の唐揚げ買う」
「いいよ、私も食べたい」
「歩きでいい?」
「うん、いいよ」
返事をした後、彼は私の足元を見つめて「ちょっとだけ待ってて?」と、マンションの中にひとりで入っていった。少し経つと、黒いスニーカーを持ってきた。
「なれないヒール、足痛そうだから……」
「もう、なれたし。大丈夫だけど、スニーカーに履き替えるね、ありがとう」
就職したての頃、まだヒールの靴がなれていない時、よく今野の前で足が痛いと愚痴をこぼしていた。まだ覚えててくれたんだ。それに――
「……私のスニーカー、捨てないでとっておいてくれてたんだ?」
「うん、またいつか美里が家に来るだろうなって思って」
そうなんだ――私だけかな、会わなくなって日が経つごとにふたりの距離が離れていくと感じていたのは。
*
徒歩五分以内の場所にあるコンビニへ向かった。柔らかい夜風、生ぬるいのにいつもよりも気持ちよく感じる空気。並んだ住宅、公園……全てがいつもよりも綺麗な景色にみえる。それは隣に今野がいるからなのかな。コンビニで唐揚げとお酒を買うと、マンションに戻った。
マンションの五階の端にある今野の部屋。玄関のドアを開けると今野の香りが漂ってきた。言葉では表せない、今野だけの独特な香り。ふと最近雑誌で読んだ『いい香りと感じる相手とは、遺伝子レベルで相性が良い』という文章を思い出す。少なくとも私と今野の相性は悪くはないだろう。私はそう思っているけれど、今野は?
今野の顔を覗いてみた。今野がどう思っているのかは、謎。視線を部屋全体に移した。
あの時と変わらない、部屋の様子。
変わるもの、変わらないもの――。
「どうぞ」
「おじゃまします」
私は丁寧に今野の部屋を見回した。
「私の中で、一番変わってないものに再会して、なんか、安心した」
「どういうこと?」
表情をキョトンとさせながら今野は顔を傾げた。
「相変わらず、今野の部屋は汚いな」
強めなその言葉を吐き出すと、緊張感は一気にほどけていき、心の奥から笑みが溢れてきた。今野も一緒に笑ってくれた。
「相変わらず、はっきり言うな?」
「だって、元々はこういう性格だもん」
張り詰めていた目に見えない何かが解かれていくような感じ。私は手に持っていたバッグを床に置くと、ベージュの三人がけソファーに深く腰をかけ、深く息を吐いた。
「さて、少し休憩したら片付けようか」
「やっぱりそうなるんだ。久しぶりに俺ら会ったのに」
「だってこの部屋、今日も散らかり具合がすごいよ。というか、今野の家に遊びに来たらの恒例行事だからね」
私は立ち上がると、台所の棚にある大きなゴミ袋を出した。ゴミ袋の場所は、私が数年前にここの大掃除をして、ここが良いと勝手に設置した場所から変わってない。
「今野は、どうする? 寝ててもいいよ」
「俺も一緒にやるよ……」
「やるの? あの時は気がついたら寝ていたのに」
私が大きなゴミ袋をパサッと広げながら言うと、今野は苦笑いしながら台所に立ち、辺りを見回す。
「とりあえず俺は、ゴミ集めるかな」
「そうだね、私は床に散らばってる、必要な物っぽいのをまとめるね」
「ありがとう」
私はリビングであちこち散らかっている服をとりあえず畳んで一箇所に集めた。
「うわっ、なんかヤバそうなペットボトル出てきた」
「えっ、何?」
今野がいる台所へ行くと、彼が持っていたペットボトルの賞味期限を見る。私は思わず吹き出した。
「賞味期限が二年前! 今野、私と会わなくなってからもしかして片付け一回もしてなかったりする?」
「いや、さすがにしてるわ。最近忙しくてさ……って、言い訳になんないよね」
彼は頭をかきながら、ちょっと照れたように笑う。
「今野は、片付け以外は完璧なんだけどね」
「何、俺、完璧だと思われてるの? 嬉しいな」
「でも片付けが……」
「いや、本気だせば片付けなんて楽勝だし」
「本当に? 無理っぽいなぁ」
「本当だから。美里、見てて? 俺、本気出すから」
煽るとこうやってムキになっちゃうところ、昔から変わってないな。
