私は、巫女装束を身に纏い、産まれ故郷にやってきた。

 一年以上かけて旅を続けていたので、寄り道しないにしても半年はかかるかと思っていた。しかし、新羅の背に乗せてもらい、鳥よりも速いスピードで移動すれば、ものの三日で到着してしまった。

「朝霧、大丈夫。俺が付いてる」

 新羅に手を握られ、自分が震えていたことに気が付いた。

 新羅は、ニッと笑って言った。

「これが終わったら、今度は俺に付き合ってくれ」

「新羅様に?」

「神龍に、俺の嫁を自慢したい」

「それって……まさか、天上界とかいうところですか!?」

「そうだ。何ならあっちで暮らすのも悪くない。平和だぞ」

「いや、その……」

 平和なのは有難い。しかし、天上界なんて畏れ多いところに、私なんかが足を踏み入れても良いのだろうか。いや、ダメな気がする。でも、新羅は付いて来てくれているし……。

 ぐるぐると考えていたら、新羅がフッと笑った。

「震え、止まったな」

「あ……本当だ」

 震えは止まり、笑うことも出来そうだ。

 実家に帰るくらい、天上界に行くと思えばどうってことない。私の旦那様を自慢しに行くだけだ。それに今、私は我が村では特別な夕霧。そう、私は夕霧。

「新羅様、行きましょう」

 自分に言い聞かせながら、新羅と共に村の中を歩いた。

 懐かしい田畑。懐かしい匂い。そして、懐かしい声が聞こえて来た。

「夕霧だ! 夕霧が帰って来たぞ!」

「おお、立派になって」

「流石は、我が村の巫女様じゃ」

 いつもは、透明人間になって聞いていた声。まさか自分に向けて発せられる時が来ようとは。

 村の人々の声を聞いて、両親も家の中から顔を覗かせた。

「夕霧!」

「お母ちゃん、お父ちゃん」

 両親に抱きしめられ、温かい気持ちになる。朝霧の時には、物心ついた時には抱きしめられることはなかったから。いつも羨ましいと思って見ているだけだった。

 母が新羅に気が付いた。

「夕霧、このお方は?」

「私の旦那様です」

 照れながら言えば、新羅は堂々とした立ち居振る舞いで言った。

「新羅だ。宜しく頼む」

「え? 何処の将軍様でしょうか。それとも大名様でしょうか」

 新羅は、随分と高貴な服を着ているので、誰もがそう思う。

 ちなみに、角は自由自在に出し入れ可能らしい。二人きりでない時は、極力隠している。

「それより、夕霧……結婚したら巫女様になれないんじゃ……」

 母だけでなく、皆がそう思っているようだ。表情が険しくなっている。

 それを払拭するように、新羅が何やら上空からキラキラしたものを降らせながら、角をニョキニョキっと出した。

「案ずるな。俺は神鬼(しんき)、いわゆる神だ」

 皆が呆気に取られ、私と新羅を交互に見た。

 私が初めて新羅の正体を知った時は、あやかしと勘違いして恐怖一色だった。しかし、今回は新羅の着物も返り血で汚れていないし、むしろキラキラと高貴さが全面に出ている。そして何より、私の巫女装束が更に信頼度を上げているとみた。

 一人が歓喜の声をあげた。

「神様じゃ!」

 すると、周りの人々も次々と声をあげる。

「神様じゃ! 神様じゃ!」

「巫女になるだけでなく、神様まで連れてきおった!」

「流石、我らの夕霧じゃ!」

「今宵は宴じゃ! 祝杯をあげるぞ!」

「わしは酒を用意する。お前は料理頼むぞ」

「任せとけ。でっけぇ魚釣ってくる!」

「オイラはイノシシ引っ捕まえてくる!」

 集まっていた村人らが散っていけば、私と同じ顔の夕霧が立っていることに気が付いた。夕霧と目が合えば、隠れるように我が家に入ってしまった。

 それを見た母は、嫌悪の表情を見せて言った。

「まったく朝霧ったら。お姉ちゃんが帰ってきたっていうのに……全く。だから、太助さんにも捨てられるのよ」

「え? 捨てられた? 朝霧が?」

 私が問えば、父も不機嫌そうに言った。

「ああ、アイツは嫁として失格だ。料理もろくに作れんどころか、掃除、洗濯まるで出来ず、しまいには癇癪を起こす。太助君も半年は我慢してくれたが、一向に改善の余地もなく、子も授からずじまいでな」

