2年生に上がり1ヶ月が経とうとしていた。
桜の花は舞い散り、ほとんどが葉桜になっている。それにこの間まで寒かった気温が、今は暖かさを帯びている。青く広がる空を見てそう思った。
「ふわぁ、眠たい……」
「俺もねみぃー」
心地良い暖かさが眠気を誘う。あくびを1つすると、鷹也もつられて大きなあくびをした。
鷹也とは引き続き同じクラスになった。一緒のクラスになれるように願った相手、琥珀くんとは残念ながら今年もクラスが分かれてしまった。
仕方ないと思っていても悲しいものは悲しいものだ。
考えないようにしようと机に突っ伏していると、廊下から大声を出しながら誰かが走ってくる音がする。
「きーさーらーぎーゆーきーとー!」
「え、ひばり先輩? どうしたんですか?」
僕らのクラスにやってきたのは、1年の時から所属している演劇部の新部長、3年生の睦月雲雀(むつきひばり)だった。
長い黒髪を三つ編みで結っており、赤ぶちの眼鏡が特長的でいかにもオタクって感じだ。
「どうしたのじゃないわよ。今日の放課後演劇部で集まるって連絡したのに来ないじゃない!」
「え、それって今日でしたっけ?」
「そうよ! もう一度確認してみなさい」
言われるがままにスマホを開き演劇部のグループチャットを開く。
確かに何件も来ていた連絡の中に、ひばり先輩からの【5月16日の放課後、文化祭の劇について話し合いする。全員部室集合!】と簡潔に書かれていた。
「確認し損ねてました、すみません! 鷹也、悪いけど先に帰ってて」
「あぁ、わかった」
僕はひばり先輩と共に演劇部の部室に向かった。
「じゃあ、みんな集まったことだし文化祭でする劇について話し合いましょ。これが終わったら帰っていいから」
みんなは早く帰れると聞いて懸命に話し合った。
初めは僕が主役でと推薦されたが、演劇部に入るための条件【できる限り舞台に立たず、裏方で手伝うこと】をひばり先輩は覚えていてくれたようで理由をつけて阻止してくれた。
「じゃあ、今年の文化祭は【呪われたウサギの王子と幸せを運ぶ姫】をします。これは過去に上演されたことのある人気作なので、少しだけ脚本変えて夏休みくらいには少しづつ取り掛かっていきますのでよろしく」
題材が決まり、予定を簡単に伝えたひばり先輩は「解散!」と大きな声を放ち、手をパンッと叩いた。
それに合わせて「お疲れさまでした」と部員が礼をして各々帰る準備を始めだした。
「雪兎、今日はありがとう」
「いえ、こちらこそ確認できなくてすみませんでした」
「いいのよ、私だってよくするし」
ひばり先輩は「好きな作品の情報漏らさないよう通知取ってるのに、たまにすり抜けてるときあるもの」と同じと解釈していいのか分からない内容を話してきた。
「あ、それでね。さっき衣装を見てきたんだけど、所々破れてたりしてるから直してほしいの。量が多いから早めに言っておくわね」
ひばり先輩から直す予定の衣装のメモを預かった。
どこを直さないといけないのか、実際に確認した方がよさそうだ。
「明日から取り掛かってもいいですか? 近づくにつれて皆さんをサポートするために手を空けておきたいですし」
「あら、そう言ってくれるなんて嬉しいわ! じゃあよろしくね、お疲れ様」
ひばり先輩は僕の肩をトントンと叩いて部室を出て行った。
「俺も帰るか」
通学鞄を肩にかけて部室を出た。廊下にいる生徒はおらず不思議な空間が広がっている。
明日から文化祭に向けて一足早く忙しくなる、気を引き締めよう。
僕は通学鞄を掛けなおして帰路に着いた。
◇
翌日、放課後僕は衣装の確認に演劇部の倉庫に向かった。
長年使われているそこは、舞台の背景セットや小道具類、衣装などが集められていた。たまに掃除しているとひばり先輩が言っていたが、どうにも埃っぽい。
「マスクしてきた方がよかったかもしれないな」
そう言いながらも前に足を出して、踏み場のない部屋へ入っていく。
たまにバランスを崩しそうになったりしたけど、ケガをせずに衣装のラックへ着くことができた。中世ヨーロッパの貴族が来そうな服や、ドレス、動物の着ぐるみまでそろえられている。
「大切に使われていたんだな。これなんて本来なら買い替えしたほうが早いはずなのに」
大切にされている衣装たちに感情移入したのか、僕の力で直すことを改めて決めた。
(先輩たちが繋いできたことを僕もできたらいいな)
メモに書かれていた衣装を空き段ボールに詰めて持ち出した。
教室にいると集中して作業がしずらい。どうしてそうなったのか、それは2年に上がってから周りの雰囲気が変わったからだ。
1年の時は周りからの視線が痛いほど刺さり、穴が開きそうだったのを今でも鮮明に覚えている。
だけど今はクラスメイトの女子や男子が囲むように話しかけてくるし、先輩や後輩にも話しかけられることが増えた。それに告白も。
誰にも邪魔されない場所を探していると屋上に繋がる階段の前に来ていた。この間鷹也と来た以来だった。
屋上は禁止されていないけど、入っている人を見たことがない。それは多分、階段の掃除をされてないゆえの暗さと怖さがあるからだと勝手に思っている。
「ここなら邪魔されることは無いよね」
僕は周りをキョロキョロ見て誰もいないか確認する。そして足を延ばし、少しづつ階段を上る。
