シェリーシャちゃんを一時保護し、翌朝のこと。

 私は早速、奴隷市が開かれた街の──隣町に向かった。理由は簡単、奴隷市が開かれるような街の治安に不安を覚えたからだ。そこまで距離も遠くなかったため、犯罪実績のある街より、何もないほうを選んだ。

 この町は以前訪れたことがある。漁業が盛んだったけど、近年外来種の発生により魚が満足に取れず、農業に舵を切りつつある場所だ。ただ、潮風で作物を育てられる場所が限られているため、経営が難しいらしい。潮風によって飛んでくる塩で、野菜が傷んでしまうからだ。

「聞いたか⁉ 昨日隣街で奴隷市の一斉摘発があったらしいぜ」

 そして早速、奴隷市のことが話題になっているらしい。町に入ってすぐの広場で、町民たちが話をしていた。

「聞いた聞いた、騎士団だけじゃなく、王命で魔王討伐任されてる凄腕の薬師や治癒士、獣遣いが、王命すっ飛ばして集まったんだろ?」
「ああ‼ 奴隷売り買いしてた奴らだけじゃなく、街に潜伏してた盗賊や犯罪組織を一気に殲滅したって」

 町民たちの会話を盗み聞きながら、やっぱり町を移動して良かったと安堵した。

「でも、どういう繋がりなんだろうな。それぞれ同じパーティーに入ってるわけでも、ギルドが一緒なわけでもないのに」

 パーティー。

 魔法が使える人間は、それぞれ得意な魔法や苦手な魔法があるらしく、大きな魔物を倒したりする時、お互いの弱点を補うため仲間を作るらしい。

 そしてギルドというのは、労働組合みたいなものだ。大きな組合の枠組みがあり、そこに所属しているパーティーみたいな感じで、協力し合っているようだった。

 パーティーで打ち上げ、ギルドで飲み会、みたいな感じで、所属している人々は大体仲良くしているが、仕事だけ集まり仕事が終われば解散といった仕事のみの関係のパーティーなど、様々だ。

「それでじゃないか? 皆、前のギルドとかパーティーに恵まれなかったって聞くし、気が合うんじゃ」
「なるほどねぇ、ああ、でもそいつらが元居たパーティーとかギルドってどうなってんの?」
「潰れたり解散になったりって聞いたぞ。まぁ、無理もないよな。普通に解雇するんじゃなくて、公衆の面前で追放したり、魔物の囮にしたとかって聞くし」
「あ‼ 魔物の囮で思い出した‼ ハギの村‼ 魔物の襲撃にあって壊滅状態らしい‼」

 町民の言葉に私は思わず足を止める。ハギの村はカーネスの村だ。

「カーネス」
「はい、何でしょう」

 思わずカーネスの名を呼ぶけれど、彼は平然としていた。

「魔物の襲撃に遭ったんだって」
「でしょうね」
「え、なんで元から知ってたの?」
「いや、魔物って本能で生きてるんですけど、生存戦略において余念がないので自分より強い存在は襲わないんですよ」
「ああ、聞いたことあるかもしれない。強い魔物は餌を取るために弱そうな魔物に擬態するから気を付けたほうがいいって」


 姉は魔法全般の研究をしている。色々論文を提出していて、表彰状が部屋に沢山あった。魔力が無くても姉の書いたものだから読んでいたけど、そこで読んだ。

 魔物は他の生き物の魔力を感じ取る感覚を持っていて、すごく強い魔力を感じる──いわば戦うと負ける相手には絶対近づかず、簡単に食べられる相手を細々食べて力をつけるらしい。

 魔物に詳しいお客さんから聞いたことがあるけど、魔物は人間だけ食べてるわけではなく、とりあえず自分より弱い相手を食べるそうだ。

 さらに他の生き物を食べなければ力がつかない、というわけでもなく、「戦ったりするより魔力いい感じの生き物食べるほうが効率がいいよね」「美味しいよね」という感覚だ。

 そのあたりの感覚は、「まっとうにお金稼ぐより、宝石泥棒したほうがいいよね」と想像するのが楽と聞いた。

 もちろん、宝石泥棒は犯罪だ。でも、そのほうが楽だと思う人間もいる。

 それは魔物も同じで、魔物の中では「人間襲って食べるのが楽」と考える生き物もいれば、「戦いは面倒なのでせっせと鍛錬して強くなります、食事も人間の作ったものが美味しいのでそっちで」という、普通に共存できそうな魔物もいるらしい。

 強い魔物は弱い魔物から避けられてしまい、餌にありつけないことが多く、強い魔物ほど戦いを望まないと聞いた。でも、普通に弱い魔物に擬態したり、魔力を抑えて弱く見せ狩りをする強い魔物もいるから気を付けて、とそのお客さんに教えてもらった。

