今は昔、人と人とがまだ刀を持って戦っていた頃。突如として、人ならざる者がこの国を襲った。
 
 上空に暗雲が立ち込め、数えきれない程のあやかしが人々を喰らう。

 侍達は先陣を切って戦うも、その異様なまでの強さに敗北。霊力を持った巫女だけが、唯一あやかしと対等に戦うことの出来る存在だった——。


◇◇◇◇


「我が村にも巫女が誕生したぞ! これでこの村も安泰だ!」

「ありがたや、ありがたや」

 霊力は、産まれながらに持っているものの、一般人が目で見て分かる代物ではない。

 巫女のいない村々では、歩き巫女が通りかかった際、『この子には霊力がある』と鑑定され、弟子入りという形を取るのが主流になってきている。

 もしくは今回のように、たまたま能力を発揮して、霊力があると発覚する——。

夕霧(ゆうぎり)、今のなに!? すごーい」

 私こと朝霧(あさぎり)は、四歳の時に、双子の姉である夕霧が発した一つの光によって助けられた。
 
 あやかしが現れれば、霊力のこもった札が貼ってある家屋に避難することになっている。けれど、私はそこに入る寸前で転んだ。

 誰もが、もうダメだと思った。私も幼いながらに、死を覚悟した。そんな時だった——。

『朝霧!』

 夕霧の声と共に、目の前に眩い光が現れた。そして、私を喰らおうとしていた一体のあやかしが跡形もなく消えた。

 これが、夕霧に霊力があると発覚した瞬間だ。そして、この出来事が夕霧を変えた瞬間でもある。いや、周囲の環境が、夕霧を変えたと言った方が正しいか。

 村人らは、夕霧をもてはやし、両親も鼻高々に自慢して回った。皆が夕霧を特別扱いし、好きな物を与え、欲しがる物は他者の物を奪ってでも与えた。無論、私の物も全て夕霧に——。

 それでも、仕方ないと思った。霊力を持った者が、この世で一番偉いのだから。

 ただ、この村に巫女はいない。夕霧が弟子入りするところもなければ、霊力の扱い方を教える人や書物も存在しない。歩き巫女が通りがかった時に弟子入りすれば良い……それまでは今まで通り、霊力のこもった札に頼ろう。夕霧は、悠長に考えていた。


