「おい、起きろ!」
「もう朝だよ」
「んん……なんなのよ……」
聞き慣れないふたつの声に体を揺さぶられ、百代は渋々目を開く。視界に飛び込んで来たのは、紫と金の瞳だった。
「だっ、誰よ、あなたたち」
百代は飛び起き、枕元の両側にいた見知らぬ二人を見比べる。
五歳くらいの男の子だった。さらさらの黒髪を顎の辺りで切りそろえたおかっぱ頭に、柔らかそうな桃色の肌。薄青の着物を着た瓜二つの二人だったが、瞳と表情だけはまるで違う。右側にいる一人は金の瞳で怒ったように唇を尖らせており、左側の一人は紫の瞳でぼんやりと百代を見つめていた。
金の瞳の男の子が不機嫌そうに口を開いた。
「おれはカガチで、こっちはウズ。主さまの眷属だ」
「主さまって、ミズハのこと?」
ミズハの名を聞いたカガチは、途端に目を尖らせる。
「不敬だぞ、女! 主さまを呼び捨てするんじゃない!」
「ミズハは怒ってなかったわよ。それに私を女って呼ぶのも失礼じゃないの」
「ぐぬぬ……おれに言い返すなんて……!」
カガチは顔を真っ赤にして百代を睨んでいる。どうやら彼は百代が相当気に入らないらしい。大して気に障ることもしていないと思うのだが。
困惑した百代の袖を、ウズが掴んで申し訳なさそうに眉を下げる。
「お姉ちゃん、ごめんね。カガチは人間があんまり好きじゃないの」
「あっ、こら! 言うんじゃないウズ!」
「ああ、そういうこと。ならいいわよ。ミズハも似たようなものだものね」
ミズハの眷属というのなら、彼の人間嫌いの影響を受けていてもおかしくはない。嫌われる理由がわかっていれば、もやもやしなくてすむ。
ウズは安心したように、頬を緩ませた。
「ありがとう。お姉ちゃん、お名前は?」
「百代よ。昨日からここの巫女になったの」
「知っている。昨日主さまから聞いたからな」
カガチがふん、と鼻を鳴らしたと同時に、がらりと玄関が開く音がした。
「入るよ。起きてる?」
「主さま!」
玄関から聞こえてきた声に、ウズとカガチは歓声を上げて襖を開いた。炊事場の向こうに、野菜などの食材が入った大きな籠と四角い箱を数個抱えたミズハが立っている。
「ああ、もう目を覚ましてたんだ。今日分の食材をもらってきたから、炊事場に置いておくよ」
置かれた籠の中には大量の野菜と魚が入っている。百代は少し圧倒してしまった。
「あ、ありがとう……別にいいのに。自分で調達できるし」
「馬鹿言わないで。巫女の仕事もやって、食材の調達までするのは大変でしょ。料理は君に作ってもらった方が、力が出るからお願いしたいけど」
「それはもちろん。任せてちょうだい」
人間――特に巫女が作った食事は、神に力を与えるとされている。だから神の食事を作るのも巫女の仕事の一環だと、巫女学校で一通り教え込まれている。なにより料理は美輪家にいた頃の唯一の楽しみだったし、回帰してきた中で料亭の見習いになる程度には好きな仕事だった。止めろと言われても辞める気はない。
「ところで、どう? その二人。仲良くなれた?」
「そうよ、この子たち!」
百代は座敷から身を乗り出し、ミズハに問いかける。
「朝起きたら部屋にいたんだけど、なんなの? あなたの眷属なんでしょ?」
「そうだよ。君の監視をしてもらおうと思って」
「監視!?」
穏やかではない言葉が聞こえて、百代は思わず叫んでしまう。
ミズハは百代の傍までやってきて、箱を横に置きにたりと薄い笑みを浮かべる。
「そう、監視。なにせ君は、山賊に一人で立ち向かった女なんだから。放置すると何をするか分かったものじゃない」
「う……でも、必要なら何でも自分でやらないとでしょう?」
「そういうところが怖いんだけどなぁ」
唇を尖らせながら弁明すると、ミズハは呆れとも不安ともつかない複雑そうな顔をした。
「ともかく、二人は村のこともある程度は分かるから。今日からは一緒に行動してね」
「……わかったわよ。この辺のことを教えてくれるならありがたいし」
渋々ながらも頷くと、ミズハは少しだけ満足そうな顔をする。そして脇に置いていた箱を百代の前に置いた。
「今日からこれを着て」