 そして魔物であっても、私のように魔力なしスキルなしという馬鹿丸出しな偽装はしない。逆に怪しまれるからだ。そのお客さんは私が魔力なしスキルなしを完全に理解していて、「やっぱりバカに見えますよね」という私の言葉に苦笑しつつ、「無いことで得られるものもある」と、優しい言葉をかけてくれた。

「ハギの村が襲われたのは俺がいなくなったからでしょうね」

 カーネスは何故か私を試すような目で言った。彼の見てくれ魔法があればハギの村の人たちを助けられたかもしれない、という自責にかられているのだろうか。

 正義感があるのはいいことだけど、村の存亡を子供が背負うべきじゃない。


 まして直接殺したわけでもない、大人を助けられなかったことを子供が後悔するなんてあってはならない。子供は可能な限り、子供でいるべきだ。

「まぁ、ハギの村は子供がいていい場所じゃなかったし、そこまで気に病む必要はないよ」

 即答すると、彼は「いやぁ」と笑い出す。

「なに」
「そういう意味で言ったんじゃないんですけど」
「どういう意味?」
「いえ、店長はそのままでいてください」

 カーネスはにやにやしている。また卑猥なことを考えているのかもしれない。もう相手にするのはやめようとシェリーシャちゃんに視線をうつすと、彼女は地面を眺めていた。

 昨日より血色がいい。というか完全回復している感じがある。

 魔物に詳しいお客さんを保護した時、「自分は《なんちゃらかんちゃら》の血を引いていて《なんちゃらかんちゃら》だから回復速度も速い」みたいなことを言っていたけど、そういう性質なのだろうか。

 でも、魔物に詳しいお客さんの言っていた《なんちゃらかんちゃら》は全部おぼろげだから自信がない。

 魔力の構造が人と違うからどうのこうの言ってたけど、ほぼ魔法学校卒業した人間に対しての話かつ、昔の言葉? 妹が読んでいた古文書まじりの言葉遣いだったから意味も断片的にしか分からなくて覚えてない。

 そしてジャシンとか言っていたから、「蛇と人間両方の血を引いている方なんですね」と返したら「蛇ではない、そして神だ」と言っていたから、若干、思考の機能が弱っている可能性がある。高齢者だし。

 魔物に詳しいお客さんは月に一回転移魔法ですっ飛んでくるけど、神様ならお供え物を食べる。当然、私のお店に来ることは無い。

「シェリーシャちゃん何してるの」

 訊ねると、彼女は顔を上げた。

「殺してる」

 シェリーシャちゃん、「ん」以外に喋れたのか。ほっとしたのも束の間、疑問が浮かぶ。

 殺してる?

 彼女の足元を見ると、氷の針のようなものが突き刺さった蟻が連なっていた。

 なにこの死の道。

 これはシェリーシャちゃんがしたことなのか。唖然としていると、近くにあった蟻の巣穴から、蟻が這い出てきた。すぐに氷が割れるような音が響いて、地面から突出した氷の針が
蟻に突き刺さる。

 シェリーシャちゃんは明らかに死んでいるであろう蟻をじっと見ている。

「な、なんで、殺したの、虫嫌い?」

 虫が嫌いなのだろうか。問いかけるとシェリーシャちゃんは無言で首を横に振った。「ん」じゃなかった。

「好き、だから」
「好きすぎて殺しちゃったかぁ……」
「……」

 シェリーシャちゃんがまた首を横に振る。

「殺すの好き」
「なるほど殺すのが好きかぁ」

 どうしようか。この子の殺意の衝動。奴隷商人の罪は重い。

「これ、置いてきましょう。危ない、危なすぎる‼」

 カーネスが顔を青くする。カーネスもカーネスで危ない。危ない人間しかいない。危険人物人口密度が高すぎる。

「こういうの前から興味あったの?」
「店長そんな素人モノの導入みたいな質問してないで置いて行きましょうよ‼ 騎士団に引き渡しましょう」
「引き渡すわけにはいかないよ、っていうかいかなくなっちゃったよ」

 危険思想を持った子供を対象として、犯罪の抑止力の研究が実施されるかもしれない。

 姉が言っていたことだ。姉は「倫理的に問題がある」と懐疑的な立場だったけど、ここ最近新聞で、研究が始まっているとの記事があった。さらに、「危ない子供だから」という理由で、研究者から迫害される事例もあり、現在政治の場で活発な議論が行われている、とのことだった。

