農作業も一段落するお昼時。青く澄み渡った空の下、草田瀬の村には一筋の煙ともに香ばしい匂いが立ちこめていた。団扇で煙をはたいていた百代は、次々と近づいてくる足音を聞き、にやりと口角を上げる。
「ふふ、狙い通りね」
顔を上げると、村人たちが家の周りに集まって、物欲しそうにこちらを見ている。
彼らの視線の先には、焚き火でこんがりと焼き上がった猪肉の串焼きと、味噌の香りが優しい猪汁の鍋。罠猟で仕留めて解体したばかりの新鮮な猪肉に、ミズハが調達してきた野菜や調味料を合わせ、百代が料亭見習いをしていた人生を思い出しながら、腕によりを掛けて作った傑作だ。
やはり空腹の人間は、肉の匂いに勝てないのだ。
百代は立ち上がり、集まってきた村人たちに声を上げる。
「お腹が空いているならいらっしゃい。欲しいなら分けてあげるから」
百代の言葉に、村人たちはざわめき始める。
「たっ、食べていいのか!?」
「いや待て、あいつは邪神の巫女だぞ。何を要求されるかわからない」
「俺は食わん! 金なんて取られたらたまったもんじゃない!」
「お金なんていらないわ。代わりに情報が欲しいの。ひと月前にこの村に来た見慣れない人間のね」
百代の言葉に、村人たちは戸惑いながらも互いに顔を見合わせた。
「そう言えばそんな話があったな」
「俺、そいつら見たぜ。それを話せばくれるのか?」
「いやでも、毒を入れていたらどうするんだ?」
やはりきた。想定通りの疑いに、百代は猪汁を一杯椀に注いでいく。そして家の玄関から様子をうかがっていた隼人に手招きをした。
「隼人くん、猪汁の味見をしない?」
「えっ、食べていいの!?」
隼人は顔を輝かせながら駆け寄ってきて、猪汁の入った汁椀を受け取った。
「どう、美味しい?」
「うん。こんなに美味しいお肉、久々!」
彼は満面の笑みを浮かべながら、猪汁を頬張っている。子どもの食事姿に、村人たちはごくりと喉を鳴らした。
「もう我慢できん、俺は食べるぜ!」
一人の村人が生け垣をくぐって庭へ入ってきた。途端に堰を切ったかのように、他の村人もなだれこんでくる。
「俺もだ! 死のうが生きようが構わねぇ!」
「このままじゃ、どのみち腹減って死んじまう!」
「みんな行くのか!? なら俺も……!」
「はいはい、欲しい人はちゃんと並んでね。猪汁も串焼きもたくさんあるから」
百代は我先にと料理を受け取ろうとする村人たちを並ばせながら、余所者の情報と引き換えに料理を渡していく。ほとんどの村人はとよと同じく余所者がいたという噂を聞いただけの者だったが、中には実際に見たり、すれ違ったという者も数人いた。
「確か三人組の人間だったな。頭に布を被っていたから男か女かは分からなかったけど」
「俺は声を聞いたぜ。確か女の声で『龍神様』なんて言ってたな」
標的がミズハの時点で薄々察していたが、この件には神が関わっているらしい。ならば水源で異能を使ったのは、その神に仕える巫女だろうか。
全ての串焼きと猪汁を配り終え、百代は庭で鍋や汁椀を片付けながら唇を噛む。
情報を集める作戦は成功したが、心のわだかまりは大きくなった。
(神も神だけれど、巫女も巫女よ。神を支える巫女が、神を貶めるための策に協力するなんて。同じ巫女として情けないわ。無資格の私より酷いじゃない)
片付けを終え、暗い気持ちで隼人の家へ入った百代は、壁に寄り掛かって目を閉じているミズハに近づいた。
「ミズハ、終わったわ」
「そう、なにかわかったの?」
声を掛けると、彼は静かに目を開く。
社で留守番していたはずのミズハは、百代が銃を使って狩りをすると勘違いしてここまでやってきた。決して社から出てこなかったミズハが自分を心配して村へ来たことには驚いたが、気遣われたことは純粋に嬉しい。
それだけに、巫女が関わっている話をするのは気が重かった。
「その、多分犯人の中に巫女がいるわ。それと、『龍神様』って言ってた話も」
「そう、なら結構絞れそうだね」
「ええ。でもその……同じ巫女がごめんなさい」
同職の恥をさらすようで、申し訳なくなる。
けれどミズハは、少し肩をすくめただけだった。
「別にいいよ。巫女だって所詮人間だし、僕は初めから君以外の巫女は信用してない」
そう言った後、ミズハは顎に手を当てて小さく唸った。
「それにしても、『龍神』ねぇ……」
「思い当たる神でもいるの? 龍神もたくさんいる気がするけれど」
龍の姿をした神は、日輪国で最も多い。天候を操ったり、土を肥沃にさせたりなど、彼らが持つ力は様々だ。美輪家が奉るシグレも、龍神の一人だった。
「まあ、ちょっとね。この件、僕の方でも調べてみるよ」
「助かるわ」
今はこれ以上、調べられそうにもなく、この後の動きを悩んでいたのだ。ミズハ自身に心当たりがあるのなら、協力してもらえるのはありがたい。
「ならひとまず、水不足の件は一段落かしら」
村の問題は解決でき、隼人たちによって僅かだがミズハへの信仰が戻り、他の村人たちとも多少は会話できた。巫女として初めての大きな仕事だったが、無能に等しい自分の成果としては、中々に悪くないのではなかろうか。
「ねぇミズハ」
「ん?」
「このままもっと、頑張るからね」
ミズハは一度だけ瞬きすると、ふっと口元を緩めた。
「うん、頼りにしてる」