一番上の箱を開けると、中には白装束に緋袴の巫女装束が入っていた。他の箱にも、薄紫や黄色の着物に、白や青の浴衣と、仕立てたばかりの着物が綺麗に折りたたまれて入っている。
「どうしたの、これ」
「ここで巫女として暮らすなら必要でしょ。だから用意したんだ」
「そうは言っても、どうやって……?」
都にいる神々は、人間と同じように呉服店などで買い物をしている。しかし穢れの侵蝕が強いミズハの見た目はどう見ても怪しく、普通に買い物ができるとは思えなかった。そもそも二百年もの間封印されていたのに、金はあるのだろうか。
「まっ、まさか……」
「変な想像しないでよね。こういうときのための伝手があるんだ。この服も食糧も、そいつに調達してもらってる」
眉根を寄せるミズハに、百代はほっと息をつく。
「よかったわ。てっきり危ない方法でも使ってるのかと」
「なわけないでしょ。なんなら僕のお金だってそいつが持ってるはずだから、この代金も全部そこから引かれてると思うよ」
「なら安心……? いやでも、悪いわね……」
自ミズハが用意した着物は、きめ細かな生地に、美しい刺繍が刻まれている。着るものに無頓着な百代でさえ、一目で高級品と分かる代物だ。自分が来たからと言って、他人の金で新しく着物を用意してもらうのは気が引ける。
躊躇っていると、ミズハは眉間の皺を深くした。
「お金のことなら、別にどうってことない。どうせ使い道もないしね。だから大人しく受け取りなよ。で、早く着替えたら?」
「わ、わかったわ」
百代はぎこちなくも頷いて、ミズハたちを外へ出し襖を閉める。
一人になった百代は巫女装束を箱から取り出した。
白い衣に赤袴。
巫女学校で実習用の巫女装束を着たことはあったものの、こうして本物を見るとやはり胸が高鳴ってしまう。それが神に手渡されたものなのだから尚更だ。
頬が緩んでしまうのを感じながら、百代は袖に腕を通した。袴の紐を結ぶと、自然と背筋が伸びた気がした。
「着替えたわよ」
襖を開けると、その向こうにいた三人が同時に百代を振り返る。
「馬子にも衣装だな」
「百代さま、綺麗……」
相変わらず生意気なカガチに、目を輝かせるウズ。
しかしミズハは、じっと百代を見つめたまま黙っていた。
百代は袖を掴んで自分の姿をミズハに見せる。
「どう、この服」
「普通の巫女装束だね」
「それはそうでしょ。じゃなくて、もっと何かないの? 似合ってるとか、似合ってないとか」
「……ま、いいんじゃない」
「そう、ならよかった」
悪くない返答が来て、心がふわふわと浮き立っている。能なしで巫女試験に落第した自分でも、巫女をしていいと認められたようで嬉しかった。
「それじゃ、朝飯を作りましょうか」
たすき掛けで着物の裾をとめ、炊事場に立つ。今朝ミズハが持ってきたのは、緑が美しい菜の花に、こごみやうどなどの山菜、アマゴが四匹だった。米は昨夜の分が残っているから、それを使えばいいだろう。
「菜の花のおひたしに、山菜のお味噌汁……アマゴは塩焼きにしましょうか」
百代は米を炊き、かまどに火をつけて湯を沸かしたり、山菜の灰汁を取ったりしながら、てきぱきと朝食を作っていく。その様子をミズハが横からしげしげとのぞき込んだ。
「昨夜も思ったけど、君って料理の手際がいいよね。昔うちにいた巫女たちはこんな風にはいかなかったよ」
「これでも料亭の見習いをしていた時もあったから」
「本当に? 巫女の学校にも行ってたんでしょ?」
途端にミズハの視線が訝しげなものに変わる。
失言だった。昨夜夕飯を食べながら、巫女学校に通っていたことや、家を出たことはミズハにも大まかに話している。しかし巫女の試験に落第していることや、異能や回帰に関わる話は、未だに隠したままだった。
せっかく巫女にしてもらったのに、妙な話をして撤回される訳にはいかない。
「巫女学校に行きながら、空いた時間でやっていたのよ」
適当な嘘を告げると、ミズハは山菜を切る百代の手元を眺めながら首をかしげた。
「君ってまだ十六、七くらいだよね? なのに巫女の学校に行ったり、料亭の見習いに行ったり、山賊と戦えるくらいの剣術を身につけたり……僕が封印されてた二百年の間に、女の子の生活は随分変わったんだね。人生を何回かに分けてやった方が良いんじゃない?」
