さやかと忍の仲は、ゆっくりではあるが進展しているようだった。さやかは休日も、華やかに着飾って出かけるようになっていた。

 そうして帰ってくると、今日は忍様とどこに行った、何をしたと、そんなことをつまびらかに語って聞かせるのだ。

 千歳はそれを、ただ黙って聞いていた。表情一つ変えることなく、ただ耐えていた。



 そんなある休日、帰宅したさやかは母屋で両親相手に、今日のことを話していた。

 じきに自分のところにも来るのだろうなと離れでため息をついていた千歳だったが、彼女の前に姿を現したのは意外な人物だった。

「千歳お嬢様、文が届いています」

 母屋のほうをはばかるようにしてやってきたのは、この家の下女だった。老年でほっそりしているが、背筋はぴんと伸びた、機敏な女性だ。

 この家の使用人たちはさやかに目をつけられないようおとなしくしてはいるが、千歳のことをそれとなく気にかけていた。特にこの下女は、特に千歳を心配している一人だった。

 下女は紙を千歳の手にそっと握らせると、どことなく嬉しそうにささやきかけた。

「とても姿の良い、凛としたお方が届けに来てくださったんです。……千歳お嬢様にもあのような方がいらして、ようございました」

「い、いえ、わたしにはそんな方は……」

「安心なさってください、さやかお嬢様には内緒にいたしますから」

 母親のように優しく微笑むと、下女は足音を忍ばせながら去っていった。そうして一人になった千歳は、さやかがまだ来ていないことを確認しつつ、そっと紙を開いた。

 そこには流れるような美しい文字で、ただ一文だけが記されていた。

『また、活動写真について語り合いたい』

 差出人すら書かれていないその文を、千歳はまじまじと見つめる。その顔は、泣き笑いにゆがんでいた。

「はい……わたしも、またお話したいです……」

 誰にともなくそうつぶやくと、彼女は急いで押入れを開け、行李に文をしまい込んだ。守り刀の下に、隠すように。

 やがてさやかがやって来て、すっかりお決まりになった自慢話が始まった。けれどうつむいた千歳の目には、ほんのかすかに微笑みの色があった。



 そうして、日々はどうしようもなく緩やかに過ぎていった。千歳はあの文と守り刀だけを心の支えとしていたが、少しずつ自分の心が乾き、ささくれていくのを感じずにはいられなかった。

 いつものように授業も終わり、下校しようという頃合い。校舎の前でさやかを待っていた千歳のところに、さやかが駆け寄ってきた。いつになく、あわてた様子で。

「ねえ千歳、失くし物をしてしまったの。お気に入りのリボンが、風に乗って飛んでいってしまって」

 今朝は大きなリボンが飾られていた彼女の髪には、今は何もない。

「だいたいどちらに飛んでいったかは分かるの。だから、早く取ってきなさい」

 声をひそめ、さやかは千歳の耳元で低くささやく。それからまたころりと猫をかぶって、張り切った様子で歩き出した。

「ほら、こっちよ!」

 そうして二人は、校舎を離れ、その先にある建物のほうへと向かっていった。ここはじきに取り壊されることが決まっている、旧校舎だった。

 当然ながら人の気配はなく、建物の中には分厚く埃が積もり、あちこちに蜘蛛の巣が張り巡らされていた。

 そのおどろおどろしい有様に、千歳がおびえた表情になる。

「あの、さやかさん……本当に、ここに……?」

「何よ、あたしを疑うの? 確かに、こっちにリボンが飛んでいったのよ。ほら、そこの物置の中」

 一方のさやかは自信たっぷりに、廊下の突き当たりにある物置部屋を指さした。

「こんなところに入ったら、あたしの着物が汚れてしまうわ。ほら、早く!」

 さやかは尻込みする千歳の背に手をかけて、廊下へと押し込む。千歳は気乗りしない様子ながらも、そろそろと進み始めた。

 やがて、彼女は物置部屋の入り口にたどり着く。窓から差し込む弱々しい光だけを頼りに、中を覗き込んだ。

 と、どん、という衝撃が彼女を襲った。彼女はそのままつんのめり、物置部屋の床に倒れ込む。続いて、背後で勢いよく扉が閉まる音がした。

 突然のことに驚きながら、千歳はあわてて起き上がる。きっちりと閉ざされた扉の向こうから、さやかの叫び声がした。

「ああ、いいざまだわ!」

 甲高いその声には、まぎれもない勝利の響きがあった。