なんだかいけないようなことをしている気がして、少しだけ気持ちが高ぶっている。
荷物を片手に持ち替えて、空いた手でドアノブを触って回した。錆びている扉はキィーと音を立てながら外に向かって開いた。
外の明るい光が目を眩くさせる。
外に出ると、広々とした世界が広がっていた。いつも歩いている通学路や公道、徒歩だと時間がかかる駅さえ近くに感じた。
それに、程よく涼しい風が何とも心地いい。
「気持ちいい、作業が捗りそうだ」
気分がいいうちに取り掛かってしまおうと裁縫のセットを広げて使う物を整えた。
まずは主役が使うウサギの着ぐるみを縫ってしまおう。これを直すことができたら戻せるだろうと、この時は呑気に考えていたものだ。
「できた! 王子様が被るし王冠もつけちゃった」
耳や顔回りのほつれていた部分を直し、お店で見つけてきたプラスチックの王冠を耳に通して固定させた。作ると決めたなら、よりよいクオリティーの物を作るがモットーの僕としても、過去一と言ってもいいほどお気に入りになった。
ウサギの着ぐるみを横に置き、次の修繕作業に入ろうとしていたら、さび付いたドアがキィーっと開いた。
僕は出入り口の建物の影に陣取っていたために気付かれることはないと思っていた。
「ふわぁ、いい天気であくびが出ちゃった……」
可愛らしい声が聞こえ、影からこっそり覗くとそこには琥珀くんがいたのだ。
(どうして琥珀くんがここに!? 気付かれる前に何とかしなければ。何とかって何をすれば……)
頭がパニック状態でどうすればいいのか分からない。頬がだんだん熱を帯びている気がしてきた。
症状が出てきてしまったらしい。
(琥珀くんが今こっちに気付いてしまったら、赤面してる変な男と会うことになる。それどころか「気持ち悪」とか言われたら立ち上がれそうにないよ……)
最悪パッと姿を現して去れば……。それは流石に失礼か。
どう考えても答えに辿りつかなかった僕は、手に当たったウサギの着ぐるみの目が合った。
(そうだ。これを被れば顔を合わしても赤面している事も僕だってこともバレることないから堂々としていられる)
この時、パニックが限界を迎えていて選択を間違っていたことに気が付かなかった。
いざウサギの着ぐるみを被ると、中は密集して空気がこもっている。よく夏になるとテレビで着ぐるみの中は熱中症になりやすいと言っていたが、確かにと実感している。
でも着ぐるみを被るのは今回の危機を乗り越えるためだけだから、今後被ることはないと思う。
「あれ、そこにいるのだぁれ?」
遠くにいたはずの琥珀くんが、こちらに気付いて向かってくる。
(大丈夫、大丈夫。絶対僕だってバレたりなんかしない)
微かに震える手を抑え、歯を食いしばった。
「あれ、ウサギ……さん? えっと迷子とか、ではなさそうだね」
周りに散らばっている裁縫道具を見て判断したのだろう。
「ウサギさんはこの学校の生徒で合ってるよね。名前は?」
「えっと、僕は雪兎です。雪ウサギと書いて雪兎」
「へぇー、珍しい名前だね。キミにピッタリだ」
頭をツンっと突かれて気付いた。確かに今の僕は、名は体を表したウサギだ。恥ずかしさのあまり下を向きたくなったが、クスクス笑う琥珀くんを見ていると悪意を感じず僕もつられて笑ってしまった。
「あーごめん、揶揄ってる訳じゃないんだ。嫌な思いをさせてたらごめんね」
「……嫌な、思いはしてないですよ。言われるまで、僕も気付かなかったから逆に面白かったです」
琥珀くんの目がトロンっと垂れ目になり、いつもは見えない歯が小さな口から覗かせている。
「それなら良かった。あ、もうこんな時間だ。稽古行かないと」
琥珀くんのポケットに入っていたスマホからアラームが鳴り、じゃあねと言って帰ってしまう。
(今なら、名前だけでも聞けるはずだ。勇気を出せ、如月雪兎!)
「あ、あの! 名前、聞いてもいいですか……」
(よく言った! 頑張った!)
「そういや聞いただけだったね。俺は2-4の霜月琥珀。また会えたらいいね」
琥珀くんは足早に校舎に続く階段を駆け降りた。降りた先を見つめていると「コラ、霜月走るな」「すみません!」とやり取りしている声が聞こえてきた。それにまた、フフッと僕は笑う。
◇
次の日も僕は引き続き衣装直しの作業をしていた。
琥珀くんと話すことができた思い出がモチベーションとなり、やる気に満ち溢れていた。
「よし、今日も頑張って進めるぞ!」
ふわふわした気持ちで屋上までの階段を駆け上がり、ドアを開ける。
変わらず風が吹いていて、気持ちがいい。
昨日の帰り際にドア前の置いていた衣装や裁縫のセットを持ち運び、昨日と同じ場所で作業をしていく。
針に糸を通し、チクチクと水色のドレスを直す。元の状態が困るほどボロボロでなかったお陰で、過剰な手入れをせずに済んで助かった。
さらに、直した所が分からないように上からレースを縫い付けて完成させた。
「うん、可愛くなった。次は……」
段ボールの中を覗き、簡単に手入れできるものを探していた。すると、ドアのキィーっと錆びた音が広がり、デジャヴ感を漂わせながらあの時と同じように身を隠した。
「あれ、今日はいないのかな」
聞き覚えのある声に視線を向けると、琥珀くんが立っている。
(2日続けて会えるなんて奇跡だ! じゃなくて、昨日で終わりじゃなかったの?!)