 つまりこの子は騎士団に預けると研究対象として扱われ、なおかつ迫害を受ける可能性がある。

 私は、魔力が一切ないと分かったとき、身体の隅々まで調べられた。皆悪意はなく、私の為、そしてこの世界の為に検査していたけど、楽しいことじゃない。

「……シェリーシャちゃん」
「……」
「お姉さんと一緒に行こうか」
「こういうの出来る?」

 彼女はそう言いながら蟻を殺す。カーネスは「血迷わないでください店長‼」と私にしがみついてくるけど、それを制止し私は頷く。

「大丈夫、出来るよ」


 謎の殺意衝動を持つシェリーシャちゃん。このまま騎士団に連れていくと研究をされてしまうだろう。一方で、彼女の殺意衝動をそのままにしていても、殺す対象が蟻から人間になるだけだ。

 生き物を殺すのが駄目な理由は、必然性がないに尽きる。理由なくしていいことは、楽に生きることくらいだ。

 ゆえに必然性のある殺生を探す。そう思った私は、シェリーシャちゃんを伴い海に向かった。

「じゃあシェリーシャちゃん、この絵のお魚だけ狙ってみよっか」

 私は絵本を広げ、シェリーシャちゃんに見せた。本には毒々しい色の魚が描かれている。いわゆる、外来種だ。

 外来種というのは外の世界からやってきた生き物で、種類によっては在来種を食べ尽くし、生態系を大きく崩してしまう。

 そしてこの海の場合、飼育目的で買った魚を、無責任な飼い主がここで逃がしたことで毒魚が大繁殖し、在来種が毒魚により圧倒され、漁に甚大な被害をもたらしていた。

 だから駆除が必要だけど、数も多く、国仕えの魔法士は災害や人間の犯罪者対応で手が回らない。

 ということでシェリーシャちゃんの殺意衝動を知った私は、殺意衝動の発散と外来種の駆除を一挙に行う作戦を実行した。

 シェリーシャちゃんは無言で海の毒魚を殺し始める。どうやら凍結魔法が得意らしい。氷柱で毒魚の脳天を突いて、殺し終えたら氷柱を溶かし、また魚を突いてを繰り返している。

 私たちの後方には毒魚に悩まされていた漁師さんたちがいて、シェリーシャちゃんが殺意の衝動を発散するたびに歓声が上がっていた。

「シェリーシャちゃんは氷の魔法が得意なの?」
「みず」
「お水の魔法も出来るの?」
「ん」

 シェリーシャちゃんの久しぶりの「ん」だ。彼女は頷いた後、ヒュンッと弾丸のような水の塊を打ち出し、飛び跳ねる毒魚の頭に穴を開けた。

「いいんですか、あんなに殺させて……人間狙ったりしませんか?」

 カーネスが恐々耳打ちしてくる。

「人間狙わないようにするしかないでしょ、下手に殺すの駄目だよ‼ って言っても、何でってなるじゃん。本人殺すの好きなんだから。好きなものはどうしようもないし。性癖との共生に舵切るしかないよ」
「店長……」
「それにもう、関わっちゃったし、手尽くしようない状況ならもう、そうやって生きていくだけだし、それより今後のお店のことなんだけど、町中で屋台出して他の店と競い合うよりこういう海のそばとか町の外れに屋台構えて、ちょっとお腹空いたな、って人を狙おうと思うんだよね」

 カーネスのおかげで調理に関する戦力が大幅に増強した。

 その一方、大量に調理出来たとしても、器具やお皿の洗浄が追いつかず、結果的に提供時間の短縮は思うようにできていない。

 水魔法による支援が必要だけど、幼女を働かせるわけにはいかない。洗い物があまり出ない、しばらくは食べ歩きが出来るものを売っていきたい。

「魔物の駆除代で稼ぐのどうですか。そもそも俺も駆除できますよ」
「そしたら私のいる意味なくなるじゃん。魔法使えないし。それにシェリーシャちゃんの稼いだお金はシェリーシャちゃんのこれからの成長のために使うべきでしょ」

 今私は、彼女を保護しているにすぎない。子供にお金を稼がせて、それを自分の店の経営に使うなんて絶対嫌だ。

「シェリーシャちゃんはやりたい鬱屈を晴らす、それでたまたまお金貰えたら、それはシェリーシャちゃんが今後したいことの資金にすべきだよ。シェリーシャちゃん、大きくなったら何になりたいとかある?」
「もう大きい」
「もっと大きくなれるよ」

