窓から差し込む光に、百代は眉間に皺を寄せた。寝ぼけ眼を擦りながら布団から体を起こし、おもむろに隣を見ると、真っ白な蛇がとぐろを巻いてこちらを見上げている。
 なんだか見たことある光景だ。既視感を覚えながらも、百代は白蛇に声を掛けてみる。
「おはよう、蛇さん。あなたは、どこから来たのかしら?」
 蛇は百代を見上げてしゅる、と舌を出した。
「おはよう、百代。よく眠れた?」
「えっ!?」
 蛇が喋った。それも、ミズハの声で。
 ぼんやりしていた頭が一気に覚醒した。どきどきと逸る鼓動を抑えながら、百代は恐る恐る白蛇に問う。
「あなた、ミズハなの?」
「そうだよお」
 しゅるりと白蛇が一瞬にしてミズハの姿に変わる。突如として目の前に現れたミズハの顔に、百代はかっと耳が熱くなった。跳ねるようにして後ろに飛び退きながら、百代はミズハを指さして叫ぶ。
「なんでいるのよ!!」
「百代に夜逃げされたら困るから?」
 ミズハは悪びれもせずにこてんと首を横に倒す。どうやら昨日の祭りで百代が出て行こうとしたことを引きずっているらしい。
「百代が社殿で一緒に寝てくれなかったから、なら僕がこっちに来るしかないなって」
 確かに昨夜寝る前に、やたらと社殿で寝ろとねだられた気がするが、それも逃げないように見張るつもりだったのか。百代はこめかみを押さえながら言い返す。
「当たり前よ。社殿は神の居場所だもの。神に仕える巫女が一緒に寝るわけないわ」
「なんで駄目なの? 僕の腐れ縁の神は、一緒に寝てるって聞いたよ」
「その相手は多分、祝の巫女なんでしょう。私みたいな普通の巫女とは違うわ」
 祝の巫女は、神と特別な縁で結ばれた巫女だ。神が深い信頼と愛情を以て巫女を求め、巫女もまた自分の全てを差し出す覚悟で応えることで成立する契約。簡単に言えば、神と巫女の婚姻関係のようなものだ。神と巫女でも、夫婦なら一緒に寝ていようと何ら問題は発生しない。
「そういえば、そんなのいたなぁ。二百年前からどの神もよく、祝候補だっていう巫女を連れて歩いててさ」
「今でもそうよ。大抵の神には祝候補がいるわ」
 神は祝の巫女にと望む相手を、祝候補と呼んで大事にしている。実際百代も美輪家にいた頃は、シグレの祝候補として過ごしていた。シグレから大切にされた記憶はないし、巫女の資格試験に落ちた後はその立場も妹の櫻子に奪われたが。
「ミズハに祝候補はいなかったの?」
「まあね、あまり興味なかったし。人間のことは……昔は今ほど嫌いじゃなかったけど、みんな同じに見えてたからなぁ」
「珍しいわね。祝の巫女がいれば安定するからって、求める神は多いのに」
 祝の巫女の契約は、神に対する永遠の信仰の証。故に祝の巫女がいれば、神は穢れが溜まらず消滅の心配がなくなり、神としての力も上がると言われている。
 一方で巫女も神からの寵愛によって霊力が上がり、より強力な異能を使えるようになる。更には神と共に永劫を歩めるよう、体が神に近づくのだ。俗に言えば、不老不死の人間になる。
 故に祝の巫女を求める神や、祝の巫女を志望する巫女は数多くいる。けれど祝になる条件は、心の底から互いだけを想い、互いに全てを差し出すこと。少しでも力や不老不死のためという心があろうものなら、契約は成立しない。そのため祝の巫女を持つ神は、日輪国の中でも数少なかった。
「別に僕、そこまでして力は要らなかったからさ」
 ミズハは肩をすくめた後、一拍置いて言葉を続けた。
「でも、祝の契約をすれば大事な人とずっと一緒にいれるんでしょ。そういうのはいいなって今は思ってるよ」
「あら、大分考えが変わったのね?」
「おかげさまでね」
 返答するミズハは、穏やかな表情をしていた。まるで誰かを想うように。
 まだ人間嫌いを引っ張っているようだが、神として働いていくうちに、いずれミズハにも祝の巫女にしたいという相手が出てくるだろう。百代に居場所を与えてくれた優しいミズハのことだ。きっとその相手には、多くの情を注いで大切にするに違いない。
 もしミズハが祝候補を選んだ時、自分は笑って祝福してやれるだろうか。
 何故だか胸が苦しくなって、百代は首を振って思考を頭の外に追い出した。
「とにかく、女の子の部屋に忍び込むのは今後禁止よ」
 百代が腕組みをすると、ミズハは悲しげに眉を下げた。
「それだと百代が逃げちゃった時、気付けないじゃない。蛇の姿でも駄目?」
「駄目。蛇でも中身がミズハであることには変わりないでしょう」
 ミズハは不服そうな目でこちらを見ていた。百代は小さくため息をつく。
「大丈夫よ、逃げないから。ここにいていいって言ってくれたのは嬉しかったし、あなたの巫女を正式にやる覚悟はしているもの。私が決めた覚悟を曲げるような人間に見える?」
「……見えない」
「でしょ? だからもう心配しないで」
 ミズハはこくりと頷いた。まだ不満げな顔をしているが、一応納得してくれたらしい。
「まったく。私はともかく、他の巫女だったら何を言われてたかわからないわよ。今回は最初だから許すけど……」
 そこまで言って、ふと気づく。白蛇が出たのは今回が初めてだが、蛇が自分の部屋にいたのは以前にもあったということに。
 百代がこの社に来てから時々見かけていた、黒と白の斑の蛇。最近見かけなかったから、住処を変えたものだと思っていたが。
「あの蛇も、まさかミズハ……?」
 人型のミズハは穢れの影響で黒くなっていた。同じように蛇の体にも、穢れの影響が出ていたら?
 恐る恐るミズハの顔に目を向けると、彼はにんまり口角を上げた。
「あーあ、ばれちゃった」
「……っ!」
 今まであの蛇に、百代は色々と話しかけていた。それこそミズハに対する感情や、巫女としての意気込みなども。それも全て、本人に聞かれていたというのか。
 顔に再び熱が集まる。叫び出しそうになるのを抑えた後で、一言告げた。
「……やっぱり、許すのやめようかしら」
 慌てて謝罪の言葉を連発し始めるミズハを背に、百代は朝食の準備に取りかかるのだった。