 ◇◇◇◇


 そして、何もしないまま、かれこれ十年の時が経った。つまり、私と夕霧は十四歳。

「朝霧、その簪可愛いわね」

 夕霧のその一言で、母は私に目で合図した。夕霧にあげなさい……と。

 これは、幼馴染の太助(たすけ)から、婚約を申し込まれた時に贈られた物だ。絶対に渡したくない。渡したくないが……。

「夕霧の方が似合いそうだよね」

 私は、簪を夕霧にあげた。

 ちなみに、巫女は処女でなければならず、結婚が出来ない。神と性的な交わりを持つことで、神の意志をより受け取ることが出来るからだそう。

 だから、霊力を持たない私は、巫女になれない代わりに、来年、太助の十五歳の誕生日の日に、太助の元に嫁ぐことになっている。

 子供を産んで、極普通の農民として過ごすことになる私と違って、夕霧は村々を救う英雄になるのだ。簪の一本や二本どうってこと……。

「朝霧、泣いたって返さないわよ」

 いつの間にやら涙が出ていたようだ。

 ニヤリと笑う夕霧に怒りを覚えつつも、ひたすらに我慢する。

 そんな時だった——。

 外から村人らの大きな声がした。

「巫女様だ! 巫女様が来て下さったぞ!」

「夕霧! やっとじゃ、やっとお主の力を発揮出来る時が来たぞ!」

「これで我が村も安泰じゃ」

「夕霧、強うなって帰って来いよ! ワシらを守ってくれ!」

 私と夕霧は、外に出た。

 そこには、如何にもといった風な、凛とした佇まいの巫女の姿があった。

「巫女様! あたし、霊力があるんです! 弟子にして下さい!」

 巫女に駆け寄る夕霧。周囲の人々も期待の眼差しで二人を見ている。私も、涙なんて止まってドキドキしている。

 巫女は、ニヤリと笑って夕霧に言った。

「ほぅ? ちっぽけな霊力じゃな」

「なッ」

 村人らの前で小馬鹿にされた夕霧は、顔を赤くして怒りを露わにした。

「けれど巫女様! あたしは、あやかしを倒したことがあるのです!」

「左様か。まぁ、修行次第で随分と変わってくるからのぉ。明日出発じゃ」

 巫女が言えば、夕霧は満面の笑みで応えた。

「はい!」

 ——双子だからか、いくら物を奪われようと、親の愛を独り占めされようと、周囲から比較されて非難されようと、離れ離れになるのは寂しい。もっとずっと一緒にいたかった。

 けれど、夕霧は違うようだ。

「せいぜい、太助と平凡で地味な生活を送りながら、あたしに命乞いすると良いわ」

 夕霧が出発間際に発した言葉だ。私を見下し、嘲笑を浮かべながら言われた。

 この十年で、私たち双子の姉妹は、相容れない仲になってしまっていたようだ。


◇◇◇◇◇


 時は流れ、一年後。

 私と太助は、結婚初夜を迎えることに。

 我が村では、結婚初夜を迎えるに当たり、清めの儀式を行う。簡単に言えば、近くにある滝に打たれるだけなのだが、それを嫁が行い、夫は家で待つのが習わしだ。

「早く帰らなきゃなのに……」

 岩場に置いて置いたはずの着替えが、無くなっていた。風で飛ばされたのか、はたまた動物がとっていったのか、とにかく私はびしょ濡れのまま、暫くその周辺を探した——。

 随分と探したが、結局着替えの着物は見つからず、私はびしょ濡れのまま太助の待つ家に向かった。

「へっくしゅ」

 何度目かのくしゃみ。

 季節は夏。真冬の夜に比べたらマシだが、流石にびしょ濡れだと体温が下がる。凍えながら、ほんのりと小さな光が見える我が家を見て安堵する。そして、これから太助と平凡だけど幸せな時を送るのだと、胸を躍らせた。

 扉に手をかけた時、中から声がした。

「え……?」

 私の思考は停止した。

 どこからどう聞いても、これは男女が愛し合っている声なのだから。

 そっと扉を開ければ、小さな蝋燭の光が二人の影を伸ばしていた。

「んん……太助。そこダメェ」

「ハァ……ハァ……朝霧……愛してる」

 朝霧?

 私はここだ。何故、太助は私の名を呼びながら、他の女を抱いている?

 何故? あの女は誰?

 立ち尽くしていると、太助の背の向こうに、女の淫らな顔が蝋燭の光に照らされた。それは、私と同じ顔をしていた。

「夕霧……」

 もう感情が追いつかない。

 怒り、悲しみ、嫉妬……様々な感情が胸の中で渦巻いている。

 ——行為が終わった頃、私にすり替わった夕霧が私に気が付いた。久々の再会を喜ぶ様子は全くなく、夕霧は冷笑を浮かべ、私に背を向けている太助に言った。

「あたし幸せ」

「僕もだよ。朝霧」

 二人は口付けを交わした。

 吐き気がした。二人が裸で絡み合っている姿に、私の幸せを奪う夕霧に、私と夕霧の区別も付かない太助に……何もかもに吐き気がする。絶望する。死にたいとさえ思った。

 私は、私の居場所になるはずだったその家に背を向け、俯きながらゆっくりと歩いた——。

 まだ乾かない髪の毛は冷たくなり、重たい中地盤からは、水滴が滴っている。ポツリポツリと涙のように地面を濡らしていく。

 絶望に打ちひしがれていると、前から声がした。

「仮にも弟子。止められず、悪かった」

「……?」

 虚無の目を前に向ければ、いつぞやの巫女の姿があった。夕霧の師匠だ。

「あやつは逃げたのじゃ。巫女の修行から。そして、巫女になることから」

「何で……どうして? 夕霧は、巫女になるから……私たちみたいな、何の能力もない人々を守ってくれる存在だから、だから私は今まで我慢してきたのに……」

 好きな物も我慢して、両親からの愛も我慢して、貶されても笑って耐えて……大好きだった太助も寝取られて……私の人生何だったの?

「夕霧は……どうなるんですか?」

「ちっぽけな霊力も、今ので無くなった。もはや、ただの人間じゃ。元々、期待はしておらんかったがの」

「そうですか……」

 私は会釈だけして、再び歩を進めた。

 巫女の横を通り過ぎたところで、巫女が問うてきた。

「お主はどうするんじゃ? 今なら、まだあの男を取り返せるじゃろう」

「私は……」

 歩みを止め、俯いた。

 今までちやほやされて育った夕霧のことだ。巫女になり損なって、のうのうと帰ることなどしないはず。いや、出来ないだろう。

 おそらく夕霧は、このまま私に成り代わって生活する気だ。巫女の言う通り、今ならまだ間に合う。けれど、私と夕霧の区別は、太助はもちろんのこと、両親ですらつかないのだ。

 私がいくら説明しても、私が嘘を言っている……つまりは、落ちこぼれの夕霧が言い訳しているといった具合に、私は夕霧として肩身の狭い思いをして今後生活するハメになりそうだ。

 それならいっそ——。

 私は顔を上げ、巫女を見据えた。

「私は、夕霧として生きていきます」

「ほぅ?」

「私は、夕霧として、この村を出ます。そして、夕霧なんかより幸せな生活を送ってみせます!」



◇◇◇◇
 

 と、啖呵を切ったのは良いものの、どうしたものか。行く当てもない。

 ひとまず、夕霧の荷物を巫女が持っていたので、着物はそれに着替え、その日は巫女と一緒に洞窟で野宿した。

 巫女に情けをかけてもらった私は、『付いてくるか?』とも言われた。けれど、霊力を持たない私が付いていけば、足手纏いなのは間違いない。霊力のこもった数珠を頂戴して、巫女とは別れることに。