 シェリーシャちゃんはまだ小さい。これから先自分が大人になっていく姿が想像できないのだろう。

「ね」

 シェリーシャちゃんが私を見上げる。話しかけられたのは初めてだ。可愛い。

「なあに」

 私は彼女に視線を合わせるべく腰を下した。

 昨日までぼろぼろだったのに、今はほっぺがふっくらだ。もちもちしているのが見ているだけで分かる。そして彼女は私を見ているけど、海では毒魚たちが彼女の魔法で貫かれている。器用だ。

「怖くないの、殺すの」
「そりゃ怖いよ」

 あれで貫かれたら痛そうだし。

「ならなんでさせてくれるの」
「たとえば、シェリーシャちゃんが何にも関係のない、そこの漁師のおじさんを殺したい、ってなったら、やめてほしいって止めるよ」

 私は漁師のおじさんたちに聞こえないよう、こっそり言う。

「なんで」
「そういう決まりだから」
「なんで決まってるの?」
「決まりがないとシェリーシャちゃんも、酷いことされちゃうかもしれないの。だから
皆で生きていけるように、決まりを作って、皆それを守ってるんだよ」
「皆で生きる?」
「うん。シェリーシャちゃん今、殺すの好きだけど、生き物作る……っていうのは良くない言い方だけど、育てたりするのは好き?」
「好きじゃない」
「生き物、殺すってことはいなくさせることっていうのは分かる?」
「ん」
「殺してばかりだと殺すもの、なくなっちゃうんだよ。でもこうしてシェリーシャちゃんが魚を殺せるのは、魚を生んだり、生き物を育てる生き物あってこそなんだ。シェリーシャちゃんが殺すの好きなようにね。だからこそ、お互い、ここは嫌だってところは守らなきゃいけないんだ」
「ん」
「シェリーシャちゃんは、一番、これされると嫌だと思うことは何?」
「わかんない。そのときによる」
「そっか。じゃあその時になったら教えてね」
「ん」

 シェリーシャちゃんは話をしている間にも、毒魚を殲滅している。カーネスが「なんかこの子供はしゃいでません?」というけれど、分からない。

「殺すの好きなら外来種専門狩人とかいいかもね」

 そう言って、シェリーシャちゃんの頭を撫でた瞬間のことだった、そばにいたカーネスが虚空に向かって手をかざし、爆炎を起こす。

「え、何」
「蛾が飛んできたので」
「視力どうなってんの⁉」

 頭おかしいのか視力がおかしいのか分からない。カーネスもカーネスでやっぱりおかしい。呆れていれば爆炎からものすごい勢いで黒い触手のようなものが伸びてきた。

 こちらに向かってきた蛸のような触手はすべてカーネスが焼き焦がし炭にするけれど、残った触手は海沿いの小屋や民家を貫いていく。

「……は?」

 目の前の光景に愕然としていると、爆炎の中心から露出の多い女性が現われた。彼女はその背中から無数の黒い蔦を伸ばしていて、腰や足には鱗が並んでいる。

「毒魚の親玉……? なんでこんなこと……」
「こんなこと? それはこっちの台詞よ。こちらはせっせと奴隷市で商売をしていたのに、全部計画を台無しにして……‼」

 女性はとんでもなく怒っている。大人の怒りを見せるのは子供の教育によくない。私は「聞かなくていいよ」とシェリーシャちゃんにこちら側へ向いてもらい、抱きしめるようにすると彼女の耳を塞いだ。

「ずるい‼」

 横でカーネスの絶叫が響く。いい加減にしてほしい。

「私があの人の気を逸らしてるから、漁師の人の避難をよろしく」
「嫌ですよ燃やしましょう‼ 触手なんて‼ 絶対店長になにかするでしょ‼ あの触手絶対服とか溶かしたり変な液噴出させて悪さしますよ‼ 俺は知ってる‼」
「店長命令、はやくしろ」

 カーネスは、すごい形相をしながら民家を襲う触手を焼き始めた。

 彼は炎魔法が得意。だから多分、水系を操る魔法の使い手とは相性が悪い。前に兄から聞いた。水魔法相手に炎の魔法は分が悪いと。そして触手は服を溶かすどころか民家を溶かしている。

「シェリーシャちゃんいざとなったら、魔法でカーネスのほうに飛んで行って」
「なんで」
「生きててほしいから」
「なんで」
「そのほうがいいと思うから」
「わかんない」
「私もシェリーシャちゃんがなんで殺すの楽しいか分かんないから一緒だ」

 私はシェリーシャちゃんを背に庇った。私の屍をのりこえ強く生きていってほしい。普通は目の前の人がと溶けたら心の傷になるけど、彼女は殺すことが好きだから、喜ぶかもしれない。