「太助さん、今は、だんご屋のお松さんと再婚したわ」

「そうなんだ……」

 何だか不憫に思えてきた。

 それでも、自業自得だ。花嫁修行もろくにせず、遊んでいたのだから。ツケが回ってきたとは、正にこのことだ。

「さぁ、こんな所で立ち話も何だわ。中に入って頂戴」

 母に促され、私と新羅は我が家の敷居をまたいだ。


◇◇◇◇


 我が家に入れば、コンコンと咳き込む祖母の姿があった。それに寄り添うように夕霧が肩をさすっていた。

 夕霧は、ちらりとこちらを見たが、何も言わない。代わりに、母が応える。

「おばあちゃん、寝たきりになっちゃったの」

 祖母は、昔から肺が悪かった。それでも、こんなに衰弱はしていなかった。この一年ちょっとで、こんなにも悪化しているなんて。

「おばあちゃん……」

 ただ、私は祖母に同情なんてしない。

 唯一、私に暴力を振るってきたのが、祖母だから。両親は、私を無いものとして扱ってはいたが、暴力まではなかった。

 しかし、祖母は、どうしても夕霧しかいらなかったのだろう。あわよくば死んだら良いのに……と、私を川に突き落としたこともあった。びしょ濡れで帰った時には舌打ちされた。

