食事を終えた後、ミズハの清めの儀式と、昨日できなかった境内の草むしりをやってから、ウズとカガチを連れて草田瀬の村へと向かった。
 草田瀬は穏やかな農村だ。青空の下、一面に田畑が広がっている。けれどもそこに植えられている野菜や稲は、どれも葉が力なく倒れてしまっていた。
「やっぱり、予想通りだわ」
「なにがだよ」
 カガチに問われ、百代は畑の傍に屈み込みながら答える。
「この辺り、水不足なのよ」
 百代は白くなった畑の土に触れた。指でつまんだ土塊は、さらさらと崩れながら落ちていく。
 回帰を繰り返す中でミズハの神堕ちについて調べていた時、前回――九度目の人生でミズハの封印が解かれてすぐの時期に、草田瀬で水不足が起こっていたのだ。雨が降らないことが原因だそうだが、詳しい状況は都まで伝わってこなかった。ともかく村人たちが大きな被害を受けているのは、間違いないだろう。
 この水不足を解決できれば、村人たちがミズハを信じるきっかけになるはずだ。そのために百代は、前回と今回で農業や灌漑の知識を本で山ほど勉強してきた。どんな原因が来ようと解決できる自信がある。
「ひとまず、今の状況を聞いてみないとね」
 対策を考えるには現状を知らねばならない。そして、村のことは村人に聞くのが一番早いはず。どこかに村人はいないかと探して畑に囲まれた道を歩いていると、がさりと傍の草むらが揺れた。
「あら、シマヘビだわ」
 茶色の体に黒い帯が入った蛇が、百代たちの横をするすると蛇行していく。その姿に、ふと座敷や炊事場にいた蛇を思い出した。
「そういえば、社にいた白と黒の斑の蛇は、あなたたちだったの?」
「白と黒? それは多分、ぼくたちじゃなくて……」
「こらっ、ウズ!」
 何かを言おうとしたウズの口を、カガチが慌てた様子で塞いでいる。彼はウズの口に手を当てたまま、百代をきっとにらみつけた。
「そんな蛇は知らない! でももしまたお会いしたら、丁重に扱うんだぞ!」
「言ってることがぐちゃぐちゃね」
 知らないのに丁重に扱えとは、知っていると言ったも同然だろう。カガチが敬えと言うような対象なら、あの蛇はやはり、ミズハに関わる存在なのだ。
(ウズとカガチとは別の、眷属かなにかなのかもしれないわね)
 次に会ったら蛇に聞いてみようと考えながら歩いていると、道の先の畑で土を弄っている中年の男の姿を見かけた。ようやく見つけた村人に、百代は小走りで近づき声をかける。
「すみません、少しいいですか?」
「ん? 嬢ちゃんたち、見ない顔だね」
 男は土いじりをしていた手を止め、百代の方を振り返った。
「その格好、巫女さんかい?」
「はい。最近近くの社に来たんですけど、少し聞きたいことがあって……」
「近くの社!? まさか、あの邪神のところかい!?」
 社の話を聞いた途端、男は血相を変えて叫び声をあげた。
「えっ、いや、ミズハは邪神じゃ……」
「帰っとくれ! あいつのせいで、こっちは酷い目に遭ってるんだ!」
「っ!」
 激昂した男は、百代に土を投げつけてきた。顔はなんとか庇ったが、巫女装束は茶色に汚れてしまう。
 カガチとウズが険しい顔で、百代を守るように前へ出た。
「おい人間、話も聞かずにそれはないだろ!」
「うるさい! 邪神に関わってるやつに話すことはなにもない!」
 男が再び土を投げてくるので、百代たちは退散するしか術がない。
 ひと気のない場所まで逃げたところで、ウズが心配そうな目で百代を見上げた。
「百代さま、大丈夫?」
「心配いらないわ、これくらい。でも服が汚れちゃったわね」
 土を投げられる程度、美輪家でされた仕打ちに比べたらなんてことはない。それよりせっかくミズハにもらった服を早々に汚してしまったのが申し訳なかった。
 カガチは男がいた方向をにらみつけ、小さな牙をむき出しにしている。
「なんだあの人間! 仮にも主さまの巫女に向かって不敬だろ!」
「ふふ、怒ってくれてありがとう」
 百代は微笑みながら屈み込み、カガチとウズに目線を合わせた。
「それとさっきも。二人とも守ってくれて嬉しかったわ」
 二人の頭を同時に撫でる。ウズは頬を赤くし、カガチはそっぽを向いた。
「百代さまのためだから」
「主さまの命令だからな」
「カガチは素直じゃないわねぇ」
 百代は二人の頭から手を離して立ち上がり、村の方に視線を向けた。
「これからどうする? 社に戻るか?」
 カガチの問いに、百代は少しだけ頭をひねった後に答えた。
「他の人にも話しかけてみようかなって」