 どうしよう。殺しの衝動が押さえられなくなったら。いやでも今は目の前の問題を片付けるのが先だ。

「奴隷市の計画ってなんですか」

 客が荒ぶった時、すぐ謝るのも対抗するのも悪手だ。聞く姿勢を見せなきゃいけない。

「他の馬鹿な魔物と違って、私は聡明なの。わざわざ魔力の高い生き物を探して狩りをするのではなく、奴隷市やオークションを開いて、貴重な種をかしこく集めているってわけ」
「毒魚を放流して、人間が奴隷市を開くよう仕向け……?」
「毒魚の放流なんてしないわよ。なにそれ気持ち悪い」
「あ、ごめんなさい」

 濡れ衣を着せてしまった。てっきり、毒魚を放流してこのあたりの地域の経営を妨害し、人間が勝手に奴隷市を開くようにした、みたいな感じだと思ったけど悪知恵を働かせすぎた。毒魚は普通に責任感のない飼い主の都合だったようだ。

「私は魔王軍直属の幹部、竜巫女ジョセフィーヌよ。私がそんなくだらない真似するわけないじゃない」

 設定つきで名乗り始めた。たまにこういう人いる。「私は魔王軍《なんちゃらかんちゃら》の《なんちゃら》」と言って、食事中のお客さんに絡んでくるあれだ。

 でも、今まではこんな被害を出すことは無かった。せいぜいお客さんが呆れた調子で「やれやれ、料理が冷めないうちに戻ってくる」と言って転移魔法で迷惑な人と共に消え、本当に料理が冷めない間に戻ってくるのがいつものことだった。

 絡まれるお客さんはたいてい異世界人。飲食店あるあるに絶対入ってくると思う。異世界人絡まれがち。

 でも、私もカーネスも別に異世界からやってきたわけじゃないから、本当にただ一方的に絡まれている。いい加減にしてほしい。

「ならどうしてここで、触手を出しているのですか」
「そんなの当然よ。貴女が私の崇高な計画の場で歴戦の賢者や錬金術師たちを召喚したからでしょう⁉」

 濡れ衣だ。濡れ衣着せた結果着せられてる。

 私が呼んだのは、はみ出し者の社会不適合者だ。死にかけの奴隷を見たら助けようとする、という一応の善性保証がある日陰者集団。私と同じ。違うのはあっちは魔力があるという点くらい。

 歴戦とかつくキラキラ集団じゃない。

 というか歴戦の人々が集まってたならあの人たち死んじゃうんじゃないだろうか。常々「自分なんか」「駄目だから」が口癖になっているのに。酷いことをしてしまった。

「違いますね」
「嘘おっしゃい‼ 貴女が隠し持っているその高等術式召喚結晶は、一体なんだと言うのよ‼」

 女性が声を荒げる。

「こうとう……けっしょう、これのことですか」

 私は懐から石の詰まった巾着を取り出した。女性の反応を窺うにこれが《こうとうウンタラカンタラ》らしい。

「これは、石です」
「はぁ⁉」

 女性は怒るけれど、そう答えるしかない。これは「石」だ。お客さんたちが「いざとなったら割ってね」と言って置いて行った石。たたそれだけ。

 強盗にぶつけるのか聞いたら、「危ない時、床に、ぶつける」と念を押された。割れなければどうにもならないらしい。防犯石と呼んでいるけど私が勝手に名付けた名称だから通じないだろう。

「それより貴女、何なの、まるで魔力が体内に微塵も存在してないようだけれど……」

 女性が私を怪訝な目で見る。魔力が無くて嫌だったこと、誰かが困ってる時、あんまり役に立たないとか色々あるけど、魔王軍幹部設定で絡んでくる成人女性にここまでの目で見られるのも中々辛い。

「そりゃ無いですからね……あの、ジョセフィーヌさん、でしたっけ……」
「敵軍発見‼ 敵軍発見‼ 海上西の方角に浮上中‼ 一名、市民の生体反応有り‼ 至急至急‼」

 成人女性をなだめようとしていると、光の玉がふよふよと浮遊し始めた。前にカーネスがふざけて飛ばしていた玉より小ぶりだ。

 これは騎士団が到着した時、周囲の状況を把握するために使うものだ。

 どうやら救援がきたらしい。良かった。まだ騎士団の姿が見えないけど、待ってれば来るだろう。

「わたしをはめたのね……!」

 成人女性が唸る。はめてない。

「どこまでも私を愚弄して……‼」

 そうして成人女性が触手をこちらに向けてくる。私は咄嗟にカーネスの名前を呼んだ。

「カーネス焼け‼」

 私はシェリーシャちゃんを庇うように抱きしめる。

 私の背中がこんがり焼けてもいい。シェリーシャちゃんが大丈夫なら。いやカーネスの火力調整的に問題ないだろう。考えられる限りの最悪は、民家を溶かす液体がかかることだ。でもシェリーシャちゃんと私の体格差から考えるに、彼女を守れるはず。
「大丈夫だよシェリーシャちゃん」
「……私は、化け物だから助けなくていいのに」
「化け物でもなんでもいいから‼」

