無能と言われた百代は、実際はある異能を持っている。
その名は「回帰」。死ぬと過去のどこかの時点まで戻り、もう一度人生をやり直すことのできる異能だ。この異能の影響で、百代は巫女学校に入学した十四歳の時点から、十六になり試験に落第した日の三ヶ月後までの約三年と少しの時間を、これまで九度繰り返してきた。
今でこそ自分で考え動いている百代だが、一度目の人生は全く違った。
百代の育った美輪家は、男爵家であり華族としての階級は低いものの、代々龍神シグレを奉り、彼に使えてきた由緒ある家柄だった。そのため高い霊力を持っていた百代も、幼い頃は両親に期待され、将来的に龍神シグレの巫女となるべくして育てられていた。しかし何歳になっても異能を使えるようにならなかったため、次第に両親も失望していく。さらには妹が強力な水の異能を持つことが判明したため、百代が巫女学校に入る頃には家族やシグレから完全に見放されていた。そして無能と揶揄され、数々の暴言や理不尽な扱いを受けていたのだ。
いつか異能が開花するかもしれない。いつか今の生活が変わるかもしれない。
そんな淡い期待を胸に抱いて過ごしていたが、結局異能が現れることはなく、巫女の資格試験にはあっけなく落第。シグレの巫女になる権利は妹に奪われ、百代は家に縛り付けられてそれまで以上にこき使われた。そして三ヶ月後、とある神に生贄として捧げられることになり、神の社へ向かう途中で山賊に襲われ死亡した。
だが気づけば百代は、巫女学校に入る直前まで戻っていた。自分の異能が回帰であると気づいたのはそのときだった。
とはいえ二度目の人生も、一度目と大して変わらなかった。回帰の異能を証明しようにも、誰かの目の前で自死するなんて芸当はできないし、もし実行したとして時間が戻ってしまうのだから意味がない。だからこそ周りには無能と認識され虐げられたまま、最後は同じように生贄に選ばれ山賊に殺され、再び回帰した。
そして三度目でも全く同じ人生を歩んだ後、四度目の人生で百代は気づく。
ただ待っているだけではなにも変わらない。変えたいなら自分で動かなければと。
そうして百代は少しずつ家族に反抗し、自分のために行動するようになった。
ある人生では美輪家の書庫の本を読みふけり、あらゆる知識を得た。
ある人生では巫女学校退学後に家出をし、街の料亭の見習いとなった。
ある人生では独学で剣の道を極め、生贄になった際に襲ってくる山賊を撃退し、その後男装して用心棒として働いた。
けれどどんなに行動しても、一度目の人生で巫女試験に落第したあの日から、おおよそ三ヶ月後に当たる時期に死んでしまう。家族とのいざこざを引っ張っていれば生贄がらみで、引っ張っていなくてもその後に起こる大洪水や暴風雨で。同じ時期にあっけなく死んでいくのだ。
あまりに時期が揃いすぎていて不審に思った百代は、繰り返す人生の中でなにが起こっているのかを調べに調べた。その結果、生贄も天災も、すべては草田瀬に封印されていたという邪神に関わっていたのだ。
故に百代は、その邪神をなんとかすれば長生きできるかもしれないと考え、行動に移すことにした。今度こそ自分の人生を切り拓き、平穏を手に入れるために。
――結局自分の人生を変えられるのは、自分だけなのだから。
百代はそう自分に言い聞かせながら、すっかり暗くなった山の中をたいまつ片手に歩いていた。
この道は生贄になった人生で、山賊に襲われて死んだ場所だ。故に脇には木刀、懐には小刀。何がいつ襲ってきてもいいように、警戒態勢は解かない。用心棒をしていたいつかの記憶のお陰で、夜の山中での振る舞い方は身につけている。草田瀬まではあと少し。ここで立ち止まるわけにはいかない。
夜風がざわざわ森の木々を揺らしている。かさりと近くで落ち葉が鳴った。背後に、右に、左に、複数の気配を感じる。
百代は足を止め、たいまつを置いた。木刀を腰から抜き、背後を振り返る。
「五人……いや、七人かしらね。こそこそしないで出てきたらどうなの」
「ハハッ、勘のいいお嬢ちゃんじゃねぇか」
木々の影や茂みの奥から、武器を持った男たちが次々と出てきた。数は予想通り七人。前までの人生で出くわした山賊たちと同じ顔をしている。今世でも、彼らは草田瀬への道を縄張りしているらしい。
「こんな夜中に女一人で歩くなんて不用心だぜ」
「大人しくしときゃ、悪いようにはしねぇよ」
男たちは下品な笑みを浮かべながら、剣を片手にじりじりとにじり寄ってくる。
「いやよ。あなたたちの言いなりになんてならないわ」
百代は木刀を握る手に力を込めた。かたや真剣、かたや木刀。撃退した経験があるとはいえ、一瞬でも気を抜けば殺されてしまう。
ひゅうと生暖かい風が吹いた。
「かかれ、野郎ども! とっ捕まえて身ぐるみ剥がしちまえ!」
一人の号令で、七人全員が一斉に百代へ向かってくる。だが洗練されていない荒くれ者の刀には、多くの隙があった。一方の百代は独学とはいえ美輪家の書物で技術を学び、繰り返される人生の中で修練を重ねている。女とはいえ、見せかけだけの素人にやられはしない。
「はぁっ、やああっ!」
「ぐあぁああっ!?」
相手の刀をいなし、態勢を崩したところで首に木刀を入れ気絶させていく。立っている山賊の数は、一人、二人と減っていった。