「また嫌なことを言われるかもしれないよ……?」
「そうかもしれないけど、誰か話してくれる人もいるかもしれないでしょ?」
 今話したのはたくさんいる村人の中のたった一人だ。ほかの人にも当たってみれば、誰か一人くらいは状況を話してくれる人がいるかもしれない。ミズハに信仰を戻すためにも、この程度で諦めるわけにはいかなかった。
「ほら、服はもう汚れているし、これ以上汚れたところでどうってことないわ。だからもう少し、付き合ってくれる?」
 百代はウズとカガチを連れて、再び村人たちに話しかけようと試みた。
 しかし、結果は散々だった。
 初めは親しみやすそうに話してくれたり、汚れた服を心配してくれたりした人々も、百代がミズハの巫女だと知ると態度を一変させ、明らかな敵意を向けてくる。土や石を投げられたり、ひどいときには塩を撒かれたりもした。
 いくらミズハが邪神と呼ばれているからといって、村人たちがここまで過剰な反応を見せるのは奇妙だった。
 なにせミズハが災害を起こしたとされているのは、二百年も前のこと。当時を直接体験している人間は当然生きているはずがない。けれど今の村人たちの反応は、今まさにミズハに何かをされているかのようだった。
「ひとまずミズハと話さないとだけど……これ、どう説明しようかしら」
 一日で真っ黒になってしまった巫女装束を見下ろした。村人にされたことを正直に話せば、ミズハに余計な心配をかけてしまうだろう。やっぱり巫女にするのは止めるとでも言われたらたまらない。
 悩みながら社に繋がる石段を登っていると、ふと背後から視線を感じた。
 しかし振り向いても、そこには誰の姿もない。
「気のせいかしら?」
 百代は首をひねったが、カガチとウズは首を横に振った。
「いいや、気のせいじゃないぜ」
「誰か、ぼくたちのこと見てた」
 カガチは背後をぐるりと見渡して、一声叫んだ。
「おい、出てこい! いるのはわかってるんだぞ!」
 茂みも草木も、しんと静まり返っている。隠れている誰かは、姿を現す気はないらしい。
「……ま、敵意はなさそうだから、ほっといても大丈夫だろ」
 カガチの言葉に、ウズもこくこく頷いている。神の眷属の彼らが言うなら、間違いないだろう。
「そう。なら行きましょうか。本当に用事があるなら、また改めて来てくれるでしょう」
 三人は石段を登って鳥居をくぐると、ちょうど社殿から出てきたミズハと目が合った。泥だらけの百代の姿に、ミズハの目が一気に険しくなる。
「……は?」
「あー、ええと……ただいま?」
 百代は苦笑いをしながらひらひらと手を振る。
 ミズハは、顔を険しくしながらつかつかと歩み寄ってきた。
「どうしたの、これ。なんで君が真っ黒になってるわけ?」
「まあ……村で色々あったのよ」
 村が水不足ということと、今の状況を聞こうにも、村人たちが聞く耳を持たなかったこと。それらを百代はミズハに話す。
「聞く耳を持たなかっただけで、こんな状態にはならないでしょ」
「それは、ええと……」
「あいつら、土や石を投げてきたんですよ!」
 百代が返答に迷っていると、横からカガチが一言告げた。
 ミズハの眉間の皺が一層深くなる。
「本当?」
「まあ、はい……服、せっかくもらったのに汚してごめんね」
「服が汚れるとか、そんなのどうでもいいよ。怪我はしてない?」
「ちょっと擦ったくらいかしら」
 左腕をめくると、軽い擦り傷がついていた。飛んできた石を避けるのに失敗してついたものだ。
「でも大丈夫よ、これくらい大したことないもの」
「そんなわけないでしょ……」
 ミズハは百代の腕を手に取ると、その怪我を見て顔をゆがめた。
「ウズ、カガチ、お風呂の準備」
「「わかりました!」」
 ウズとカガチはぱたぱたと家の方へ走っていく。
 二人が消えた後で、ミズハは百代の左腕を掴んだまま、手の平から水球を生み出した。
「痛いかもだけど、我慢して」
 ぱしゃり、と水球が百代の腕の上で弾け、怪我を洗い流していく。腕についていた砂は、綺麗さっぱり落ちていった。
「わ、すごいわね。ありがとう、ミズハ」
 しかしミズハは、百代の腕を握る手に力をこめる。
「こんな風になるなんて……」
「え?」
 聞き返すと、ミズハはぱっと腕を放して百代に背を向けた。
「……なんでもない。ひとまず、早く体を洗って着替えておいでよ」
「ええ、そうさせてもらうわね」
 百代は踵を返して、ウズとカガチが消えた家へと歩いて行く。
 その後ろ姿をミズハが見つめていたことには、気づかなかった。

   ***