 ぎゅっと抱きしめた瞬間、彼女は私の背に手を回した。だめだ。それだとシェリーシャちゃんの手が溶けてしまう。

 なんとか幼気な命を守ろうとすると、あたりが白い光に包まれた。

 走馬灯──⁉ 死ぬ時こんな感じなのか。混乱している間にも、腕の中がひんやりしてきて、それでいて柔らかな感触に包まれる。やがて光が飛散すると──、

「え」

 私は蠱惑的な雰囲気を持つお姉さんに抱きしめられていた。熱帯地域の伝統衣装を彷彿とさせる衣装に身を包み、滑らかな肢体を露わにする彼女は神秘的な眼差しで私を見つめている。全く知らないお姉さんだけど、多分、助けてもらったようだ。

「あ、ありがとうございます…」

 お礼を言わなきゃいけないけれど、それはそれとして抱きしめていたはずのシェリーシャちゃんがどこかに行った。溶かされたのかと最悪の想像が頭をよぎるけど、彼女は私の腕の中にいて消えたわけだから触手の溶液ならば私の腕もドロドロになっているはずだ。でも私の腕の中どころか私は蠱惑的な女性に抱きしめられていて──、

「シェリーシャちゃん⁉」
「ん?」

 シェリーシャちゃんを呼ぶと、彼女の言い方にとても良く似た返答が聞こえた。でも吐息交じりの煽情的な声だ。淡々とした少女の声ではない。

「シェリーシャ……さん」
「ん」

 そう言って蠱惑的に笑うシェリーシャちゃん……シェリーシャさん。何で? 何か雰囲気違くない? 何が起きた? 急成長? 変身? 魔法で? 体質で?

 ……そういえば常連で蛇に変身できるお客さんがいる。「狩りが好きな常連がいるから、獲物になってたし最悪食材にしてたかもしれない」と言うと絶句していた。

 懐かしい。たいして思い入れも無い親が死んだ挙句《なんだかの継承》に疲れて全部ほっぽりだして来たと言っていたけど、遺産まわり放棄して新しい国を作りたいと自国に戻っていった。元気にしているだろうか。ジャシン・ナーガちゃん。

 名前がナーガで、家の名前じゃないらしい。ジャシンは中間名みたいなものと言っていた。

 じゃなくて、シェリーシャちゃんもそんな感じだったのだろうか。

「変身出来る……ですか? 弱ると、小さくなるみたいな……? た、体質?」
「趣味」

 趣味かぁ。

「大丈夫ですか!?」

 カーネスが心配そうな表情で、こちらに向かって駆けて来る。どうやら民家を襲っていた触手の対応は済んだらしい。良かった。

「うん、だいじょ──」
「大丈夫じゃないじゃないですか‼ 嘘でしょ‼ この女……店長をよくも‼ こ、こここここ公開──でこんな、対面で‼ 座ってって‼」

 安堵したのもつかの間、カーネスが絶叫した。

 カーネスは絶望的な表情で「店長が、寝取られた……」と涙をこぼした。私は今座ったままシェリーシャさんに抱きしめられている状態だ。それが嫌だったらしい。

「俺は店長が、店長が寝てる間に酷い目に合わないように、店長のそばで邪悪な気持ちを持って下半身を露出させた人間の下半身が種族問わず大爆発する魔法をかけてるのに……」
「え、怖」

 知らない間に魔法かけられてる。というかカーネスが自分にかけたほうがいいんじゃないか。

 「着衣も両想いも盲点だった……‼ クッソ……‼ いちゃらぶ百合かよおおおおおおお」

 カーネスはとうとう膝から崩れ落ちた。「無理だ」と震えている。

「お腹が痛い。気持ちも悪い」
「病気じゃないの」
「店長知ってますか、男はね、他人のものだと分かったうえで好きになった場合は、どうしようとか、困ったとか、罪悪感が出るんですよ。でも自分に分があると分かると結構、元気出る。体調不良には陥らない。でもね、好きな子が誰かのものになったと聞くとね、胃腸に全部来るんですよ。あと腕に力入らない」
「正直そのまま脱力しててほしいけど、なにもしてない。無実」