「あはは……そうねぇ」
百代は笑って誤魔化した。
実際に九回の人生をかけていろいろやってきましたとは、さすがに言えない。
できた料理は御膳に載せて、ウズとカガチに茶の間へ運んでもらった。本来神は社殿で食事をとり、普通の巫女と席を共にすることはない。しかしこの社の社殿は壊れかかっており、食事ができる環境ではなかった。それにミズハが百代も一緒に食べろというので、昨晩からこの民家の茶の間で食事を共にしている。
四つの膳が出そろって、全員それぞれの膳の前に腰掛けた。
「さあどうぞ、召し上がれ」
「ん……いただきます」
「「いただきまーす!」」
三人は箸を手に取ると、それぞれおかずを一口頬張った。ミズハは小さく目を見開いて、少しだけ頬を緩ませる。ウズとカガチも、夢中になってばくばく食べ進めている。どうやら口に合ったらしい。
嬉しい気持ちになりつつも、百代も汁椀を手にとり味噌汁を啜る。山菜の僅かな苦みと出汁の加減と味噌の塩気がちょうどいい。我ながらいい出来だ。
「それで巫女をやるって言っても、具体的にどうするつもりなの」
アマゴの塩焼きを頭から丸かじりしながら、ミズハは百代に目を向けてくる。
「そうね。社の掃除や清めの儀式は続けつつ、ひとまずは草田瀬の様子を見てみようかと思って」
ミズハが神としての立場を取り戻すのに一番重要なのは、人間に信じてもらい、信仰を取り戻すこと。なので百代は手始めに、もっとも身近にいる草田瀬の村人たちに働きかけようと考えたのだ。
「巫女の私が、村人たちの困っている事を聞いて解決して信頼を得ていけば、ミズハのこをいい神だと信じると思うのよ」
「ふぅん……結構地味な手段でいくんだね。もっと異能を使って派手にやるのかと思ってた。巫女ってそういうものでしょ?」
「ほ、ほら。尊敬ならともかく、信頼を得るところから始めるなら、異能に頼らず自分の力だけでやった方がいい気がするの」
今考えた言い訳を、それらしく言いながらやりすごす。
都の祭りで見たように、本来の巫女は異能を使って神への信仰を集める手助けをする。しかし百代の異能はその手のことに、圧倒的に向いていない。そのため身一つでやり抜くしかなかった。
いずれにせよ、やるべき事は決まっている。
村人とミズハの間を繋いで信仰を取り戻し、ミズハを本来の立場に戻す。
それが神に仕える巫女の役割であり――百代の未来のために必要なことだ。
それに実を言うと、全くとっかかりがないわけではない。
「ともかく考えてはいるから安心して。絶対にミズハの立場を取り戻して見せるから」
意気込む百代に、ミズハはアマゴの尻尾を飲み込んでから口を開く。
「まあ百代の好きにやってみたら? 君は僕の巫女なんだし。なにかしてほしい事があれば言って」
「意外にすんなり受け入れるのね」
昨日の様子から、もっと否定されたり難色を示されると思っていたのに、こうも早く話が進むとは思わなかった。しかも協力する姿勢まで取るなんて、昨日の今日で何か心境の変化でもあったのだろうか。
「失礼だな。これでも、君のことはひとまず信頼してみることにしたんだよ」
ミズハはそっぽを向きながら唇を尖らせている。
素直でない彼がなんだか可愛らしく見えて、百代は頬を緩めた。
「あら嬉しい。でもひとまずじゃなくて、全力で信頼してくれていいのよ。私は絶対に裏切らないし」
なにせミズハの立場を回復させられなければ、自分が死んでしまうのだ。生死がかかった状況で、彼を裏切る訳がない。
自信に満ちた百代の台詞に、しかし何故かミズハは頭を抑えて盛大にため息をついた。
「そういうこと言っちゃうんだ……」
「私、なにか変な事でも言ったかしら?」
「変な事しか言ってないよ」
「ええ……」
訳が分からない百代の前で、ミズハは軽く頭を掻いた後「まあ、そのうちね」と小さく呟く。そして席を立ち、そのまま家を出て行ってしまった。
「主さまを困らせるな、このド天然!」
「百代さま、素敵……」
正反対のウズとカガチの言葉を聞きながら、百代は頭に疑問符を浮かべるのだった。