「私、片付け楽しくなってきた」
「俺もなんか、楽しい」
私の人生の中で片付けが楽しくなることなんて、なかなかないだろう。むしろ面倒だから、自分の家は余計な物を買わないように普段は気をつけている。楽しいのは、今野の家だから。
部屋を綺麗にする目的が一緒なのも何だか嬉しいし、それに、今の今野を知れるから――。
服をまとめた後は、漫画本やDVDが散らばっている床に目をやる。
「棚に戻せばいいだけなのに、何故床に無造作に置くの?」
デジャブ。前にこの部屋を片付けた時にも同じ言葉を私は言った。そして、なんでかな?ってその時に今野は言っていたっけ。
「なんでかな?」
あの時と同じ言葉が返ってきた。今野は今野のままで、それを知るたびに私は安心する。今野と仲が良かった頃と今の私の周りの環境は、がらっと変わってしまっていたから。
散らばった漫画本とDVD。あの時あったものと、なかった物もある。今野が何を読んで、何を観ているのかをさりげなくチェックして、頭の中に題名を叩き込む。それからひとつにまとめて棚に戻した。
そしてとても気になることもチェックする。女の気配があるかないか。直接聞けばいいのだけど、このタイミングで聞いてしまって、もしも彼女がいると直接聞いてしまったら、帰らないと行けない気がするし、何よりもショックを受ける自分が想像できる。
――だって、今野と再会して、まだ彼に対する想いが残っている自分に気がついてしまっていたから。
結局、洗面所やトイレの細かいところまで、女のいる気配を探したけれども何も出てこなかった。そもそも今野は彼女のことをとても大切にしそうだし、もしもいたなら私を家にはあげないか。それに、こんなに散らかってはいなさそうだな。だけど、好きな人とかいたら――?
いや、今は片付けに集中しよう。
今野も真剣に掃除をし、あっという間に踏み場のなかった床も綺麗になったし、部屋全体の見栄えも良くなった。ふたりで部屋全体の綺麗さを確認し終わると、目を合わせ、同時に微笑み頷いた。
*
「美里、もう寝る?」
ソファーに座りながらリビングの壁時計を確認すると深夜二時。寝るのが勿体ないなと気持ちがよぎる。
「今野、明日、もう今日になるのか……仕事?」
「いや、休みだよ。美里は?」
「私も、休みだよ」
「どうしよう。ずっと起きてる?」
「そうしよっかな」
私の返事を聞くと今野はDVDをあさりだした。そしてまた床に無造作に置いていく。
「美里、さっきDVDの題名真剣に見てたけど、気になるのあったら今、観る?」
「うん、観たいかも。気になるというか、今野がオススメを選んでほしいな」
「分かった」
内容が気になるんじゃなくて、今野が何に興味があるのかが気になってたと言葉が出かかったけれど、心の中にだけにその言葉を収めた。
今野はDVDを眺めた後、結局「今俺のオススメは配信の方にあるかな」と、テレビのリモコンを持ち電源を点けた。映画配信アプリを起動させ、私の横に座る。久しぶりに隣に座って距離が近くて、私の心臓の音はひっそりと早くなる。どうにかして鎮まりたいと、私はDVDが再び散らかった場所を見る。
「それ、きちんと戻してよ。せっかく綺麗にしたのに」
「そうだよね、ごめん」と、今野は棚にDVDを戻した。
私が帰ったら、またすぐに散らかっちゃうんだろうな――。
テレビで流れ始めたのは、恋愛映画だ。
「これ、幽霊の女の人と人間の男の話なんだけどミステリー要素もあって、楽しいよ」
「そうなんだ、楽しみだな」
白くて大きなクッションを抱きしめながら私は画面の中の物語に集中しようとした。だけど、横にいる今野のことが気になりすぎて、集中できなかった。恋愛映画繋がりで、気になること聞いちゃおうかな。
「今野は今、恋人いるの?」
画面を眺めながら、でも意識は完全に今野の場所にある。
「いないよ」
「そうなんだ。好きな人とかは?」
「好きというか、一緒にいたいなって人は……いる」
私は勢いよく今野を見た。彼の視線は画面の中にあった。