 私が否定すると、シェリーシャさんも頷いた。

「私、生みだすことに興味は無いの。貴方の関心と、私の関心は異なる」
「え、あ、そっかこの女怖い女だから、営みに興味ないんだ‼ 良かったあ‼」

 カーネスが顔を明るくした。良くは無いんだよな。

 というか魔王軍幹部とかいう成人女性は一体どうしたんだ。私はシェリーシャさんの背後を見ると、おびただしい量の氷の氷柱が轟き、海辺が氷山のようになっていた。

「あの氷山は一体」
「私の魔法」
「ああ」

 なんだシェリーシャさんの魔法か。突然、とんでもない量の氷山が出てきたら怖いけど、誰か出したものなら安心だ。

 でも、氷山の後方のあたりに黒煙の塊が浮遊している。

「あの黒煙は一体……」
「あれ俺の魔法です」
「ああ。じゃあいいや」

 でも成人女性の姿が見えない。

 というかシェリーシャちゃんが大人になったから成人女性が二人になっている。どうしたものかと考えていればカーネスが「じゃあいいや、じゃないんですよね」と眉間に皺を寄せた。

「なんで」
「だって店長に邪悪な感情を抱いて下半身を露出させると発動する魔法の結果ですよあれ。つまりあの魔王軍直属の幹部、竜巫女ジョセフィーヌとかいう三下、店長に邪悪な想いで下半身露出させたどころかあの触手あいつの下半身なんですよ。死んだほうがいいやつ」

 カーネスは早口で言う。というかその女性の姿が見えない。

「でもいなくなってない?」
「いなくなってないですよ。魔族だからかしぶといというか、店長に被害がいかないよう調整しすぎたせいで殺し損ねちゃったみたいで」

 カーネスが小爆発を起こし黒煙を吹き飛ばすと、半壊としか表現しようがない強大な蛇が現われた。体中に氷柱がが突き刺さり、炎に焼かれている。

「女性いないじゃん」
「あれがそれです」
「魔物だったんだ……‼」

 てっきり性癖に難を抱えた成人済み女性だと思ってたけど魔物だったんだ。だから騎士団がやってきたのか。

「じゃあ、逃げようか皆で」

 魔物の討伐は騎士団の役目。一般市民の私、カーネス、シェリーシャさんは避難すべきだ。騎士団の足手まといにならないように

「あれは、殺してもいいもの、じゃないの?」

 するとシェリーシャさんが私を上目遣いで見つめてきた。

「魔物は討伐したほうがいいものですけど……騎士団も出動している様子なので」

 シェリーシャさん大丈夫だろうか……。かなり大きいけど。

「なら、任せて」
 
 シェリーシャさんは蛇に向かって手をかざした。大蛇は暴れ狂いながらも身体の再生を始めている。

「再生できる感じの蛇……」
「みたいですね。俺がやってきたころは店長の爪くらいしか無かったのに、俺が取り乱している間にこんな戻ってしまって」

 え、じゃあさっき話をしている間、この蛇ずっと回復してたのか。だから静かだったんだ。

「久しぶりね、この感覚」

 シェリーシャさんの手が淡く発光し始めると、大蛇の周りに魔法陣が展開し始めた。数は……十……二十……三十は越えているかもしれない。

「大丈夫、さっき、再生していたところを見ていたから、致命傷の見立てはついているの。だから、死を迎える心の整理は、沢山出来るはずだわ」

 シェリーシャさんが微笑むと同時に、魔法陣から一斉に氷柱や水弾が大蛇に向かって放たれる。空を貫くような蛇の叫喚があたりに響く。シェリーシャさんはその様子を眺めていたあと、ふっと笑みを消した。

「飽きちゃった」
「え」
 シェリーシャさんは冷めた眼差しで、再度蛇に向かって手をかざす。
 すると蛇は一気に凍り付いたあと、硝子のように砕け散っていった。



「あああああ疲れたあああああ……」

  海辺そばの宿で、私は大きく伸びをする。カーネスとシェリーシャさんに魔物討伐をしてもらったあとのこと、騎士団の到着を待っていたけれど、中々来なかった。その為、私は手持ちの石をいくつか割り、はみ出し者の常連客のみんなに協力してもらった。

 魔法が使えない私はといえば、触手の魔物に壊された海辺の民家の修復修繕、救助や治療──をする常連のお客さんや怪我をした人々に炊き出しだ。

 常連客の中に頭がいくつもある犬連れが来ていたこと、カーネスやシェリーシャさんも魔法が使えることで料理ではなく人間の救助をお願いしていたことから、一人で屋台を営んでいた頃の地獄が蘇った形だ。