「もう朝だよ」
「んん……なんなのよ……」
聞き慣れないふたつの声に体を揺さぶられ、百代は渋々目を開く。視界に飛び込んで来たのは、紫と金の瞳だった。
「だっ、誰よ、あなたたち」
百代は飛び起き、枕元の両側にいた見知らぬ二人を見比べる。
五歳くらいの男の子だった。さらさらの黒髪を顎の辺りで切りそろえたおかっぱ頭に、柔らかそうな桃色の肌。薄青の着物を着た瓜二つの二人だったが、瞳と表情だけはまるで違う。右側にいる一人は金の瞳で怒ったように唇を尖らせており、左側の一人は紫の瞳でぼんやりと百代を見つめていた。
金の瞳の男の子が不機嫌そうに口を開いた。
「おれはカガチで、こっちはウズ。主さまの眷属だ」
「主さまって、ミズハのこと?」
ミズハの名を聞いたカガチは、途端に目を尖らせる。
「不敬だぞ、女! 主さまを呼び捨てするんじゃない!」
「ミズハは怒ってなかったわよ。それに私を女って呼ぶのも失礼じゃないの」
「ぐぬぬ……おれに言い返すなんて……!」
カガチは顔を真っ赤にして百代を睨んでいる。どうやら彼は百代が相当気に入らないらしい。大して気に障ることもしていないと思うのだが。
困惑した百代の袖を、ウズが掴んで申し訳なさそうに眉を下げる。
「お姉ちゃん、ごめんね。カガチは人間があんまり好きじゃないの」
「あっ、こら! 言うんじゃないウズ!」
「ああ、そういうこと。ならいいわよ。ミズハも似たようなものだものね」
ミズハの眷属というのなら、彼の人間嫌いの影響を受けていてもおかしくはない。嫌われる理由がわかっていれば、もやもやしなくてすむ。
ウズは安心したように、頬を緩ませた。
「ありがとう。お姉ちゃん、お名前は?」
「百代よ。昨日からここの巫女になったの」
「知っている。昨日主さまから聞いたからな」
カガチがふん、と鼻を鳴らしたと同時に、がらりと玄関が開く音がした。
「入るよ。起きてる?」
「主さま!」
玄関から聞こえてきた声に、ウズとカガチは歓声を上げて襖を開いた。炊事場の向こうに、野菜などの食材が入った大きな籠と四角い箱を数個抱えたミズハが立っている。
「ああ、もう目を覚ましてたんだ。今日分の食材をもらってきたから、炊事場に置いておくよ」
置かれた籠の中には大量の野菜と魚が入っている。百代は少し圧倒してしまった。
「あ、ありがとう……別にいいのに。自分で調達できるし」
「馬鹿言わないで。巫女の仕事もやって、食材の調達までするのは大変でしょ。料理は君に作ってもらった方が、力が出るからお願いしたいけど」
「それはもちろん。任せてちょうだい」
人間――特に巫女が作った食事は、神に力を与えるとされている。だから神の食事を作るのも巫女の仕事の一環だと、巫女学校で一通り教え込まれている。なにより料理は美輪家にいた頃の唯一の楽しみだったし、回帰してきた中で料亭の見習いになる程度には好きな仕事だった。止めろと言われても辞める気はない。
「ところで、どう? その二人。仲良くなれた?」
「そうよ、この子たち!」
百代は座敷から身を乗り出し、ミズハに問いかける。
「朝起きたら部屋にいたんだけど、なんなの? あなたの眷属なんでしょ?」
「そうだよ。君の監視をしてもらおうと思って」
「監視!?」
穏やかではない言葉が聞こえて、百代は思わず叫んでしまう。
ミズハは百代の傍までやってきて、箱を横に置きにたりと薄い笑みを浮かべる。
「そう、監視。なにせ君は、山賊に一人で立ち向かった女なんだから。放置すると何をするか分かったものじゃない」
「う……でも、必要なら何でも自分でやらないとでしょう?」
「そういうところが怖いんだけどなぁ」
唇を尖らせながら弁明すると、ミズハは呆れとも不安ともつかない複雑そうな顔をした。
「ともかく、二人は村のこともある程度は分かるから。今日からは一緒に行動してね」
「……わかったわよ。この辺のことを教えてくれるならありがたいし」
渋々ながらも頷くと、ミズハは少しだけ満足そうな顔をする。そして脇に置いていた箱を百代の前に置いた。
「今日からこれを着て」
