「百代。お前をシグレ様の祝の巫女候補から外す」
美輪家当主である父は百代を睨みつけ、「不可」と書かれた巫女の資格試験の結果を片手で握りつぶした。すかさず妹の櫻子が高笑いする。
「やっぱり出来損ないのお姉様には無理だったのだわ。霊力だけあっても、異能を使えなければ巫女として意味ないのだから。やっぱりシグレ様の祝候補には、強い水の異能を持つ私の方が相応しいのよ!」
櫻子は百代へ見せつけるように、すぐ横の男にしなだれかかった。
男は宵闇のように深い藍色の髪をしていた。肌は透き通る白磁の色。ゆるやかな衣は絹で織られた高級品だ。細い瞳孔からは薄い蒼の瞳が覗くも、口元は扇で隠されておりその表情は読み取れない。およそ人とは思えない美しさを持つこの男は、美輪家の奉る龍神シグレだった。
「残念だよ、百代。いつか異能を使えるようになると信じていたけれど、本当に無能だったのなら仕方ない。櫻子の力は見せてもらっているし、君との関係は完全に終わりだ」
シグレはわざとらしく扇で顔を隠しながら、寄り添う櫻子の肩を抱いた。
能なし。無能。出来損ない。
その言葉たちに深く傷つけられた時もあった。けれども今は、なんの感情も抱かない。落ち込んでいるのが馬鹿馬鹿しくなるほどに、彼らの罵倒や嘲笑は聞き慣れてしまっていた。なにせこの場面は、もう十回目なのだから。
それよりも、勝負はここからだ。
両親、妹、龍神。全員を見渡し、百代は殊勝を装い頭を下げる。
「構いません。是非、祝候補は櫻子に譲ってください。ついでに私をこの家から追放してくださいませ」
「……追放だと?」
父が眉間に皺を寄せた。櫻子とシグレも唖然とした顔で百代を凝視する。
そんな彼らの様子を気にも留めず、百代は淡々と言葉を続けた。
「ええ、追放です。異能も使えない能なしの巫女なんて、美輪家の恥でしょう? 追い出してしまった方が家のためです。実は以前より考えておりまして、既に用意もしているのです」
百代は背後の襖を開き、用意しておいたものを披露する。巫女学校の登下校の間にこっそり仕事をして稼いだ路銀、物置に放置されていた古い木刀、その他野宿で役立つ小道具たちを詰め込んだ風呂敷。荷物を見た両親は絶句した。
「なっ、なぜそんなにも追放に乗り気なのだ……!?」
「美輪家の発展を願う故です」
本当はもちろん自分の目的のためだが、わざわざ角が立つような物言いはしない。未来のためにも、ここを波風立てず速やかに離れなければならないのだから。
「そ、そう言われても……」
急な百代の言葉に、父親は戸惑っているらしい。それもそうだ。今までは多少抗いながらも自分たちに従っていた「百代」が、突然家を出たいと言い始めたのだから。
あと、もう一押しだ。口を開きかけた時、くすりと笑みが横から聞こえた。
「うふふふっ、いい心がけだわ。珍しく身の程をわきまえているじゃない、お姉様」
櫻子が歪んだ表情で、父親にすり寄った。
「ねえお父様、お願いを叶えてあげましょう。美輪家には、私がいれば十分よね?」
「もちろんだ、櫻子。百代がいても、無能にできるのは家の掃除くらいだろう」
「なら、お姉様を追放してくれる?」
「……そうだな。百代、望み通りお前を追放してやろう。お前は今より、美輪家の者ではない!」
父親は櫻子に促されるまま、百代に追放を言い渡した。
櫻子の意図が分からないが、ひとまず百代の望み通りの結果にはなった。このまま家を出れば、百代は目的に一歩近づける。
「ありがとうございます。それでは――」
百代は家族に背を向ける。だが、ぽんと手を叩く音がしたかと思うと、こぶし大の水球が横から百代の顔を打った。衝撃で倒れると、今度は髪をぐいと後ろから引っ張られる。頭に強い痛みが走った。耳元でおかしくて堪らないような、ぞっとする囁き声が聞こえた。
「待って、お姉様」
目線を上げると、櫻子が百代を見下ろしていた。百代の腰まで届く長髪を左手で鷲掴み、右手には鋏を握っている。
「私はお姉様がいなくなるのは大賛成よ。だってこの家の全部が、私のものになるんだもの。でもね、その上手くいったという顔は許せないわ」
櫻子はぐいと百代の髪を無遠慮に引っ張った。百代の頭へ強い痛みが走り、百代はうめき声を上げる。けれどそれだけでは飽き足らず、櫻子は左手の鋏の先を開いた。
「っ、なにをする気よ……!」
「巫女試験に落ちた無能には、この髪の毛もいらないわよね?」