「それにしても、この数珠凄いなぁ。全然あやかしが寄ってこないや」

 今正に、あやかしとあやかしの間。あやかしロードを歩いている真っ最中。私に興味を示しつつも、霊力のこもった数珠のおかげで近付けない様子。私が一歩近付けば、二歩下がられた。

 そして、気が付いた。やはり、村は安全なのだと。

 ひと度、村から足を踏み出せば、あやかしがそこら中にはびこっている。今まで、村で普通に過ごせていたのも、おそらく巫女の力のおかげ。

 私が幼い時に襲われたように、たまに迷い込んで来る輩もいるにはいる。しかし、それは二~三ヶ月に一回程度。

「あの札に霊力こめた巫女様は、大層な力を持ってるんだろうな」

 村の中心部に避難所として設けらたれた小屋に、ずっと昔から張り付いている霊力のこもった札。あれだけで、幾人もの村人達が助かっていると思うと、ただの人である御門よりも、巫女は凄い存在なのだと思い知らされる。

 グゥ。

 腹の虫が鳴った。

 丁度お昼時だからというのもあるが、実は、昨日の清めの儀式の前から何も食べていない。

 所持金はゼロ。自力で何か調達せねば、幸せになる前に飢え死にしそうだ。

 ひとまず、私は近くの小川に顔を付けた。そのままゴクゴクと水を飲む。

「んー、美味しい!」

 けれど、周りにあやかしがいるので美味しさ半減だ。この水も綺麗なのか些か不安だが、背に腹は変えられない。これくらいで病に倒れるようなら、私はそれまでの存在ということだ。

「川魚でも良いけど、火を起こさなきゃだしなぁ」

 こう見えて私も平民。川魚をとることは得意だったりする。ただ、薪を拾うところから始まるので、時間がかかりそうだ。

 そこで、私は森に入って木の実を探すことにした。


◇◇◇◇

 
 一方その頃、夕霧は——。

「朝霧。飯はまだ出来ないのか?」

「太助さん。ごめんなさい。今やっているのですが……」

 朝霧にすり替わる事に成功はしたものの、夕霧は、『巫女になるから』と驕り高ぶって、花嫁修行の類をまるでしてこなかった。

 もちろん家で母親の手伝いすらしなかった夕霧は、包丁の持ち方さえ知らないのだ。米の炊き方なんて以ての外だ。

 巫女の弟子になってからも、『自分のことは自分で』と巫女に言われていたが、夕霧は村人の奉仕でその場を凌ぎ、自炊は一切しなかった。

 朝食が一向に出来ない夕霧を見て、優しい太助も、しびれを切らしたようだ。

「もう良い! 後で握り飯を持ってきてくれ」

「太助さん……」

 ひとまず安堵する夕霧。しかし、後で握り飯を持っていかなければならない。どうしたものか……と、頭を悩ませながら太助を見送った——。

 それからすぐに、夕霧は実家の母の元へと急いだ。母に料理や掃除の仕方、裁縫、今までやってこなかった女性の務めを教わる為に。

 もちろん、激怒された。

 夕霧の時は怒られたことなんて無かったから、怒られた時は驚いた。言い訳をすればする程怒られ、癇癪を起こしそうになる夕霧。

 朝霧にすり替わったことを何度も言おうとしたが、そうすれば朝霧として生きていけない。そして、処女を失った今、巫女の弟子にも戻れない。何も無くなった夕霧は、朝霧のフリをするしかないのだ。

 ——夕霧は、巫女の弟子になった当初は浮かれていた。これで、今まで以上にチヤホヤされる。特別扱いされる。そう思っていた。

 けれど、現実は違った。

 巫女になるには、実践あるのみ! と、突然あやかしが大量にうごめく中に放り投げられた。霊力の少ない夕霧は、逃げるのに必死だった。何とか一体倒したのは良いが、あやかしは数えきれない程いる。

 何度も死に直面し、諦めそうになった。逃げたくなった。どうやって逃げようか考えた。落ちこぼれと言われないように村に戻る方法を考えた。

 夕霧は、街や村々を渡り歩く中で閃いた。

『朝霧になれば良い』

 夕霧は、朝霧の結婚の時期まで待つことにした。その後のことを顧みることもせず、巫女修行よりも農民の嫁になるほうが楽だと勘違いした夕霧は、朝霧の幸せを奪う為、太助を寝取ることを決意した——。

「朝霧、握り飯美味かった。ありがとう」

「いえ」

 太助に褒められても、朝霧が褒められているようで嬉しくない。頑張ったのは自分なのに……。夕霧は、何だか虚しい気持ちになる。

「帰ったら、これも洗濯頼む」

「え!? 洗濯もあたしがやるの!?」

「当たり前だろう。嫁なのだから。結婚してから朝霧変わったな」

「そ、そうかしら」

 ほほほと笑う夕霧は、寝とった翌日から後悔し始めている。