一番上の箱を開けると、中には白装束に緋袴の巫女装束が入っていた。他の箱にも、薄紫や黄色の着物に、白や青の浴衣と、仕立てたばかりの着物が綺麗に折りたたまれて入っている。
「どうしたの、これ」
「ここで巫女として暮らすなら必要でしょ。だから用意したんだ」
「そうは言っても、どうやって……?」
都にいる神々は、人間と同じように呉服店などで買い物をしている。しかし穢れの侵蝕が強いミズハの見た目はどう見ても怪しく、普通に買い物ができるとは思えなかった。そもそも二百年もの間封印されていたのに、金はあるのだろうか。
「まっ、まさか……」
「変な想像しないでよね。こういうときのための伝手があるんだ。この服も食糧も、そいつに調達してもらってる」
眉根を寄せるミズハに、百代はほっと息をつく。
「よかったわ。てっきり危ない方法でも使ってるのかと」
「なわけないでしょ。なんなら僕のお金だってそいつが持ってるはずだから、この代金も全部そこから引かれてると思うよ」
「なら安心……? いやでも、悪いわね……」
自ミズハが用意した着物は、きめ細かな生地に、美しい刺繍が刻まれている。着るものに無頓着な百代でさえ、一目で高級品と分かる代物だ。自分が来たからと言って、他人の金で新しく着物を用意してもらうのは気が引ける。
躊躇っていると、ミズハは眉間の皺を深くした。
「お金のことなら、別にどうってことない。どうせ使い道もないしね。だから大人しく受け取りなよ。で、早く着替えたら?」
「わ、わかったわ」
百代はぎこちなくも頷いて、ミズハたちを外へ出し襖を閉める。
一人になった百代は巫女装束を箱から取り出した。
白い衣に赤袴。
巫女学校で実習用の巫女装束を着たことはあったものの、こうして本物を見るとやはり胸が高鳴ってしまう。それが神に手渡されたものなのだから尚更だ。
頬が緩んでしまうのを感じながら、百代は袖に腕を通した。袴の紐を結ぶと、自然と背筋が伸びた気がした。
「着替えたわよ」
襖を開けると、その向こうにいた三人が同時に百代を振り返る。
「馬子にも衣装だな」
「百代さま、綺麗……」
相変わらず生意気なカガチに、目を輝かせるウズ。
しかしミズハは、じっと百代を見つめたまま黙っていた。
百代は袖を掴んで自分の姿をミズハに見せる。
「どう、この服」
「普通の巫女装束だね」
「それはそうでしょ。じゃなくて、もっと何かないの? 似合ってるとか、似合ってないとか」
「……ま、いいんじゃない」
「そう、ならよかった」
悪くない返答が来て、心がふわふわと浮き立っている。能なしで巫女試験に落第した自分でも、巫女をしていいと認められたようで嬉しかった。
「それじゃ、朝飯を作りましょうか」
たすき掛けで着物の裾をとめ、炊事場に立つ。今朝ミズハが持ってきたのは、緑が美しい菜の花に、こごみやうどなどの山菜、アマゴが四匹だった。米は昨夜の分が残っているから、それを使えばいいだろう。
「菜の花のおひたしに、山菜のお味噌汁……アマゴは塩焼きにしましょうか」
百代は米を炊き、かまどに火をつけて湯を沸かしたり、山菜の灰汁を取ったりしながら、てきぱきと朝食を作っていく。その様子をミズハが横からしげしげとのぞき込んだ。
「昨夜も思ったけど、君って料理の手際がいいよね。昔うちにいた巫女たちはこんな風にはいかなかったよ」
「これでも料亭の見習いをしていた時もあったから」
「本当に? 巫女の学校にも行ってたんでしょ?」
途端にミズハの視線が訝しげなものに変わる。
失言だった。昨夜夕飯を食べながら、巫女学校に通っていたことや、家を出たことはミズハにも大まかに話している。しかし巫女の試験に落第していることや、異能や回帰に関わる話は、未だに隠したままだった。
せっかく巫女にしてもらったのに、妙な話をして撤回される訳にはいかない。
「巫女学校に行きながら、空いた時間でやっていたのよ」
適当な嘘を告げると、ミズハは山菜を切る百代の手元を眺めながら首をかしげた。
「君ってまだ十六、七くらいだよね? なのに巫女の学校に行ったり、料亭の見習いに行ったり、山賊と戦えるくらいの剣術を身につけたり……僕が封印されてた二百年の間に、女の子の生活は随分変わったんだね。人生を何回かに分けてやった方が良いんじゃない?」