僕はダンボールに入れていたウサギの着ぐるみをもう一度被った。
(昨日倉庫に返そうと思ってたけど忘れて置いて帰った僕、グッジョブ)
こちらに来るかも分からないのに、傍から見ればおかしな奴と思われても仕方が無いだろう。
「あ、いた。今日もいるかなと思って来ちゃった。今日は何をしてるの? ゆっきー」
「え、あ、今日も演劇部の衣装を直していこうと思ってまして。でも今日は時間が要りそうなやつもしていこうかと……。ん? ゆっきーって僕のことですか?」
気付かれて話しかけられたことより、呼ばれた名前の方が気になった。
大体の人は、【如月くん】や【雪兎くん】とか呼ばれることが多い。幼馴染みの鷹也からも【雪兎】と呼ばれている。
「そうだよ、呼ばれたことない?」
「ないですね。下の名前や名字が多いから新鮮だなと」
「嫌じゃないならよかった。これからもここでそれ直したりするの?」
琥珀くんは衣装に指をさして問うてきた。僕はすぐに頷き肯定の意を示した。
「じゃあ、俺もここに来ようっと。風も気持ちいし、ゆっきーもいて飽きないしね」
まだ話すようになって1日しか経っていないのに、どうしてここまで信頼されているのだろう。
「でも僕は、話すの上手くないしこんな格好してるから琥珀くんに迷惑を……」
「そんなことは気にしないよ。ゆっきーだから一緒にいたいって思ったんだよ」
にこやかな笑顔がこちらを見ている。かわいい。
「これからよろしく、ゆっきー」
「よろしくお願いします。えっと、琥珀くん」
「うん! それじゃあ、まずは敬語なくそうな。ゆっきー同じ2年生でしょ?」
琥珀くんの無理難題を投げられる。
「わかりまし……いや、わかったよ琥珀くん」
鷹也やよく話す友達に接していると思いながら、敬語を外せるように頑張ろうと思った。
これから始まる琥珀くんと2人の時間がどんなものになるのか、想像できない。
話せることが楽しみなような、赤面しているとバレてしまうのが怖いような複雑な気持ちが渦巻いている。
(接点を持ちたいと思ってたんだから、これは最後のチャンスかもしれない! 頑張って仲良くなるぞ)
意気込んでいる僕と鼻歌を歌って楽しそうにしている琥珀くんの新しい空間が生まれた。
◇
あの日から放課後になると屋上に行って琥珀くんと話をするようになった。会う度に僕はウサギの着ぐるみを被り自分を護り、偽った。
先に着いている僕は、琥珀くんは今日も来るのかなと待ち遠しく顔を赤くして待っている。
「今日は遅いのかな」
足を折りたたむようにして座っていたが、このままずっと手を止めて待っているのは少しもったいない気がした。
本来の目的は衣装直しなのだから、請け負っている仕事はちゃんとしておかなければならない。
(待っている間は集中できるから衣装の直しをしてしまおう)
僕は今日も糸のついた針を使って手作業で縫っていく。1着目、2着目と簡単に縫い終わって3着目に入ろうとしたところで横から視線を感じた。
目を向けると、琥珀くんが口にキャンディーを咥えながら静かに見ていた。
「うおぉ!! びっくりしたー」
「あ、ごめん。声はかけたんだけど集中してるし邪魔するのもなって。それ可愛いね」
それとはひまわりのような鮮やかな黄色いドレス。色に似合った花があしらわれていて、男の僕から見ても可愛いと思える。
「今さっきまで直していたんだ。ここが虫食いで穴が開いてたんだけど、少しだけ繋ぎ合わせてリボンをつけて見たんだ。このリボンもお手製で」
ドレスを持って優しく撫でるように触っている琥珀くんは、クリーム色の髪が相まって着たら似合いそうだった。まぁ、そんなこと言ったら怒られるかもしれないけど。
「へぇー、可愛い。僕も欲しいな……」
僕は琥珀くんの小さな声を聞き逃さなかった。どうしてだか、その声には悲しみが含まれている様に感じた。
慰めてあげたい、笑ってほしいという気持ちで、用意していた箱の中から琥珀くんに似合いそうな空に似た水色のリボンを選び渡した。
「琥珀くん、これどうぞ」
「これは、衣装に使うんじゃ……」
「そのリボンは出会った時に直し終わったドレスので、作りすぎちゃったものだから。僕ならそれを髪飾りにもブローチにもできるよ。どうする?」
「……して」
「ん? 今なんて……」
「ブローチに、してほしい」
微かに頬を赤らめながら話す琥珀くんの姿は、上目遣いになっていて天使がいるみたいだ。
「もちろん、任せて! これだとシンプルだから琥珀くんに似合うように飾りを少しつけようか。この星のパーツをここにどうかな? あと、チェーンもつけて……」
「うん! それいい!」
初めて話が合った気がする。いつもの会話も楽しいけど今日は特に。そのせいか、僕もいつもより笑顔になっている、琥珀くんには見えてないのが残念だけど。
「そういえばずっと聞きたかったんだけど」
話の切り出し方が怖い。何か嫌な予感がする。そう野生の勘が告げている。
リボンにデコレーションを増やす手を止めないように、静かに喉を鳴らし気にしてないふり。
「どうしていつもウサギなんか被ってるの?」
(き、きちゃったかー)
いつかは来ると思っていた質問、思いのほか早く来て素直に『好きな人の前で赤面症を発症してしまう』なんて、そんなバカげたこと話せる勇気がない。
なんてごまかすのが自然だろう。悩みに悩んだ結果、嘘をつくことを選んだ。