 それを新羅にも伝えているので、新羅も冷めた目で祖母を見ている。

 母は、祖母の薬を夕霧に渡しながら言った。

「おばあちゃん、一年前までは元気だったのよ。朝霧が太助さんのところに嫁いだ辺りからかしら、急激に悪くなったの」

 それって……。

 私は、新羅を見た。新羅も私を見て頷いて言った。

「おそらく、そうだろうな」

 私が食事を作らなくなったから。それまでは、私が食事の手伝いをしていたので、癒しの力が働いていたのだろう。

「まぁまぁ、新羅様はこっちに来てゆっくりして下さいませ。夕霧も」

 母が言えば、父も酒を持ってきた。

「新羅様は、酒は飲みますかな? 良かったら是非」

「いや、此度は遠慮しておこう。すぐ帰るので」

「左様で。では、お茶だけでも。二人の馴れ初め話を聞いても?」

「そんな、お父ちゃん」

 私が恥ずかしそうに言えば、新羅は勧められた座布団の上に、どかっと座って話し出した。

「あれは一年前のこと————」

 新羅は得意げに話し始めたので、私もその横にチョコンと座る。

 それからは、新羅の溺愛っぷりが分かるほど私について語られ、そんな娘を育てた両親も鼻高々に自慢する。

 私だけが萎縮する中、黙っていた夕霧が立ち上がった。

「お父ちゃん、お母ちゃん。そして、新羅様。それは夕霧では御座いません。それは、朝霧です。騙されないで下さい」

「朝霧、何を言っているんだ」

 父が怒り気味に言えば、母も困った顔で笑いながら新羅に向けて言った。

「ごめんなさいね。同じ双子なのに、夕霧とは全然似てないのよ」

「それは、あたしが夕霧だからよ! 朝霧、あたしに成りすまして新羅様を騙して、神への冒涜よ。分かっているの?」

 夕霧に大声で指をさされ、やや怯む。

「新羅様、この女に霊力なんてありません。巫女様も朝霧に霊力は無いと言っておりました。朝霧、あたしだと言い張るなら霊力を見せて見なさいよ!」

「ほぅ? では、貴様はあるのか?」

 新羅が試すように言えば、夕霧は言葉を詰まらせた。新羅はニヤリと笑って追い討ちをかける。

「そこまで言うなら、見せてもらおうか」

 黙る夕霧は、拳を下でグッと握って黙っている。

「朝霧、やめなさい」

「そうだぞ。神鬼様に逆らうなど、どうかしている」

 母と父が宥めれば、夕霧は何かが吹っ切れたかのように言った。

「良いでしょう。お見せ致します。ですが、そちらのあたしに成りすましている朝霧からお願いします。でないと、納得出来ませんから」

 私に恥をかかせ、夕霧は達者な口だけでどうにか乗り越えようという魂胆らしい。

 新羅を見れば、笑顔で頷かれた。

「良いだろう。さぁ、見せてやりなさい」

「は、はい」

 私は、何もないところに手を翳す。

 両親は期待の籠った眼差しで私を見つめ、夕霧はハラハラした様子で私の手元を見つめてくる。

「…………」

 しかし、私に霊力はないので何も起こらない。シンとした空気だけが漂い、私は観念したように頭を下げた。

「……申し訳ございません」

「「……え? 夕霧?」」

 両親は、戸惑いを隠せないでいる。

 夕霧は、勝ち誇った顔で言った。

「ほうら見て見なさい。出来ないじゃない。あなたが朝霧だからよ! 新羅様、元より貴方様の隣に立つべきは、あたしなのです。一年前にあなたに出会ったのもあたしです。契りを交わしたのもあたし。しかし、この女がそれを横取りしようと……」