「くそっ、生意気な小娘め!」
「力の差は分かったでしょ。さっさと諦めなさい!」
「久々の女なんだ。んなことするかよ! おい、全員出てこい!」
「っ――!?」
いつの間にか周りは、男たちに囲まれていた。山賊が仲間を呼び寄せていたらしい。その数は十。初めの山賊がまだ五人残っているのを合わせると、一人で相手をするには分が悪い。
「傷つけてもいい。だが殺すなよ、楽しめなくなるからな!」
十五人の山賊たちが、百代の体を切りつけ、拳で殴り、蹴りを入れる。
「やめなさい、よ……っ!」
生贄で移動中に襲ってきた山賊は七人だったのに、まさか仲間がいたなんて。さすがの百代も、数の差には歯が立たない。
「くくくっ、さっきまでの威勢はどうしたよ」
襟首を掴まれ、髪の毛を引っ張られ、身動きがとれなくなった百代を、山賊たちが舌なめずりをしながら下卑た目で見つめてくる。言い返そうにも手で口を塞がれ、声が出ない。
「さァて、楽しませてもらおうか?」
ぐいと着物の裾を掴まれ、胸元が外気に晒される。
ひく、と喉の奥が小さく鳴った。
嫌だ、こんなところで終わりたくない。
前世でも、その前でも。生き延びる方法を調べに調べて、ようやく今世で実行に移そうとしたのに、こんなところで終わるなんて。死んでも時間が巻き戻るからといって、もう一度三年も待つのは御免だった。
「離してっ!」
口を塞ぐ手を噛んで、目の前の山賊の腹に蹴りを入れる。腕を振り回し、体を動かし、拘束から逃れようと必死に抵抗した。
「くそ、この女……大人しくしろっ」
逆上した山賊が、刀を大きく振りかぶる。
だが――それが振り下ろされる直前に、水の柱がその山賊を吹き飛ばした。
「うるさいなぁ。こんな夜中に僕の領域で騒がないでくれる?」
闇の奥から声が響いた。静かで、淀んでいて、ぞっとするような美しい声。
ざわりざわりと木々がうるさく鳴っている。
ひた、ひたと、水もないのに湿った足音が近づいてくる。
山賊たちは、怯んだように後ずさりした。
「だっ、誰だお前」
「僕が誰か? そんなのどうでもいいでしょ。どうせ人間は僕の名前を知ったところで、逃げるか攻撃してくるかしかしないんだからさ」
ゆらりと闇から人が現れた。腰まで流れる闇より深い漆黒の髪に、真っ白で透き通るような肌。紅の瞳は暗闇の中で妖しく輝いている。真っ黒の着流しを纏った体の周囲には、黒い霞が漂っていた。
恐ろしくも、美しい男だった。シグレも美男子と言っていい容姿を持っていたが、彼の造形はそれ以上に整っている。ぞくりと寒気がしてしまうのに、何故だか目を放せない。
「君たち、いい加減この山から出ていってくれない? 人間の揉め事なんて一切興味はないけれど、毎晩人を襲ったり酒盛りしたりでうるさくされて、ゆっくり眠れないんだよ。今の僕の唯一の楽しみを邪魔されたらたまらない」
男は百代を囲む山賊たちを睨んで吐き捨てる。
「き、急に来てなんだ! この山は俺らの縄張りだぞ。出ていくわけないだろ!」
「そうだそうだ、あいつもやっちまえ!」
山賊たちは刀を構えて、男に突進していく。
男は煩わしそうに顔をゆがめ、さっとあしらうように手を振った。
「ぐあっ!?」
「うわあああっ!?」
男の背後から八本の水中が現れて、蛇のようにうねりながら山賊を次々と吹き飛ばしていく。十五人いた山賊はあっという間に残り一人となってしまった。
「君も飛ばされたい? 木の幹に当たって死んでも知らないけど」
「すっ、すみません出て行きます!!」
最後の一人は刀を放り投げ、一目散に走って逃げていった。
「助かった……?」
山賊がいなくなったと知った百代は、一気に脱力して地面にへたり込んだ。自分の体を見下ろすと、ずたずたになった服と袴が目に入る。これだけ攻撃されて、無事だったのが奇跡のようだ。
男は呆れたように百代を見下ろしてくる。
「女一人で馬鹿じゃない? 腕に自信があるのか知らないけど、こんな夜中に山越えなんて自殺行為でしょ」
「そうだったわね。助けてくれてありがとう」
百代が素直に頭を下げると、男は面倒そうに顔をそらした。
「……勘違いしないで。僕は僕のために動いただけだよ」
「でも助かったことには変わりないから。ところであなた、異能が使えるの?」
「そうだけど、そうじゃない。異能は人間に対しての呼び方でしょ。僕は人間じゃないし」
水を操るが、異能ではなく、人間でもない。さらにこの山を「僕の領域」と読んでいた。そこから考えられるのは、ただ一つだ。
「まさかあなたが……封印から解かれた草田瀬の邪神?」
男は小さく舌打ちをして、地面をにらみつけた。
「……一応。その呼び名は人間が勝手につけただけだけど」
「あぁ……よかった」
ふっと百代の体から緊張が消えた。
求めていた相手に出会えた安心感で、全身の気が抜けていく。
「はぁ? なに言ってるの?」
邪神は怪訝そうな目で問いかけてくる。けれども百代には聞こえていなかった。張り詰めていたものが切れたように、意識がすぅっと遠のいていく。
「ちょっと、大丈夫?」
困惑する邪神に、百代はふっと微笑んだ。
「ずっと、あなたに会いたかったの……」
その言葉を最後に、百代は意識を手放した。