「緊張すると赤面する傾向があって。家族や昔から一緒に過ごしている幼馴染は平気なんだけど、新しく関わったりする人に対してはまだ緊張するんだ。ごめんね」
なんともすらすらと回る口だろうか。呆れてため息をしたくなるが我慢して、心の中で土下座して謝った。
琥珀くんは何も呟かなくなった。そうだよな、こんなこと言われたってどうすればいいのか分からないよな。
「それは生活も大変だね」
「え?」
琥珀くんは引いたりするのではなく同情してくれる。
「だって、緊張するってことはストレスを感じているってことで。それでも頑張ろうとしてる証。だから、まずは褒めてあげないとな。ゆっきーはえらい!」
僕の頭(着ぐるみ)に小さい手を置いてクシャクシャと撫でまわしてきた。
思いがけない頭撫でに赤くなっている顔がより一層赤くなっている気がした。
触られていないのに撫でられているような感覚があって、こそばゆい。
「あり、がとう……」
「あ、俺が緊張せずに話せるように手伝ってやるよ。俺が毎日こうやって話してたら緊張しなくなるだろうしな」
嘘をついていることが申し訳ないくらいに無垢な笑顔がこちらに向けられる。
(ごめんね。僕が赤くなってしまうのは緊張からではなくキミに向けられた笑顔や声に反応してしまうからなんだけどね)
なんてそんなことは言えるはずもなく、一緒にいることができる時間を優先して答えを出してしまった。
「じゃあ、お願いします。琥珀くん」
◇
次の日、早く目が覚めた俺はいつもより1時間早く学校に来ていた。教室には誰もおらず、1人で待つしかない。
「今屋上に行っても琥珀くんはいないだろうな。そうだ、琥珀くんに渡すハンカチに刺繍入れて時間を潰しておこう」
昨日の帰りに駅前にある馴染みの手芸店で、糸や布を買い足していたのを持ってきていた。
デザインは髪色に合わせた薄い黄色と瞳に合わせた薄紫色でイニシャルを刺繍し、その周りに黄色の刺繍糸で琥珀くんの明るさをイメージしたひまわりにしようと考えている。
チャコペンで軽くイニシャルとひまわりを描き、その上に糸を通した針で一針一針想いを込めながら縫った。
「喜んでくれるといいな」
「おはよ。朝から熱中してんな」
夢中になっていたのか、鷹也に肩を叩かれるまでクラスメイトが教室に来ていたことは知らなかった。
「あ、鷹也おはよう。少し聞いてほしい話があるんだけどいい?」
「あぁ、いいぞ」
教室を離れて、階段まで来た。この階段はどこの教室からも遠くて使われる頻度が少なく人の通りも見てわかるように少ない。
(ここなら、誰も聞いてないから噂になったりすることはないはず)
「で、話って?」
「僕は選択を間違ったのかもしれない……」
「は?」
鷹也は何のことを言っているのかと顔をしかめている。話し方をミスった。
「最近、演劇部の衣装を屋上で直しているんだけど、そこに琥珀くんが来て話をする機会があるんだ」
「マジ……で? 話すこともできないって言ってた雪兎が?」
「いつも会うときはウサギの着ぐるみ着てるから僕の顔は知らないよ!」
鷹也の顔はよくわからないと言いたげな顔をし始めた。簡単にそうなった経緯を話すと、何となくだが納得してくれたらしい。
「それでね、赤面になってしまうことも話したんだ。だけど、琥珀くんを見たらなんて言えないから緊張するからって嘘を付いちゃったんだけど……」
「まぁいいんじゃないの。2人の時間取れて赤面しないように練習できて。雪兎にとったら一石二鳥ってことだ」
都合のいいこと言ってしまえばそうなのだが、僕しか徳をしていないようで申し訳なさが立ってしまう。
「自分だけもらってばかりって思うなら、何か喜ぶものを渡せばいいんじゃねぇの? 何かないの、好きって言ってたものとか」
(急にそう言われても……)
思考を巡らせながら、琥珀くんの好きなものを考えた。いつも会うのは放課後で、話しているだけ。
(僕はまだ、自分が思っているより琥珀くんのこと知らない……?)
そんなはずないと、話していた内容を1から思いだして考えてみる。ウサギの話、ドレスの話、リボンの話、ブローチの話。
「あ、可愛いもの」
「ん? 可愛いもの?」
「そうだよ! いつも会うとき僕は衣装の直しをしているんだけど、ドレスとか縫い終わったやつを見せると笑顔になってて、リボンやドレス可愛いって言ってた。だから可愛いものが好きなのかなって思ったんだけど……違うかな?」
先ほどまで縫っていたハンカチも琥珀くんに合わせて刺繍している。それに可愛いものを好きだと確信させたのはドレスを見せた時の哀しい声。
ブローチを渡しても、可愛いと言うよりカッコいいにデザインを寄せてしまっていた。何たる失態。
「僕、今刺繍してるハンカチと喜んでくれそうなもの渡してみる」
「何か手伝おうか」
「ううん、これは僕が考えたいから。相談乗ってくれてありがとう、鷹也」
「……別に。いつものことだろ」
「鷹也にも何かお礼しなくちゃだね。何がいい?」
「考えておく」
「あ、高いのはダメだからね」
「わかってるよ。ほら教室帰んぞ」
鷹也が教室に向かって歩きだした後ろを僕も歩く。鷹也は何が欲しいんだろうと考えた。
頼りになるお母さんみたいな心配性な性格、だけどどこか線を引かれていると知っている。そのくせ、顔が良いのを武器に寄ってくる女の子にはだらしがない。
「鷹也は、ちゃんとしてたらカッコいいのにね」
