「じゃあ帰りは電車で帰るからー。」

 そう言ってユウタが助手席を降りたのは18時少し前の出来事だった。
 4月最初の金曜日。
 この春、転勤でこの街に越してきたユウタは歓迎される側として、職場の歓迎会に参加した。

 「小泉ユウタです。よろしくお願いします。」

 長ーい机のお座敷で、誰が上司で、誰が年上で、誰と挨拶しなくちゃとか、そんなことばかり考え、ひたすらグラスを合わせた。ユウタが元いた席に戻ってみると、箸はなくなり、刺身は干からび、ラストオーダーの声がかかった。

 「ビールの方…。」

 勢いよく右手を真っ直ぐにあげる。
 半分くらい入っていたビールを一気飲みする。

 ぐー。

 *

 二次会は管理職抜きで街のスナックに。

 「じゃあ、ハイボールお願いします。」

 ユウタは注文をとりにきたママにそう言った。

 カラオケを入れる若い衆。その中にユウタも入っている。機械が回ってきたら年上ウケのいい演歌を入れておく。

 〜オラこんな村イヤだ、オラこんな村イヤだ〜

 案の定、50オーバーの上司たちに大ウケ。

 「じゃあユウタくん。これもいっちゃって!」

 「えぇ、マジっすか?」

 と言いながらもおにぎりダンスを始める。

 好きなもの・こと:○KB

 歓迎会のしおり、ユウタの自己紹介にはそう書いてある。もちろん情報ソースはユウタ。
 有名な曲を3曲ほど入れられて、自席に戻ると、誰かが注文したのかお通しなのか、豆菓子と茎わかめの小袋が銀の皿に入っていた。ハイボールのグラスは汗をかいてコースターがびしょ濡れになり、「スナックさざなみ」の文字がにじんでいた。

 *

 「ユウタさん、シメ、行かないっすか?」

 「あ、あぁ。」

 ユウタをラーメンに誘い出したのは三村という新卒2年目の若者だった。ユウタの返事は「はい」か「イエス」かしかない。
 三村は手当たり次第に若い衆に声をかけ、5人を引き連れて行きつけのラーメン屋のノレンをくぐった。

 「おやっさん、シオ5つ!」

 「あいよぉ。」

 三村は若い衆には確認もなく、入ってすぐに注文した。店内に客はなく、この5人が入ればほぼ満席という、カウンターだけのラーメン屋。
 店主も客の様子すら確認せず、外側が赤く塗られたどんぶりを5つ並べ、焦げ茶色のスープ原液をすくって入れていく。

 「エリちゃん、どう? 慣れた?」

 「ええ、まあ。」

 まだ社会人4日目。新卒のエリに三村が水を注ぎながら聞いた。エリはどこで習ってきたのか、社会人4日目としては上出来の作り笑いでその場を切り抜けている。

 「ちょっと、俺、味噌派なんだけど。」

 「あ、すいませーん。つい、クセで。」

 水を片手にユウタがチクリと刺したトゲは、三村には刺さらないようだ。

 「はいよ。シオ、お待ちぃ。」

 「うぉ! マジっすか。」

 ユウタと同じく経験者として他店から異動してきた石井がこぼす。

 「ね! このラーメン、食べなきゃ損でしょ。」

 三村が得意げに割り箸を割って、湯気の隙間から黄金色の麺をすくいだす。

 「ラーメン食べんならここだべな。」

 石井ともう1人のつれ、坂田は北海道の函館出身だった。

 「夜限定っすけど、無休っす。」

 店主はそれだけ言うと、また厨房の丸椅子に腰をかけた。

 *

 ラーメンは坂田のおごりになった。この中で最年長の40歳ということもあり、底まで透き通る塩に感動したのもあり。

 「じゃ、コンビニ寄って帰るわ。また来週。」

 「いやぁ、シオラーメン、食べてもらえてよかったぁ。じゃあ、俺、すぐそこなんで。」

 三村は軽く会釈をして、電柱の街灯がたよりの営業終了した繁華街に消えた。
 石井はその間、ずっとスマホを気にしていた。ロック画面には赤ちゃんが笑っている。

 たぶんピンク色のパステルカラーな軽自動車が3人の前に停まった。

 「じゃあ、お疲れさまです。」

 石井が助手席のドアを開ける。

 ンギャー!!!

 「ちょっと、あんた。お2人は?」

 「あ、帰り、どうする?」

 運転席の女性にそう言われて、石井が乗るのを一時停止する。

 「あ、電車で帰るから。」

 「私も。」

 ユウタの返しにエリも便乗する。

 「ん。じゃ、また。」

 石井が乗った軽自動車に2人で頭を下げる。車からは相変わらず泣き声が聞こえ、出る気配がない。助手席の窓が開いた。

 「なんか、奥さんが『もう電車ない』って言ってんだけど。」