じょきり。じょきり。じょきり。
巫女の誇りと教えられ、百代も気に入っていた長い艶やかな黒髪。それが今、肩口で乱暴に切られていく。徐々に頭が軽くなる感覚に、百代は息が詰まる心地がした。
「ふふ、すっきりしてよかったじゃない」
櫻子が百代に見せつけるように、切り取った髪をばさばさと落とす。その異常な光景を、両親はただただ見つめているだけだ。シグレに至っては、くつくつと笑っている。
「さすがは櫻子。楽しい余興をありがとう」
「シグレ様に喜んでいただけたなら嬉しいですわ」
櫻子はうっとりとした表情をシグレに向けた後、百代に告げる。
「さあ、お姉様。早く出て行くといいわ。そのみすぼらしい見た目で、行ける場所があるというならね」
「っ……」
嘲笑する櫻子とシグレに、見て見ぬ振りをする両親。短くなってしまった自分の髪の毛。
髪を切られたことは、これまでの九回では一度もなかった。百代は悔しさに奥歯を強く噛みしめる。けれど悲しんでいる暇はない。なにより彼らをこれ以上喜ばせるのは癪だった。
むしろここは、笑うべきだ。髪の毛を失っても、家を出るという目的は果たされた。もうこの面倒な家に縛られることのない、自由の身なのだ。これからは存分に、自分の目的の為だけに時間を使える。
百代は木刀を腰に下げ、風呂敷を肩に背負った。そして家族だった者たちを振り返り、悠々とした笑みを見せる。両親もシグレも、そして櫻子も、髪を切られて笑っている百代にぎょっとしたように目を丸くした。
「それでは皆様、私のことは忘れて、どうかお元気で」
家族だった者と神に一礼し、百代は足早に家を出て行った。
(まずは都で旅の物資を調達しないと。それから地図で行き先の確認ね。遠くはないけれど、迷ってはいけないから)
脳内でやるべきことを考えながら、街の方へと進んで行く。軽くなった頭に違和感があるが、足を止めてはいられない。残された時間はあと三ヶ月。ほんの一瞬も無駄にできないのだ。
(絶対に、生き延びてやるわ)
これまで九度、理不尽な死を遂げてきた。けれど百代は誓ったのだ。
今度こそ三ヶ月後に訪れる死を乗り越えて、必ず長生きしてみせると。
***
美輪家当主である父は百代を睨みつけ、「不可」と書かれた巫女の資格試験の結果を片手で握りつぶした。すかさず妹の櫻子が高笑いする。
「やっぱり出来損ないのお姉様には無理だったのだわ。霊力だけあっても、異能を使えなければ巫女として意味ないのだから。やっぱりシグレ様の祝候補には、強い水の異能を持つ私の方が相応しいのよ!」
櫻子は百代へ見せつけるように、すぐ横の男にしなだれかかった。
男は宵闇のように深い藍色の髪をしていた。肌は透き通る白磁の色。ゆるやかな衣は絹で織られた高級品だ。細い瞳孔からは薄い蒼の瞳が覗くも、口元は扇で隠されておりその表情は読み取れない。およそ人とは思えない美しさを持つこの男は、美輪家の奉る龍神シグレだった。
「残念だよ、百代。いつか異能を使えるようになると信じていたけれど、本当に無能だったのなら仕方ない。櫻子の力は見せてもらっているし、君との関係は完全に終わりだ」
シグレはわざとらしく扇で顔を隠しながら、寄り添う櫻子の肩を抱いた。
能なし。無能。出来損ない。
その言葉たちに深く傷つけられた時もあった。けれども今は、なんの感情も抱かない。落ち込んでいるのが馬鹿馬鹿しくなるほどに、彼らの罵倒や嘲笑は聞き慣れてしまっていた。なにせこの場面は、もう十回目なのだから。
それよりも、勝負はここからだ。
両親、妹、龍神。全員を見渡し、百代は殊勝を装い頭を下げる。
「構いません。是非、祝候補は櫻子に譲ってください。ついでに私をこの家から追放してくださいませ」
「……追放だと?」
父が眉間に皺を寄せた。櫻子とシグレも唖然とした顔で百代を凝視する。
そんな彼らの様子を気にも留めず、百代は淡々と言葉を続けた。
「ええ、追放です。異能も使えない能なしの巫女なんて、美輪家の恥でしょう? 追い出してしまった方が家のためです。実は以前より考えておりまして、既に用意もしているのです」
百代は背後の襖を開き、用意しておいたものを披露する。巫女学校の登下校の間にこっそり仕事をして稼いだ路銀、物置に放置されていた古い木刀、その他野宿で役立つ小道具たちを詰め込んだ風呂敷。荷物を見た両親は絶句した。
「なっ、なぜそんなにも追放に乗り気なのだ……!?」