「何言ってんの? 俺はいつもカッコいいよ」
「そうだね」
長年一緒にいてもわからないことはまだまだある。琥珀くんとのこともそう。だけど、これから知っていきたいし、ありのままの僕も知ってほしいと思った。
桜の花は舞い散り、ほとんどが葉桜になっている。それにこの間まで寒かった気温が、今は暖かさを帯びている。青く広がる空を見てそう思った。
「ふわぁ、眠たい……」
「俺もねみぃー」
心地良い暖かさが眠気を誘う。あくびを1つすると、鷹也もつられて大きなあくびをした。
鷹也とは引き続き同じクラスになった。一緒のクラスになれるように願った相手、琥珀くんとは残念ながら今年もクラスが分かれてしまった。
仕方ないと思っていても悲しいものは悲しいものだ。
考えないようにしようと机に突っ伏していると、廊下から大声を出しながら誰かが走ってくる音がする。
「きーさーらーぎーゆーきーとー!」
「え、ひばり先輩? どうしたんですか?」
僕らのクラスにやってきたのは、1年の時から所属している演劇部の新部長、3年生の睦月雲雀(むつきひばり)だった。
長い黒髪を三つ編みで結っており、赤ぶちの眼鏡が特長的でいかにもオタクって感じだ。
「どうしたのじゃないわよ。今日の放課後演劇部で集まるって連絡したのに来ないじゃない!」
「え、それって今日でしたっけ?」
「そうよ! もう一度確認してみなさい」
言われるがままにスマホを開き演劇部のグループチャットを開く。
確かに何件も来ていた連絡の中に、ひばり先輩からの【5月16日の放課後、文化祭の劇について話し合いする。全員部室集合!】と簡潔に書かれていた。
「確認し損ねてました、すみません! 鷹也、悪いけど先に帰ってて」
「あぁ、わかった」
僕はひばり先輩と共に演劇部の部室に向かった。
「じゃあ、みんな集まったことだし文化祭でする劇について話し合いましょ。これが終わったら帰っていいから」
みんなは早く帰れると聞いて懸命に話し合った。
初めは僕が主役でと推薦されたが、演劇部に入るための条件【できる限り舞台に立たず、裏方で手伝うこと】をひばり先輩は覚えていてくれたようで理由をつけて阻止してくれた。
「じゃあ、今年の文化祭は【呪われたウサギの王子と幸せを運ぶ姫】をします。これは過去に上演されたことのある人気作なので、少しだけ脚本変えて夏休みくらいには少しづつ取り掛かっていきますのでよろしく」
題材が決まり、予定を簡単に伝えたひばり先輩は「解散!」と大きな声を放ち、手をパンッと叩いた。
それに合わせて「お疲れさまでした」と部員が礼をして各々帰る準備を始めだした。
「雪兎、今日はありがとう」
「いえ、こちらこそ確認できなくてすみませんでした」
「いいのよ、私だってよくするし」
ひばり先輩は「好きな作品の情報漏らさないよう通知取ってるのに、たまにすり抜けてるときあるもの」と同じと解釈していいのか分からない内容を話してきた。
「あ、それでね。さっき衣装を見てきたんだけど、所々破れてたりしてるから直してほしいの。量が多いから早めに言っておくわね」
ひばり先輩から直す予定の衣装のメモを預かった。
どこを直さないといけないのか、実際に確認した方がよさそうだ。
「明日から取り掛かってもいいですか? 近づくにつれて皆さんをサポートするために手を空けておきたいですし」
「あら、そう言ってくれるなんて嬉しいわ! じゃあよろしくね、お疲れ様」
ひばり先輩は僕の肩をトントンと叩いて部室を出て行った。
「俺も帰るか」
通学鞄を肩にかけて部室を出た。廊下にいる生徒はおらず不思議な空間が広がっている。
明日から文化祭に向けて一足早く忙しくなる、気を引き締めよう。
僕は通学鞄を掛けなおして帰路に着いた。
◇
翌日、放課後僕は衣装の確認に演劇部の倉庫に向かった。
長年使われているそこは、舞台の背景セットや小道具類、衣装などが集められていた。たまに掃除しているとひばり先輩が言っていたが、どうにも埃っぽい。
「マスクしてきた方がよかったかもしれないな」
そう言いながらも前に足を出して、踏み場のない部屋へ入っていく。
たまにバランスを崩しそうになったりしたけど、ケガをせずに衣装のラックへ着くことができた。中世ヨーロッパの貴族が来そうな服や、ドレス、動物の着ぐるみまでそろえられている。
「大切に使われていたんだな。これなんて本来なら買い替えしたほうが早いはずなのに」
大切にされている衣装たちに感情移入したのか、僕の力で直すことを改めて決めた。
(先輩たちが繋いできたことを僕もできたらいいな)
メモに書かれていた衣装を空き段ボールに詰めて持ち出した。
教室にいると集中して作業がしずらい。どうしてそうなったのか、それは2年に上がってから周りの雰囲気が変わったからだ。
1年の時は周りからの視線が痛いほど刺さり、穴が開きそうだったのを今でも鮮明に覚えている。
だけど今はクラスメイトの女子や男子が囲むように話しかけてくるし、先輩や後輩にも話しかけられることが増えた。それに告白も。
誰にも邪魔されない場所を探していると屋上に繋がる階段の前に来ていた。この間鷹也と来た以来だった。
屋上は禁止されていないけど、入っている人を見たことがない。それは多分、階段の掃除をされてないゆえの暗さと怖さがあるからだと勝手に思っている。
「ここなら邪魔されることは無いよね」