初めてもらったミズハの素直な言葉と柔らかな笑みに、不意を突かれて言葉を失う。胸の中だけが、とくりと小さく音を立てたのだった。
「ふふ、狙い通りね」
顔を上げると、村人たちが家の周りに集まって、物欲しそうにこちらを見ている。
彼らの視線の先には、焚き火でこんがりと焼き上がった猪肉の串焼きと、味噌の香りが優しい猪汁の鍋。罠猟で仕留めて解体したばかりの新鮮な猪肉に、ミズハが調達してきた野菜や調味料を合わせ、百代が料亭見習いをしていた人生を思い出しながら、腕によりを掛けて作った傑作だ。
やはり空腹の人間は、肉の匂いに勝てないのだ。
百代は立ち上がり、集まってきた村人たちに声を上げる。
「お腹が空いているならいらっしゃい。欲しいなら分けてあげるから」
百代の言葉に、村人たちはざわめき始める。
「たっ、食べていいのか!?」
「いや待て、あいつは邪神の巫女だぞ。何を要求されるかわからない」
「俺は食わん! 金なんて取られたらたまったもんじゃない!」
「お金なんていらないわ。代わりに情報が欲しいの。ひと月前にこの村に来た見慣れない人間のね」
百代の言葉に、村人たちは戸惑いながらも互いに顔を見合わせた。
「そう言えばそんな話があったな」
「俺、そいつら見たぜ。それを話せばくれるのか?」
「いやでも、毒を入れていたらどうするんだ?」
やはりきた。想定通りの疑いに、百代は猪汁を一杯椀に注いでいく。そして家の玄関から様子をうかがっていた隼人に手招きをした。
「隼人くん、猪汁の味見をしない?」
「えっ、食べていいの!?」
隼人は顔を輝かせながら駆け寄ってきて、猪汁の入った汁椀を受け取った。
「どう、美味しい?」
「うん。こんなに美味しいお肉、久々!」
彼は満面の笑みを浮かべながら、猪汁を頬張っている。子どもの食事姿に、村人たちはごくりと喉を鳴らした。
「もう我慢できん、俺は食べるぜ!」
一人の村人が生け垣をくぐって庭へ入ってきた。途端に堰を切ったかのように、他の村人もなだれこんでくる。
「俺もだ! 死のうが生きようが構わねぇ!」
「このままじゃ、どのみち腹減って死んじまう!」
「みんな行くのか!? なら俺も……!」
「はいはい、欲しい人はちゃんと並んでね。猪汁も串焼きもたくさんあるから」
百代は我先にと料理を受け取ろうとする村人たちを並ばせながら、余所者の情報と引き換えに料理を渡していく。ほとんどの村人はとよと同じく余所者がいたという噂を聞いただけの者だったが、中には実際に見たり、すれ違ったという者も数人いた。
「確か三人組の人間だったな。頭に布を被っていたから男か女かは分からなかったけど」
「俺は声を聞いたぜ。確か女の声で『龍神様』なんて言ってたな」
標的がミズハの時点で薄々察していたが、この件には神が関わっているらしい。ならば水源で異能を使ったのは、その神に仕える巫女だろうか。
全ての串焼きと猪汁を配り終え、百代は庭で鍋や汁椀を片付けながら唇を噛む。
情報を集める作戦は成功したが、心のわだかまりは大きくなった。
(神も神だけれど、巫女も巫女よ。神を支える巫女が、神を貶めるための策に協力するなんて。同じ巫女として情けないわ。無資格の私より酷いじゃない)
片付けを終え、暗い気持ちで隼人の家へ入った百代は、壁に寄り掛かって目を閉じているミズハに近づいた。
「ミズハ、終わったわ」
「そう、なにかわかったの?」
声を掛けると、彼は静かに目を開く。
社で留守番していたはずのミズハは、百代が銃を使って狩りをすると勘違いしてここまでやってきた。決して社から出てこなかったミズハが自分を心配して村へ来たことには驚いたが、気遣われたことは純粋に嬉しい。
それだけに、巫女が関わっている話をするのは気が重かった。
「その、多分犯人の中に巫女がいるわ。それと、『龍神様』って言ってた話も」
「そう、なら結構絞れそうだね」
「ええ。でもその……同じ巫女がごめんなさい」
同職の恥をさらすようで、申し訳なくなる。
けれどミズハは、少し肩をすくめただけだった。
「別にいいよ。巫女だって所詮人間だし、僕は初めから君以外の巫女は信用してない」
そう言った後、ミズハは顎に手を当てて小さく唸った。
「それにしても、『龍神』ねぇ……」
「思い当たる神でもいるの? 龍神もたくさんいる気がするけれど」
龍の姿をした神は、日輪国で最も多い。天候を操ったり、土を肥沃にさせたりなど、彼らが持つ力は様々だ。美輪家が奉るシグレも、龍神の一人だった。
「まあ、ちょっとね。この件、僕の方でも調べてみるよ」
「助かるわ」
今はこれ以上、調べられそうにもなく、この後の動きを悩んでいたのだ。ミズハ自身に心当たりがあるのなら、協力してもらえるのはありがたい。
「ならひとまず、水不足の件は一段落かしら」
村の問題は解決でき、隼人たちによって僅かだがミズハへの信仰が戻り、他の村人たちとも多少は会話できた。巫女として初めての大きな仕事だったが、無能に等しい自分の成果としては、中々に悪くないのではなかろうか。
「ねぇミズハ」
「ん?」
「このままもっと、頑張るからね」
ミズハは一度だけ瞬きすると、ふっと口元を緩めた。
「うん、頼りにしてる」
初めてもらったミズハの素直な言葉と柔らかな笑みに、不意を突かれて言葉を失う。胸の中だけが、とくりと小さく音を立てたのだった。


