花盛りの桜並木の下を、二人の乙女が歩いていた。

 前を行く乙女は、大柄の花柄の着物に袴とブーツを身につけて、どことなく得意げな笑みを浮かべて大股に歩いていた。

 編んだ髪に飾った大きなリボンが、華やかな面差しによく映えている。今が盛りと咲き誇る牡丹の花のような、そんな乙女だった。

 後ろを行く乙女は、落ち着いた縞模様の着物に袴、それに草履を身につけて、目を伏せてしずしずと歩いていた。

 背中に流した長い黒髪には何の飾りもなかったが、それが彼女の清楚な雰囲気を引き立てていた。風に舞う儚い桜の花のような、そんな乙女だった。

 二人は何も言わず、夕暮れの道をただ歩いている。牡丹の乙女は手ぶらで、桜の乙女はカバンを二つ持って。

 やがて二人は、大きな家の前にたどり着いた。

 太い柱と漆喰の壁、黒々とした瓦が荘厳な雰囲気を与える、平屋の大きな家だ。門にも太い木が惜しみなく用いられており、そこにはどっしりとした文字で『皆木(みなき)』と記された札が取りつけられている。

 門をくぐる直前、牡丹の乙女が桜の乙女のカバンを一つひったくった。

「ただいま戻りました、お父様、お母様!」

 そうして牡丹の乙女は、軽やかに声を上げた。すぐに、家の奥から壮年の男女が姿を現す。裕福そのものでありながら華美ではないそのいでたちは、この家のたたずまいによく合っていた。

「おかえり、さやか、千歳(ちとせ)

「二人とも、何もなかった?」

 男女の呼びかけに、牡丹の乙女――さやかと呼ばれた娘だ――が、無邪気な笑みを浮かべてうなずいた。つい先ほどまで自分のカバンを桜の乙女に押しつけていたことなど、おくびにも出さずに。

「はい、お父様、お母様、今日も一日、女学校で楽しく過ごしてまいりました」

「それはよかったわ。ところで千歳、あなたに似合いそうなリボンを見つけたの。後で、試しに結んでみない?」

 女性の呼びかけに、千歳と呼ばれた桜の乙女が、ためらいながらも無言で小さくうなずいた。さやかの目が一瞬ぎらりと嫌な感じに光ったが、そのことに気づいた者はいなかった。



 両親への帰宅の挨拶を済ませたさやかと千歳は、二人だけで使っている離れに下がっていた。

 千歳がふすまを閉め、二人きりになった瞬間、さやかは自分のカバンを千歳に荒っぽく投げつけた。いらだちもあらわに、ふんと鼻を鳴らしながら。

「まったく、お父様もお母様もどうにかしてるわ」

 さやかの表情は、先ほどのものとはまるで違う、ふてぶてしいものだった。

「赤子のあんたをうちの子にするなんて、何を考えてらしたのか」

 周囲に聞こえないように声をひそめつつ、さやかはそんなことを吐き捨てている。その顔は、思いっきりしかめられていた。

「あたしはお父様とお母様の子。あんたは違う。本当なら、あんたはあたしを『お嬢様』って呼ぶはずだったのよ」

 千歳はうつむいて、ただ黙ってその言葉を聞いていた。両親のいないところで、このやり取りは幾度となく繰り返されてきた。さやかががなりたて、千歳はひたすらに耐えるだけの、そんな時間。

「それなのに、あたしがあんたを姉だなんて呼ぶはめになるなんて……しかも、あんたなんかに新しいリボンですって!? ああもう、最低の気分よ!」

 さやかが手を伸ばし、千歳の髪をひと房乱暴にひっつかむ。その痛みに千歳がびくりと身を震わせたのを見て、さやかは満足げに笑った。

「気晴らしに遊びに行ってくるから、いつもどおりに、それをやっておきなさいね! 手を抜いたら、承知しないんだから!」

 そう言い放ち、さやかは離れを出ていってしまう。千歳は二つのカバンを抱えて立ち尽くしていたが、やがてのろのろと文机の前に向かい、崩れ落ちるようにして座り込んだ。

 さやかはいつも、こうして自分の分の宿題を千歳に押しつけているのだった。「お父様やお母様に告げ口したら、ただじゃおかないわよ!」と言いながら。

 千歳は十六歳、さやかは十五歳、共にここ帝都の高等女学校に通っている。勉学にあまり興味のないさやかと違い、千歳は学問が好きだった。

 だから、さやかの分の宿題をこなすこと自体は容易だった。けれど毎日のようにこんなやり取りをしていると、気持ちが沈んでしまうのも確かだった。

 千歳は静かに押入れに向かい、柳の行李(こうり)を取り出す。その中にしまわれていた風呂敷包みを、慎重に手に取った。

 淡い桜色の風呂敷の中から出てきたのは、古びた短刀。長さ一尺にも満たない、小さなものだ。元は白木だったらしいその鞘は、かなり長い年月を経てきたのだろう、優しい飴色を帯びていた。

 千歳はそろそろと鞘を払い、刀身を見つめる。花吹雪のような模様が散ったその刀身には刃がなく、何も切ることができない。

 この不思議な、けれどとても美しい短刀は、千歳の守り刀なのだ。皆木の両親によると、千歳の実の両親が彼女のために遺してくれたものらしい。

 千歳は、どうして自分がこの家にもらわれてきたのか知らない。子どものころに皆木の両親に実の両親のことを尋ねてみたところ、悲しそうな顔をされてしまったのだ。どうやら、何かただならぬ事情があったらしい。

 その一件以来、彼女は実の両親について尋ねるのを止めた。皆木の両親を悲しませたくないという、そんな思いから。

 自分さえ我慢していれば、皆木の両親は笑っていられる。そしてさやかがしていることを知ったら、きっと二人は悲しむだろう。だから、わたしはまだ頑張れる。まだ、我慢できる。大切な、あの二人のために。

 守り刀を見つめながら、千歳はぼんやりとそんなことを考えていた。小さな桜色の唇に、柔らかな笑みを浮かべながら。

 彼女は寂しいとき、辛いとき、こっそりとこの守り刀を眺めていた。すると不思議なくらいに、心が軽くなるのだ。まるで、魔法のように。

「……ありがとう……」

 守り刀に小声で礼を言いながら、千歳はそっと目を閉じた。