僕は周りをキョロキョロ見て誰もいないか確認する。そして足を延ばし、少しづつ階段を上る。
なんだかいけないようなことをしている気がして、少しだけ気持ちが高ぶっている。
荷物を片手に持ち替えて、空いた手でドアノブを触って回した。錆びている扉はキィーと音を立てながら外に向かって開いた。
外の明るい光が目を眩くさせる。
外に出ると、広々とした世界が広がっていた。いつも歩いている通学路や公道、徒歩だと時間がかかる駅さえ近くに感じた。
それに、程よく涼しい風が何とも心地いい。
「気持ちいい、作業が捗りそうだ」
気分がいいうちに取り掛かってしまおうと裁縫のセットを広げて使う物を整えた。
まずは主役が使うウサギの着ぐるみを縫ってしまおう。これを直すことができたら戻せるだろうと、この時は呑気に考えていたものだ。
「できた! 王子様が被るし王冠もつけちゃった」
耳や顔回りのほつれていた部分を直し、お店で見つけてきたプラスチックの王冠を耳に通して固定させた。作ると決めたなら、よりよいクオリティーの物を作るがモットーの僕としても、過去一と言ってもいいほどお気に入りになった。
ウサギの着ぐるみを横に置き、次の修繕作業に入ろうとしていたら、さび付いたドアがキィーっと開いた。
僕は出入り口の建物の影に陣取っていたために気付かれることはないと思っていた。
「ふわぁ、いい天気であくびが出ちゃった……」
可愛らしい声が聞こえ、影からこっそり覗くとそこには琥珀くんがいたのだ。
(どうして琥珀くんがここに!? 気付かれる前に何とかしなければ。何とかって何をすれば……)
頭がパニック状態でどうすればいいのか分からない。頬がだんだん熱を帯びている気がしてきた。
症状が出てきてしまったらしい。
(琥珀くんが今こっちに気付いてしまったら、赤面してる変な男と会うことになる。それどころか「気持ち悪」とか言われたら立ち上がれそうにないよ……)
最悪パッと姿を現して去れば……。それは流石に失礼か。
どう考えても答えに辿りつかなかった僕は、手に当たったウサギの着ぐるみの目が合った。
(そうだ。これを被れば顔を合わしても赤面している事も僕だってこともバレることないから堂々としていられる)
この時、パニックが限界を迎えていて選択を間違っていたことに気が付かなかった。
いざウサギの着ぐるみを被ると、中は密集して空気がこもっている。よく夏になるとテレビで着ぐるみの中は熱中症になりやすいと言っていたが、確かにと実感している。
でも着ぐるみを被るのは今回の危機を乗り越えるためだけだから、今後被ることはないと思う。
「あれ、そこにいるのだぁれ?」
遠くにいたはずの琥珀くんが、こちらに気付いて向かってくる。
(大丈夫、大丈夫。絶対僕だってバレたりなんかしない)
微かに震える手を抑え、歯を食いしばった。
「あれ、ウサギ……さん? えっと迷子とか、ではなさそうだね」
周りに散らばっている裁縫道具を見て判断したのだろう。
「ウサギさんはこの学校の生徒で合ってるよね。名前は?」
「えっと、僕は雪兎です。雪ウサギと書いて雪兎」
「へぇー、珍しい名前だね。キミにピッタリだ」
頭をツンっと突かれて気付いた。確かに今の僕は、名は体を表したウサギだ。恥ずかしさのあまり下を向きたくなったが、クスクス笑う琥珀くんを見ていると悪意を感じず僕もつられて笑ってしまった。
「あーごめん、揶揄ってる訳じゃないんだ。嫌な思いをさせてたらごめんね」
「……嫌な、思いはしてないですよ。言われるまで、僕も気付かなかったから逆に面白かったです」
琥珀くんの目がトロンっと垂れ目になり、いつもは見えない歯が小さな口から覗かせている。
「それなら良かった。あ、もうこんな時間だ。稽古行かないと」
琥珀くんのポケットに入っていたスマホからアラームが鳴り、じゃあねと言って帰ってしまう。
(今なら、名前だけでも聞けるはずだ。勇気を出せ、如月雪兎!)
「あ、あの! 名前、聞いてもいいですか……」
(よく言った! 頑張った!)
「そういや聞いただけだったね。俺は2-4の霜月琥珀。また会えたらいいね」
琥珀くんは足早に校舎に続く階段を駆け降りた。降りた先を見つめていると「コラ、霜月走るな」「すみません!」とやり取りしている声が聞こえてきた。それにまた、フフッと僕は笑う。
◇
次の日も僕は引き続き衣装直しの作業をしていた。
琥珀くんと話すことができた思い出がモチベーションとなり、やる気に満ち溢れていた。
「よし、今日も頑張って進めるぞ!」
ふわふわした気持ちで屋上までの階段を駆け上がり、ドアを開ける。
変わらず風が吹いていて、気持ちがいい。
昨日の帰り際にドア前の置いていた衣装や裁縫のセットを持ち運び、昨日と同じ場所で作業をしていく。
針に糸を通し、チクチクと水色のドレスを直す。元の状態が困るほどボロボロでなかったお陰で、過剰な手入れをせずに済んで助かった。
さらに、直した所が分からないように上からレースを縫い付けて完成させた。
「うん、可愛くなった。次は……」
段ボールの中を覗き、簡単に手入れできるものを探していた。すると、ドアのキィーっと錆びた音が広がり、デジャヴ感を漂わせながらあの時と同じように身を隠した。
「あれ、今日はいないのかな」
聞き覚えのある声に視線を向けると、琥珀くんが立っている。
(2日続けて会えるなんて奇跡だ! じゃなくて、昨日で終わりじゃなかったの?!)