「美輪家の発展を願う故です」
本当はもちろん自分の目的のためだが、わざわざ角が立つような物言いはしない。未来のためにも、ここを波風立てず速やかに離れなければならないのだから。
「そ、そう言われても……」
急な百代の言葉に、父親は戸惑っているらしい。それもそうだ。今までは多少抗いながらも自分たちに従っていた「百代」が、突然家を出たいと言い始めたのだから。
あと、もう一押しだ。口を開きかけた時、くすりと笑みが横から聞こえた。
「うふふふっ、いい心がけだわ。珍しく身の程をわきまえているじゃない、お姉様」
櫻子が歪んだ表情で、父親にすり寄った。
「ねえお父様、お願いを叶えてあげましょう。美輪家には、私がいれば十分よね?」
「もちろんだ、櫻子。百代がいても、無能にできるのは家の掃除くらいだろう」
「なら、お姉様を追放してくれる?」
「……そうだな。百代、望み通りお前を追放してやろう。お前は今より、美輪家の者ではない!」
父親は櫻子に促されるまま、百代に追放を言い渡した。
櫻子の意図が分からないが、ひとまず百代の望み通りの結果にはなった。このまま家を出れば、百代は目的に一歩近づける。
「ありがとうございます。それでは――」
百代は家族に背を向ける。だが、ぽんと手を叩く音がしたかと思うと、こぶし大の水球が横から百代の顔を打った。衝撃で倒れると、今度は髪をぐいと後ろから引っ張られる。頭に強い痛みが走った。耳元でおかしくて堪らないような、ぞっとする囁き声が聞こえた。
「待って、お姉様」
目線を上げると、櫻子が百代を見下ろしていた。百代の腰まで届く長髪を左手で鷲掴み、右手には鋏を握っている。
「私はお姉様がいなくなるのは大賛成よ。だってこの家の全部が、私のものになるんだもの。でもね、その上手くいったという顔は許せないわ」
櫻子はぐいと百代の髪を無遠慮に引っ張った。百代の頭へ強い痛みが走り、百代はうめき声を上げる。けれどそれだけでは飽き足らず、櫻子は左手の鋏の先を開いた。
「っ、なにをする気よ……!」
「巫女試験に落ちた無能には、この髪の毛もいらないわよね?」
じょきり。じょきり。じょきり。
巫女の誇りと教えられ、百代も気に入っていた長い艶やかな黒髪。それが今、肩口で乱暴に切られていく。徐々に頭が軽くなる感覚に、百代は息が詰まる心地がした。
「ふふ、すっきりしてよかったじゃない」
櫻子が百代に見せつけるように、切り取った髪をばさばさと落とす。その異常な光景を、両親はただただ見つめているだけだ。シグレに至っては、くつくつと笑っている。
「さすがは櫻子。楽しい余興をありがとう」
「シグレ様に喜んでいただけたなら嬉しいですわ」
櫻子はうっとりとした表情をシグレに向けた後、百代に告げる。
「さあ、お姉様。早く出て行くといいわ。そのみすぼらしい見た目で、行ける場所があるというならね」
「っ……」
嘲笑する櫻子とシグレに、見て見ぬ振りをする両親。短くなってしまった自分の髪の毛。
髪を切られたことは、これまでの九回では一度もなかった。百代は悔しさに奥歯を強く噛みしめる。けれど悲しんでいる暇はない。なにより彼らをこれ以上喜ばせるのは癪だった。
むしろここは、笑うべきだ。髪の毛を失っても、家を出るという目的は果たされた。もうこの面倒な家に縛られることのない、自由の身なのだ。これからは存分に、自分の目的の為だけに時間を使える。
百代は木刀を腰に下げ、風呂敷を肩に背負った。そして家族だった者たちを振り返り、悠々とした笑みを見せる。両親もシグレも、そして櫻子も、髪を切られて笑っている百代にぎょっとしたように目を丸くした。
「それでは皆様、私のことは忘れて、どうかお元気で」
家族だった者と神に一礼し、百代は足早に家を出て行った。
(まずは都で旅の物資を調達しないと。それから地図で行き先の確認ね。遠くはないけれど、迷ってはいけないから)
脳内でやるべきことを考えながら、街の方へと進んで行く。軽くなった頭に違和感があるが、足を止めてはいられない。残された時間はあと三ヶ月。ほんの一瞬も無駄にできないのだ。
(絶対に、生き延びてやるわ)
これまで九度、理不尽な死を遂げてきた。けれど百代は誓ったのだ。
今度こそ三ヶ月後に訪れる死を乗り越えて、必ず長生きしてみせると。
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