「……そうなんだ、いるんだ」
「うん、いる」
今野はこっちを向いて、私たちは目が合う。
それ以上言葉を出すのが難しくなって、私は視線を彼からそらし、無言で画面を眺めた。映画の中の女性の悲鳴が部屋の中で響いた。
――そっか、いるんだ。
*
気がつけば私は座ったまま眠っていた。しかも彼の肩に私の頭がもたれかかって。
「あっ、ごめん」と勢いよく私は彼から離れる。
「うん、大丈夫だよ。美里、少しベッドで寝る?」
「そうしようかな……二十歳の頃は朝まで起きてるの平気だったのに、もう無理かも」
「分かる、そして最近は無理して起きてると、翌日には疲れがどっとくる」
「ね、今野と朝まで遊んでいた頃は全く次の日に疲れが来なくって、余裕で夜更かしできてたのになぁ……」
話しながら私はベッドの上に座った。
「今野、また一緒に、寝る?」
〝また一緒に〟
そう、私は今野と朝まで過ごして、朝方一緒にベッドの中に入って眠ったことがある。だけど純粋に眠るだけで、男女の身体の関係は一切なかった。私の方は意識していたけれど、きっと彼は私のことを一切意識していなかったから、多分。
『手を出しても、いいんだよ』と、眠っている今野の背中を見つめながら何度も思っていた。
「いや、俺はソファーで眠るからいいよ。美里だけベッドで寝な?」
「うん、分かった。ありがとう」
眠る時間が勿体なかったけど、眠気には勝てなくて少しだけ仮眠をとることにした。
*
目が覚めると、カーテンの向こう側にある優しい光が部屋の中に漏れていた。朝の五時半。ソファーの上で今野は起きていた。
「あれ、眠らなかったんだ」
「うん、なんか時間が勿体なくて」
「なんで? 私がいるから?」
「うん、そうだよ」
真剣な眼差しでこっちを見てきた今野。思いがけないところで男な雰囲気を出してきたから、思い切り心臓が跳ね上がった。なんとなく私はカーテンを少しだけ開き、外を眺めた。
「もう朝だ、始発で帰ろうかな?」
「いや、帰りも家まで送るよ」
今野が家まで送ってくれるだろうなとは思っていたし、送って?って頼もうかなと思っていたけれど、動揺しすぎちゃって始発で帰るとか言ってしまった。
「ありがとう。じゃあ帰る準備をするね」
外に出る準備を終えると、今野がバイクのキーを持つ。
――もう、終わりかぁ。
一緒にいた時間が幸せだった分、帰るのが切なくなる。部屋を出るとバイク置き場に着いた。
――寂しいな、まだ一緒にいたいな。
「ねぇ、少し歩いて散歩しない? コンビニで朝ご飯買おうかな」
「いいね」
私たちは歩いた。コンビニでは、ロールパンとマカロニサラダ、お茶を買った。その後も、まだ一緒にいたいからマンションには戻りたくなくて。今野の前を歩き、気がつけば公園に着いていた。ふたりで並んでベンチに座る。
「美里、また、終電逃したら連絡ちょうだい?」
「また泊めてくれるの?」
「うん、いつでも」
「だけど、なかなか終電逃すことってないかな……」
と言いながらも頭の中で、次の会社での飲み会はいつ頃あるかな?とか、今後の終電を逃す方法をぐるぐると考えてしまう。
「……終電逃してない時でも大丈夫だから」
「ありがとう、またその時は泊めてくれたお礼に片付けするね」
「うん、美里……」
今野は、再び真剣な表情でこっちを見つめてきた。そんな表情で見つめられるたびに私はドキッとする。
「なに?」
「一緒にいたい人って、美里だから」
「えっ?」
「俺、美里とまだ一緒にいたい」
珍しく甘えるような声。今野から言われた言葉が胸の辺りにすっと入ってきて、あたたかくなる。
「私も同じ気持ち、かな? じゃあさ、今日どっか遊びに行く? もし今野に予定がなかったらだけど」
「予定、何もないよ。どこ行こうか?」
「じゃあ、バイクで――」
終電を逃した夜のお陰で、今野との新しいスタートが訪れた。
鳥の囀る声や爽やかで涼しい風。
朝の空気も気持ちがよくて、完全に明るくなっていた景色は、さらに輝いていた。