 結局、すべてが終わった後騎士団がやってきて、私は私で疲れていたため、常連客に説明を任せ、漁師のすすめのままに宿に泊まることにしたのだ。

「大丈夫ですか店長、いやらしい方向で癒しましょうか」
「寝たら回復する」
「寝たら⁉」

 カーネスが瞳孔が開いたような目で私を見る。先ほど漁師の人たちに「すごいね」と褒められ「あ、はい」と素っ気なく返していた、かしこそうな彼は何処に行ってしまったのか。

「適切な睡眠を取ったら」
「よりぐっすり眠れる方法がありますよ」
「カーネスが黙ること」
「声我慢しなきゃ駄目なやつですか⁉ 店長に声我慢してなんて言われたらもう……‼ はぁ……夢が膨らんじゃうな。我慢させられるの一番いいですよね、声出しちゃ駄目でしょ、とか言われたい。それで軽く声出して、もう、とか言われたい。ちゃんと我慢出来たらご褒美くれると提示されつつちゃんと出来なくても仕方ないなぁってご褒美もらいたいっっっ‼」

 ハギの村の罪、あまりに重い。子供に健全な教育の機会を与えなかった結果だ。

 私はカーネスから視線を外し、じっとこちらを見つめていたシェリーシャさんに声をかけた。

「私は、シェリーシャさんに重要なお話があります」
「なあに?」

 そう言うと、シェリーシャさんは私に視線を合わせた。

 彼女には大切な、それはそれは大切な話がある。

「屋台の従業員として働いてください!」

 頭を地につけんばかりに下げる。

 子供を雇うのはありえないけど大人なら別だ。冷却も出来て水も出せる。なんて優秀な人材だろう。

 完璧だ。冷水も出せるし、シェリーシャさんの出した水をカーネスが温めれば熱湯が一瞬で作れる。最高だ。大幅な時間短縮になるし、転移魔法に踊らされる日々から解放される日も近い。「転移魔法? ドンドン使ってくださいよ」と足を組みながら笑みを浮かべる日も近い!

「いいの? ……私と一緒にいて」
「勿論‼」
「飽きたら殺すかもしれないけどいいの」
「殺すのはなしで一緒に働いてください‼ 定期的に外来種の多い場所行くのでそれで我慢してくださいっっっ‼」
「殺しをやめろとは言わないの?」
「やめられるんですか?」
「いえ」
「なら、やめろとは言いませんけど……」

 なんだか微妙な沈黙が訪れる。しばらくすると、シェリーシャさんの笑い声が聞こえたような気がした。いや、聞こえてる。笑われている。

「あの、シェリーシャさん? どうされました」
「不思議だなと思って」
「不思議だと……楽しいんですか?」
「ええ、そうみたい」

 声を上げるのも辛そうなシェリーシャさん。絶対に笑いものにされているけれど、さっき「飽きた」としているよりはましだと思う。

 笑いものにされてるけど。

 いやでもこっちは大事な話をしてるんだけどな……。

「仕事に関してはいかがでしょうか……」
「ふふ、いいわ。貴女の最期まで、お手伝いしてあげる」

 シェリーシャさんの艶やかな唇が弧を描く。じゃあいいや、笑いものにされても。

「よろしくお願いします!」

 勢いのまま手を差し出す。するとシェリーシャさんは私の手をじっと見た後、また笑って私の手を握った。

「よーし! じゃあもう寝ましょうか‼ 朝になったらこの街を出ますからね‼」

 この部屋に来る前、漁師の人たちから、色々聞かれた。私とカーネス、シェリーシャさんの関係や、旅の目的とか。冒険をしていると勘違いされてすぐ否定したけど、「無粋なことは聞くんじゃない」と漁師の長のような人が察したような顔で止めて、なんだかとてつもない誤解を招いている気がしてならない。

 ややこしい事になる前に、町を出たい。

「そうですね、寝ましょうか」

 そう言ってカーネスは当然のように私の寝台に潜り込んでくる。

 私は空いている隣の寝台に入った。するとすぐに「差別だ‼」とカーネスは声を荒げる。

「差別って何が」
「その女はいいのに何で俺は駄目なんですか‼」
「え?」

 カーネスが指すほうを見ると、少女の姿をしたシェリーシャさんが私を抱き枕にするようにして眠っていた。あどけなくてかわいい。殺すのが好きな子には見えない。

「よしよし」
「俺もよしよしされたい‼ 色んな意味で‼」
「色んな意味では絶対しない」

 私はシェリーシャさん……いやシェリーシャちゃんを撫でながら寝に入る。

 今日は色々あって疲れた。でも、一人で転移魔法のお客さんをさばいていた頃より気楽だ。

 お客さんと話をしている時は楽しいけど、夜とか、ちょっとさみしかったし。

 今、私は一人じゃないんだ。

 私は穏やかな気持ちで目を閉じた。