僕はダンボールに入れていたウサギの着ぐるみをもう一度被った。
(昨日倉庫に返そうと思ってたけど忘れて置いて帰った僕、グッジョブ)
こちらに来るかも分からないのに、傍から見ればおかしな奴と思われても仕方が無いだろう。
「あ、いた。今日もいるかなと思って来ちゃった。今日は何をしてるの? ゆっきー」
「え、あ、今日も演劇部の衣装を直していこうと思ってまして。でも今日は時間が要りそうなやつもしていこうかと……。ん? ゆっきーって僕のことですか?」
気付かれて話しかけられたことより、呼ばれた名前の方が気になった。
大体の人は、【如月くん】や【雪兎くん】とか呼ばれることが多い。幼馴染みの鷹也からも【雪兎】と呼ばれている。
「そうだよ、呼ばれたことない?」
「ないですね。下の名前や名字が多いから新鮮だなと」
「嫌じゃないならよかった。これからもここでそれ直したりするの?」
琥珀くんは衣装に指をさして問うてきた。僕はすぐに頷き肯定の意を示した。
「じゃあ、俺もここに来ようっと。風も気持ちいし、ゆっきーもいて飽きないしね」
まだ話すようになって1日しか経っていないのに、どうしてここまで信頼されているのだろう。
「でも僕は、話すの上手くないしこんな格好してるから琥珀くんに迷惑を……」
「そんなことは気にしないよ。ゆっきーだから一緒にいたいって思ったんだよ」
にこやかな笑顔がこちらを見ている。かわいい。
「これからよろしく、ゆっきー」
「よろしくお願いします。えっと、琥珀くん」
「うん! それじゃあ、まずは敬語なくそうな。ゆっきー同じ2年生でしょ?」
琥珀くんの無理難題を投げられる。
「わかりまし……いや、わかったよ琥珀くん」
鷹也やよく話す友達に接していると思いながら、敬語を外せるように頑張ろうと思った。
これから始まる琥珀くんと2人の時間がどんなものになるのか、想像できない。
話せることが楽しみなような、赤面しているとバレてしまうのが怖いような複雑な気持ちが渦巻いている。
(接点を持ちたいと思ってたんだから、これは最後のチャンスかもしれない! 頑張って仲良くなるぞ)
意気込んでいる僕と鼻歌を歌って楽しそうにしている琥珀くんの新しい空間が生まれた。
◇
あの日から放課後になると屋上に行って琥珀くんと話をするようになった。会う度に僕はウサギの着ぐるみを被り自分を護り、偽った。
先に着いている僕は、琥珀くんは今日も来るのかなと待ち遠しく顔を赤くして待っている。
「今日は遅いのかな」
足を折りたたむようにして座っていたが、このままずっと手を止めて待っているのは少しもったいない気がした。
本来の目的は衣装直しなのだから、請け負っている仕事はちゃんとしておかなければならない。
(待っている間は集中できるから衣装の直しをしてしまおう)
僕は今日も糸のついた針を使って手作業で縫っていく。1着目、2着目と簡単に縫い終わって3着目に入ろうとしたところで横から視線を感じた。
目を向けると、琥珀くんが口にキャンディーを咥えながら静かに見ていた。
「うおぉ!! びっくりしたー」
「あ、ごめん。声はかけたんだけど集中してるし邪魔するのもなって。それ可愛いね」
それとはひまわりのような鮮やかな黄色いドレス。色に似合った花があしらわれていて、男の僕から見ても可愛いと思える。
「今さっきまで直していたんだ。ここが虫食いで穴が開いてたんだけど、少しだけ繋ぎ合わせてリボンをつけて見たんだ。このリボンもお手製で」
ドレスを持って優しく撫でるように触っている琥珀くんは、クリーム色の髪が相まって着たら似合いそうだった。まぁ、そんなこと言ったら怒られるかもしれないけど。
「へぇー、可愛い。僕も欲しいな……」
僕は琥珀くんの小さな声を聞き逃さなかった。どうしてだか、その声には悲しみが含まれている様に感じた。
慰めてあげたい、笑ってほしいという気持ちで、用意していた箱の中から琥珀くんに似合いそうな空に似た水色のリボンを選び渡した。
「琥珀くん、これどうぞ」
「これは、衣装に使うんじゃ……」
「そのリボンは出会った時に直し終わったドレスので、作りすぎちゃったものだから。僕ならそれを髪飾りにもブローチにもできるよ。どうする?」
「……して」
「ん? 今なんて……」
「ブローチに、してほしい」
微かに頬を赤らめながら話す琥珀くんの姿は、上目遣いになっていて天使がいるみたいだ。
「もちろん、任せて! これだとシンプルだから琥珀くんに似合うように飾りを少しつけようか。この星のパーツをここにどうかな? あと、チェーンもつけて……」
「うん! それいい!」
初めて話が合った気がする。いつもの会話も楽しいけど今日は特に。そのせいか、僕もいつもより笑顔になっている、琥珀くんには見えてないのが残念だけど。
「そういえばずっと聞きたかったんだけど」
話の切り出し方が怖い。何か嫌な予感がする。そう野生の勘が告げている。
リボンにデコレーションを増やす手を止めないように、静かに喉を鳴らし気にしてないふり。
「どうしていつもウサギなんか被ってるの?」
(き、きちゃったかー)
いつかは来ると思っていた質問、思いのほか早く来て素直に『好きな人の前で赤面症を発症してしまう』なんて、そんなバカげたこと話せる勇気がない。
なんてごまかすのが自然だろう。悩みに悩んだ結果、嘘をつくことを選んだ。
「緊張すると赤面する傾向があって。家族や昔から一緒に過ごしている幼馴染は平気なんだけど、新しく関わったりする人に対してはまだ緊張するんだ。ごめんね」