 黙る私に、母が不安そうな顔で言った。

「夕霧、違うわよね? あなたが朝霧なんてこと……」

 未だに私と夕霧の区別もつかない母を軽蔑の目で見ながら、私は帯を解いた。

「申し訳ございません。私が、朝霧です」

「そんな……」

「夕霧、あなたの居場所。返すわね」

 無理矢理笑顔を作って、私は奥の部屋に籠った——。

「はぁ……急がないと。あんなところに新羅様だけにさせられないわ」

 巫女装束を脱いだ私は、引き出しから自身の着物を取り出す。手早く着替え、簡単に巫女装束を折り畳む。

 ——そして、再び戦場……夕霧の待つ部屋へ。

 私は夕霧に土下座し、巫女装束を受けわたす。夕霧は満足げな顔で私を見下ろし、巫女装束を奪い取った。

「初めからこうしてれば良いのよ。朝霧のくせに生意気なのよ」

 夕霧は、そう吐き捨てながら奥の部屋へと入った——。

 さて、今のところ作戦は成功しているが、夕霧は巫女装束に着替えてどうするつもりなのだろうか。霊力もないのに、本気で新羅の隣に座るのだろうか。

 疑問に思いつつ、私は新羅の隣ではなく、両親のやや後ろに座る。私が朝霧だと分かった両親は、先程とは一変、冷たい目で私を見た。

 もてはやされるより、こっちの方が落ち着くのは何故だろう。
 
 新羅がそんな私の思考を読み取ったよう。下を向いて、クククと笑っている。

 しかし、両親はそれを勘違い。

「新羅様。申し訳ございませんでした! どうぞお怒りをお鎮め下さい」

 父が深く頭を下げれば、母もそれに倣う。

 新羅は、更に笑いを堪えるのに必死なようだ。プルプルと震えている。私も笑いを堪えるのに必死だ。

 そうこうしていたら、戸が開き、巫女姿の夕霧が現れた。そして、図々しくも新羅の横に並んで座る。その顔ときたら、清々しい程に堂々としている。

「さて、夕霧。行くか」

「え、どちらへ?」

 ヨイショと新羅が立ち上がれば、夕霧はキョトンとした顔で新羅を見上げた。新羅は、悪戯な笑みを浮かべて言った。

「この村を守る為に巫女になったのであろう? いつまでも、古き巫女の札に頼るのは嫌だと常々言っていたではないか」

「え……」

 夕霧は、焦った様子で新羅を止める。

「お、お待ち下さい。やはり、札はあった方が宜しいかと」

「何故だ? 最近のあやかしは、以前に増して勢力を上げており、どの巫女も新たな札に霊力を込め直しておる。お主もそうするのであろう?」

「まぁ! そうなの? 夕霧」

「流石、我が娘。さぁ、早速行こう。新羅様、ご案内致します」

「頼む」

「ちょ、新羅様。お父ちゃんも待って」

 夕霧の声も虚しく、新羅は夕霧の腕を鷲掴みにして引っ張るようにして連れて行く。私と母も足早に付いて行った。


◇◇◇◇


 巫女の札がある小屋の周りには、噂を聞きつけた村人らが、夕霧の霊力を使う様見たさに集まった。多分、ほぼ全員。太助の姿もあった。
 
「さぁ、夕霧。剥がすぞ」

「お待ち下さい! あ、そうだ。あたし、札を持ってくるのを忘れましたわ」

「それならココにあるわよ」

 私は、満面の笑みで夕霧に渡す。

 逃げ道は作らない。

「あ、二枚貼るのは如何でしょう? より強固になるのでは?」

 まだ逃げようとする夕霧に、新羅は言った。

「それは妙案だ。朝霧殿、もう一枚あるか?」

「御座います」

 私は、もう一枚夕霧に手渡した。

 苦悶の表情を浮かべる夕霧は、何か考えているようだ。しかし、新羅は、有無を言わさず札をベリッと剥がし、破り捨てた。

「ちょッ、そんな事したらあやかしが……」

 夕霧の顔が青ざめた。

 反対に、新羅は悪戯な笑みを浮かべて言った。

「あやかしが来たら、貴様が倒すのであろう? 我が嫁の婚約者を寝取ってくれて感謝するぞ。夕霧」

「……え?」

「さぁ、朝霧。今宵は宴じゃ」

 夕霧の隣にいた新羅は、私を抱っこした。

「ちょっと、新羅様。皆見ています」

「良いではないか。見せつけてやれば」

 状況が理解出来ない村人達。

 ことの重大さに気付いた夕霧。

 そして、迫り来るあやかし。

 時既に遅し。夕霧を含め、皆がした仕打ち。私は忘れない。

 しかし、一度だけチャンスをやろう。

「泣いて命乞いすれば、私の旦那様が助けてくれるけど、どうする? 夕霧」

「ぐッ、朝霧なんかに……」

 情けをかけても尚、謝らないようだ。

「行きましょう。新羅様」

「だな」

 新羅に抱かれたまま歩き出せば、次々とあやかしが宙から飛んできた。

「あやかしだ!! 夕霧、あやかしだ!」

「うわ、何体いるんだよ!! 夕霧、頼む!」

「ギャァァァァァ」

「夕霧、早く倒してくれ!」

 村人は大混乱だ。

 皆が夕霧に縋り付く。怪我人も出始めた。

「そんな……あたし、あたし……出来ない」

「夕霧! 早く!」

「夕霧!」

「夕霧!」

 立ち尽くす夕霧は、ポツリと呟いた。

「……ごめんなさい」

 そして、みっともない程にボロボロと泣き出した。

「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい。あたし、霊力なんてないの」

「は? 何を言っているんだ。夕霧」

「嘘だよな。嘘だと言ってくれ」

「あたしが、寝取ったから。あたしが、朝霧に成り代わって、太助と寝たから、だから、あたし、もう霊力無いの。みんな……ごめんなさい」

「謝る相手が違うだろう」

 新羅の冷ややかな声にドキリとした。

 そして、夕霧は、あたしに向かって頭を下げた。

「朝霧……申し訳ありませんでした。助けて下さい」

「朝霧、どうする? 俺はこのまま放置でも良いが」

 正直、私も放置で良いと思う。私を無碍に扱った者達に情けをかける義理もない。

 けれど、私は人が死ぬ姿は見たくない。

「新羅様。姉の不始末。お願いできますか?」

「我が嫁の頼みなら喜んで」

 新羅は、そっと私をその場におろした。

 そして、不思議な力で、いとも簡単にあやかしを倒していった————。


◇◇◇◇


 私は、村人らに握り飯を振る舞った。

 軽傷者だけでなく、重症だった者らも皆、握り飯に込められた癒しの力で回復した。

 勿論、太助にも握り飯を分け与えた。

「朝霧……ごめん」

「太助……」

 太助は、ある意味被害者だ。唯一私に優しくしてくれた幼馴染。

「こちらこそ、ごめんなさ……わッ、新羅様」

 仲直りというのか分からないが、とにかく謝罪をしようとすれば、新羅がヌッと目の前に現れた。

「朝霧。男と喋るなと言っておろう」

「は、はい!」

「俺だけを見てろ。分かったな」

「はい!」

 そのやり取りを見て、太助が笑った。

「朝霧が幸せそうで良かったよ」

「おい、気軽に俺の嫁に話しかけるな」

「うわ、怖ッ」

 太助は苦笑しながら私に手を振り、今の妻の元へと戻っていった——。

「さぁ、握り飯配ったなら早速行くぞ」

「どこへですか?」

「天上界。神龍に自慢せねば」

「え、それ、本気だったのですか!?」

「当たり前だろう。さ、捕まれ」

「は、はい!」

 たまに……いや、八割方振り回されているが、私は新羅の嫁に選ばれて幸せだ。多分、夕霧より幸せになれる自信がある。だから私も、生涯をかけて新羅を愛し抜くと心に決めた——。
 

              おしまい。