「あはは……そうねぇ」
百代は笑って誤魔化した。
実際に九回の人生をかけていろいろやってきましたとは、さすがに言えない。
できた料理は御膳に載せて、ウズとカガチに茶の間へ運んでもらった。本来神は社殿で食事をとり、普通の巫女と席を共にすることはない。しかしこの社の社殿は壊れかかっており、食事ができる環境ではなかった。それにミズハが百代も一緒に食べろというので、昨晩からこの民家の茶の間で食事を共にしている。
四つの膳が出そろって、全員それぞれの膳の前に腰掛けた。
「さあどうぞ、召し上がれ」
「ん……いただきます」
「「いただきまーす!」」
三人は箸を手に取ると、それぞれおかずを一口頬張った。ミズハは小さく目を見開いて、少しだけ頬を緩ませる。ウズとカガチも、夢中になってばくばく食べ進めている。どうやら口に合ったらしい。
嬉しい気持ちになりつつも、百代も汁椀を手にとり味噌汁を啜る。山菜の僅かな苦みと出汁の加減と味噌の塩気がちょうどいい。我ながらいい出来だ。
「それで巫女をやるって言っても、具体的にどうするつもりなの」
アマゴの塩焼きを頭から丸かじりしながら、ミズハは百代に目を向けてくる。
「そうね。社の掃除や清めの儀式は続けつつ、ひとまずは草田瀬の様子を見てみようかと思って」
ミズハが神としての立場を取り戻すのに一番重要なのは、人間に信じてもらい、信仰を取り戻すこと。なので百代は手始めに、もっとも身近にいる草田瀬の村人たちに働きかけようと考えたのだ。
「巫女の私が、村人たちの困っている事を聞いて解決して信頼を得ていけば、ミズハのこをいい神だと信じると思うのよ」
「ふぅん……結構地味な手段でいくんだね。もっと異能を使って派手にやるのかと思ってた。巫女ってそういうものでしょ?」
「ほ、ほら。尊敬ならともかく、信頼を得るところから始めるなら、異能に頼らず自分の力だけでやった方がいい気がするの」
今考えた言い訳を、それらしく言いながらやりすごす。
都の祭りで見たように、本来の巫女は異能を使って神への信仰を集める手助けをする。しかし百代の異能はその手のことに、圧倒的に向いていない。そのため身一つでやり抜くしかなかった。
いずれにせよ、やるべき事は決まっている。
村人とミズハの間を繋いで信仰を取り戻し、ミズハを本来の立場に戻す。
それが神に仕える巫女の役割であり――百代の未来のために必要なことだ。
それに実を言うと、全くとっかかりがないわけではない。
「ともかく考えてはいるから安心して。絶対にミズハの立場を取り戻して見せるから」
意気込む百代に、ミズハはアマゴの尻尾を飲み込んでから口を開く。
「まあ百代の好きにやってみたら? 君は僕の巫女なんだし。なにかしてほしい事があれば言って」
「意外にすんなり受け入れるのね」
昨日の様子から、もっと否定されたり難色を示されると思っていたのに、こうも早く話が進むとは思わなかった。しかも協力する姿勢まで取るなんて、昨日の今日で何か心境の変化でもあったのだろうか。
「失礼だな。これでも、君のことはひとまず信頼してみることにしたんだよ」
ミズハはそっぽを向きながら唇を尖らせている。
素直でない彼がなんだか可愛らしく見えて、百代は頬を緩めた。
「あら嬉しい。でもひとまずじゃなくて、全力で信頼してくれていいのよ。私は絶対に裏切らないし」
なにせミズハの立場を回復させられなければ、自分が死んでしまうのだ。生死がかかった状況で、彼を裏切る訳がない。
自信に満ちた百代の台詞に、しかし何故かミズハは頭を抑えて盛大にため息をついた。
「そういうこと言っちゃうんだ……」
「私、なにか変な事でも言ったかしら?」
「変な事しか言ってないよ」
「ええ……」
訳が分からない百代の前で、ミズハは軽く頭を掻いた後「まあ、そのうちね」と小さく呟く。そして席を立ち、そのまま家を出て行ってしまった。
「主さまを困らせるな、このド天然!」
「百代さま、素敵……」
正反対のウズとカガチの言葉を聞きながら、百代は頭に疑問符を浮かべるのだった。