なんともすらすらと回る口だろうか。呆れてため息をしたくなるが我慢して、心の中で土下座して謝った。
琥珀くんは何も呟かなくなった。そうだよな、こんなこと言われたってどうすればいいのか分からないよな。
「それは生活も大変だね」
「え?」
琥珀くんは引いたりするのではなく同情してくれる。
「だって、緊張するってことはストレスを感じているってことで。それでも頑張ろうとしてる証。だから、まずは褒めてあげないとな。ゆっきーはえらい!」
僕の頭(着ぐるみ)に小さい手を置いてクシャクシャと撫でまわしてきた。
思いがけない頭撫でに赤くなっている顔がより一層赤くなっている気がした。
触られていないのに撫でられているような感覚があって、こそばゆい。
「あり、がとう……」
「あ、俺が緊張せずに話せるように手伝ってやるよ。俺が毎日こうやって話してたら緊張しなくなるだろうしな」
嘘をついていることが申し訳ないくらいに無垢な笑顔がこちらに向けられる。
(ごめんね。僕が赤くなってしまうのは緊張からではなくキミに向けられた笑顔や声に反応してしまうからなんだけどね)
なんてそんなことは言えるはずもなく、一緒にいることができる時間を優先して答えを出してしまった。
「じゃあ、お願いします。琥珀くん」
◇
次の日、早く目が覚めた俺はいつもより1時間早く学校に来ていた。教室には誰もおらず、1人で待つしかない。
「今屋上に行っても琥珀くんはいないだろうな。そうだ、琥珀くんに渡すハンカチに刺繍入れて時間を潰しておこう」
昨日の帰りに駅前にある馴染みの手芸店で、糸や布を買い足していたのを持ってきていた。
デザインは髪色に合わせた薄い黄色と瞳に合わせた薄紫色でイニシャルを刺繍し、その周りに黄色の刺繍糸で琥珀くんの明るさをイメージしたひまわりにしようと考えている。
チャコペンで軽くイニシャルとひまわりを描き、その上に糸を通した針で一針一針想いを込めながら縫った。
「喜んでくれるといいな」
「おはよ。朝から熱中してんな」
夢中になっていたのか、鷹也に肩を叩かれるまでクラスメイトが教室に来ていたことは知らなかった。
「あ、鷹也おはよう。少し聞いてほしい話があるんだけどいい?」
「あぁ、いいぞ」
教室を離れて、階段まで来た。この階段はどこの教室からも遠くて使われる頻度が少なく人の通りも見てわかるように少ない。
(ここなら、誰も聞いてないから噂になったりすることはないはず)
「で、話って?」
「僕は選択を間違ったのかもしれない……」
「は?」
鷹也は何のことを言っているのかと顔をしかめている。話し方をミスった。
「最近、演劇部の衣装を屋上で直しているんだけど、そこに琥珀くんが来て話をする機会があるんだ」
「マジ……で? 話すこともできないって言ってた雪兎が?」
「いつも会うときはウサギの着ぐるみ着てるから僕の顔は知らないよ!」
鷹也の顔はよくわからないと言いたげな顔をし始めた。簡単にそうなった経緯を話すと、何となくだが納得してくれたらしい。
「それでね、赤面になってしまうことも話したんだ。だけど、琥珀くんを見たらなんて言えないから緊張するからって嘘を付いちゃったんだけど……」
「まぁいいんじゃないの。2人の時間取れて赤面しないように練習できて。雪兎にとったら一石二鳥ってことだ」
都合のいいこと言ってしまえばそうなのだが、僕しか徳をしていないようで申し訳なさが立ってしまう。
「自分だけもらってばかりって思うなら、何か喜ぶものを渡せばいいんじゃねぇの? 何かないの、好きって言ってたものとか」
(急にそう言われても……)
思考を巡らせながら、琥珀くんの好きなものを考えた。いつも会うのは放課後で、話しているだけ。
(僕はまだ、自分が思っているより琥珀くんのこと知らない……?)
そんなはずないと、話していた内容を1から思いだして考えてみる。ウサギの話、ドレスの話、リボンの話、ブローチの話。
「あ、可愛いもの」
「ん? 可愛いもの?」
「そうだよ! いつも会うとき僕は衣装の直しをしているんだけど、ドレスとか縫い終わったやつを見せると笑顔になってて、リボンやドレス可愛いって言ってた。だから可愛いものが好きなのかなって思ったんだけど……違うかな?」
先ほどまで縫っていたハンカチも琥珀くんに合わせて刺繍している。それに可愛いものを好きだと確信させたのはドレスを見せた時の哀しい声。
ブローチを渡しても、可愛いと言うよりカッコいいにデザインを寄せてしまっていた。何たる失態。
「僕、今刺繍してるハンカチと喜んでくれそうなもの渡してみる」
「何か手伝おうか」
「ううん、これは僕が考えたいから。相談乗ってくれてありがとう、鷹也」
「……別に。いつものことだろ」
「鷹也にも何かお礼しなくちゃだね。何がいい?」
「考えておく」
「あ、高いのはダメだからね」
「わかってるよ。ほら教室帰んぞ」
鷹也が教室に向かって歩きだした後ろを僕も歩く。鷹也は何が欲しいんだろうと考えた。
頼りになるお母さんみたいな心配性な性格、だけどどこか線を引かれていると知っている。そのくせ、顔が良いのを武器に寄ってくる女の子にはだらしがない。
「鷹也は、ちゃんとしてたらカッコいいのにね」
「何言ってんの? 俺はいつもカッコいいよ」
「そうだね」
長年一緒にいてもわからないことはまだまだある。琥珀くんとのこともそう。だけど、これから知っていきたいし、ありのままの僕も知ってほしいと思った。

