最終的に奴隷を泥棒した私は、ひとまず彼女を医者に診せた後、ひとまず街の外れにある川辺に野宿をすることにした。
街で宿に泊るのもいいけれど、奴隷市があるような街は信用できない。寝ている間に身ぐるみを全てはがされていました、なんてことになればたまったものではないからだ。
「はい、好きなだけどうぞ。あ、でもお腹いっぱいになったら残してもいいよ」
死んだような目で一点を見つめる少女に、スプーンと木皿に入れたシチューを渡す。
「スプーンの使い方、分かる?」
一応問いかけると、少女は静かに頷く。そしてじっとシチューを見つめた後、食べはじめた。
良かった。奴隷を買う人間には、食事に毒を混ぜたり、食べ物ではないものを混ぜたりして、奴隷が苦しむ反応を楽しむ死んだほうがいい屑がいるらしいから、食事に抵抗があるのではと疑っていたけど、大丈夫そうだ。
安堵していれば、右肩に生ぬるい感触を覚える。
隣を見ると、カーネスがぴったりくっつき涼しい顔でシチューを食べていた。
「近くない?」
「今日寒いですから……」
「炎を出せる」
「でも今、俺の炎を出したら、店長がここにいるって知られますよ。いいんですか? 魔力ないのに料理店で働いていた時期があったんでしょう?」
「……駄目」
「ふふふふふふ」
カーネスがにやけながら私を見てくる。先ほどカーネスに、私が一時期、魔力が無いことを隠し料理店で働き、「へへへ」で乗り切ったことを話した。
というのも、こうして少女を奴隷市に戻さず連れてしまっているからだ。
カーネスが連れてきていると分かったあと、私は渋るカーネスを説得し騎士団に少女を引き渡そうと戻った。
しかし、石を割って飛んできた客たちが私を探していて、すぐに戻ってきた。転移魔法による行列の悪夢が蘇ったからだ。
だから人が引けてきたあたりを見計らい、難を逃れてきた奴隷としてきちんと少女を騎士団に引き渡す予定だ。カーネスを経由して。
「一応消化しやすいように潰してみたんだけど、物足り無かったらごめんね」
「ん」
少女は、こちらを探るような目で見つつも、おそるおそる声を発した。
「あちちしないよう冷ましちゃったけどどうかな」
「ん」
どうだろう。「ん」のみの発声だけど、言葉は通じつつ話が出来ないのか、言葉を知らずとりあえず音で返しているのか、良く分からない。
「私の名前はクロエ。貴女の名前は?」
「……シェリーシャ……」
話も通じるし名前も言えるようだ。さっきの「ん」は、本能のままの「ん」だったのかもしれない。
「シェリーシャちゃん、よろしくね」
「ん」
「やだな、と思ったら教えてね」
「ん」
嫌なことがあっても、初対面だし言いづらいだろう。でも、虐げられてきただろう相手には「拒否の選択肢がある」と根気よく伝え続けることが大切だ。
敵じゃないことも主張すべく笑いかけると、シェリーシャさんは俯く。
「俺あちちしそうなんですけど」
「置いておけば冷める」
「なんでだろう、冷める気配無いな」
カーネスの周囲は炎の球体が浮遊している。パーティー会場かここは。
「魔力無駄撃ちやめな。魔力って限りあるんでしょ」
「ないです。俺には」
彼は真顔で答えた。相変わらず情緒がおかしい。
「具合悪くなったら絶対言って」
私は無いから知らないけど、魔力が枯渇すると人は具合が悪くなるらしい。種族によっては大人なのに魔力が減ると子供の姿になってしまったり、普段は獣だけど人の姿になったりと、外見にも変化が及ぶようだ。
「俺は、普通じゃないんで……魔力に限りはないんですよ」
カーネスは寂しそうな言い方をする。
「魔力だけじゃなく色んな意味で普通じゃないから。あたかも魔力だけみたいな言い方するけど」
感傷にひたっています、というていだが幼女希望したり幻覚見てはしゃいだり、カーネスはそもそも精神面で普通じゃない。カーネスは自覚がないのだろうか。狂ってる。首をひねるとカーネスは私をじっと見てきた。怖すぎて私は彼の頬を押さえ、こちらを見せないようにする。
「なにするんですか」
「狂ってるから教育に悪いと思って」
「ひどい」
「ひどくない」
「まぁ……たしかに、こうして触ってくれますし、普通じゃないって言ってくれる」
「どういう意味?」
「なんでもないです」
カーネスは頬を押さえられながらも笑っている。何だか最近、ずっとカーネスは笑っている。村にいたころの変な目つきより100倍マシだけど、言動が変になってきているから微妙なところだ。
夕食を終え、シェリーシャちゃんをお風呂に入れることにした。
「温度どう」
「ん」
川で、軽く石で円を作ったお風呂の中、シェリーシャちゃんはお湯の中に顔を沈めながら頷いた。
カーネスが来るまでは行水だったけど、彼が来てからは、川の水を温めてもらい、こうして温かいお風呂に入れるようになった。石で囲った内側の部分だけを温め温度を維持するカーネス、本当にすごいと思う。
今まで、気温が低い土地での入浴は死と隣り合わせだった。食べ物を取り扱う仕事だから、綺麗にしなければと念入りに洗わなきゃいけないことで、地獄でしかなかった。カーネス様様だ。本当にありがたい。入浴のたび、彼は神様かもしれないと思う。
「店長、どうして布を巻いて入浴しているんですか。ありのままでいいじゃないですか。俺をありのまま受け入れてくださっているんですから、俺も店長の、ねぇ、全てにおいて淑やかで素朴なお身体の全てを受け入れますよ」
邪神かもしれない。
「受け入れなくていいよ。私、カーネスのこと受け入れてないから」
「受け入れてるじゃないですか。俺みたいな化け物」
「……それなんか、卑猥な隠語だったりしない?」
「え、ひどい‼ 店長、え、俺、卑猥な発想しかしないと思ってるんですか⁉」
「それ以外ないだろ」
「濡れ衣‼」
カーネスが喚くけど絶対に濡れ衣じゃないと思う。私は彼から顔をそらし、シェリーシャちゃんがのぼせてないか確認した。
彼女は、初めて見た時から、「酷い暮らしをしていました」とすぐ分かる状態──いわゆる薄汚れていた。皮膚はすすがこびりつき、髪は絡まり、悲惨だった。
鍋ならまだしも人相手にごしごし洗えない。
時間をかけ、髪は一本一本解いて汚れを拭い、今は見違えるように綺麗になった。
「シェリーシャちゃんきもちいい?」
「ん」
どっちなんだろう。反射で返事してるのか。本当に快適なのか。今のところ「ん」と「シェリーシャ」しか聞いていないけれど……。色々、辛いことがあって喋らないのか、口が重いのか、私が信用できないのか、何かほかに理由があるとか……。



