カチュールから反乱計画の存在を聞いた私たちは、彼の侯爵家へと身を寄せた。幾度となく命の危機に晒された流浪の日々から一転、ようやく訪れた安息の場だ。
デキュジ侯爵家は、かつて父が信頼を寄せていた開明派の要であり、館には父の古くからの友人も幾人か集っていた。彼らは私を温かく迎えてくれ、久々に感じる人々の優しさに、私の凍てついた心は少しずつ溶かされていく。
だが、安堵は長く続かなかった。
侯爵家当主であるヴィクトラン様から、反乱計画の詳しい内容を聞くと、私の胸には一抹の不安がよぎった。
新王朝の強大な軍事力を前に、反乱を計画しているのは、開明派の侯爵家とその協力貴族がたったの三家に過ぎないというのだ。これでは、あまりに厳しい戦いを強いられるだろう。仮に、彼らが精鋭揃いであっても、数で圧倒されれば、勝利は望めない。多くの命が無駄になるだけではないか。
私は、幼い頃に読んだ異国の歴史書に記されていた、革命や民衆蜂起の事例を思い起こした。ただの力任せの戦いでは、決して勝てない。特に、圧倒的な戦力差がある場合、それは無謀な自殺行為に等しい。真の勝利を得るためには、別の戦略が必要だ。
私は、ヴィクトラン様とカチュール、そして集った貴族たちの前で、ゆっくりと口を開く。
「皆様、現状の戦力では、まともにぶつかっても勝ち目はありません。これでは、多くの命が無駄になるだけです。私たちは、『情報戦』と『心理戦』で民衆を味方につけ、内側から敵を崩すべきです」
私の言葉に、彼らは訝しげな表情を浮かべる。しかし、私は構わず続けた。
「新王朝は重税を課し、民を苦しめています。その不正を明らかにし、彼らが正当な統治者ではないことを民衆に広く知らしめるべきです。そのためには、緻密な秘密情報網を構築し、新王朝の不正や暴政を告発する流言飛語を、計画的に拡散する必要があります」
私は、頭の中で整理された思考を淀みなく言葉にした。王宮での生活で、私は政治の駆け引きや、情報が持つ力の重要性を学んでいたのだ。私の提案を聞いたカチュールが、興奮したように言った。
「それは素晴らしい提案です。流石、深紅の公爵家ご令嬢、いや、深紅の王太子妃殿下!」
その言葉を受け、皆が改めて私の深紅の髪を見つめる。すると、ヴィクトラン様がおもむろに話し始めた。
「建国譚の預言を、マリー様と結びつけるのはどうかね?」
出席者たちの顔に疑問符が浮かぶ。
「どういうことでしょうか、父上?」
「皆もよく知っている建国譚の中に『深紅の女神』降臨の預言がある。これを利用すべきではないのか?」
建国譚。それは、今は亡きローレン兄さんから教えてもらった物語だ。
光陰歴八二九年。人々が争いを続ける中、女神がひとりの女に力を与え、その女が人々の諍いを治め、国を建国し女王となる。女神は建国時に女王に預言した。将来災いがあり国難に陥るが、深紅の女神の末裔が現れ国を正すであろう、と。
「マリー様の存在と、国民に深く根付いている建国譚『深紅の女神』の預言を結びつけて訴えかければよいのではないか? マリー様が、民を救うために現れた『深紅の女神の末裔』であると。そうすれば、民衆は反乱ではなく、正義の戦いであると信じ、必ず立ち上がるでしょう。」
皆の顔色が変わった。彼らは、預言が持つ影響力の大きさを知っていたのだ。それを聞いたカチュールは、希望に目を輝かせながら、再び興奮気味に言った。
「確かに! マリー様こそ、まさに預言の深紅の女神そのものではないですか! 民衆にそう訴えれば、彼らは必ず立ち上がります! そして、貴女様は元王太子の妃。王家の血筋を引く者として、その正統性は誰よりも揺るぎません!」
彼の言葉に、私の心は激しく揺れる。預言は、幼い頃に兄から聞いた、どこか遠い夢の出来事に過ぎない。それは、子供の頃に読んだ絵本の中の物語のように、現実離れしたものだったはずだ。それが今、私自身の身に降りかかろうとしている。
それを現実の戦いに利用することへの抵抗、そして、私自身が本当にその「選ばれし者」なのかという不安。そして、その重責を負うことへの途方もない恐怖が、一瞬で私を襲った。私が、あの預言の女神になれると? そんな大それたことを。私の存在は、亡国の王太子妃に過ぎない。民衆の希望を背負うことなど、私にはできない。
「で、できません……!」
私は、その提案を震える声で拒絶する。クロイツが、私の隣で静かに立っていた。彼の視線が、私に注がれているのを感じる。彼もまた、私のこの提案への戸惑いを理解しているように見えた。
ヴィクトラン様や他の貴族たちは、私の突然の拒否に戸惑いの表情を浮かべていた。彼らにとっては、私という「旗印」が、反乱成功への唯一の道筋に見えているのだろう。
だが、私には、その「女神」という重責が、あまりにも大きすぎた。
この身一つで、民衆の希望を背負うことなど、私にはできるはずがない。
私はただ、この国を正し、愛するクロイツと共に生き抜きたい。
それだけなのに……。
デキュジ侯爵家は、かつて父が信頼を寄せていた開明派の要であり、館には父の古くからの友人も幾人か集っていた。彼らは私を温かく迎えてくれ、久々に感じる人々の優しさに、私の凍てついた心は少しずつ溶かされていく。
だが、安堵は長く続かなかった。
侯爵家当主であるヴィクトラン様から、反乱計画の詳しい内容を聞くと、私の胸には一抹の不安がよぎった。
新王朝の強大な軍事力を前に、反乱を計画しているのは、開明派の侯爵家とその協力貴族がたったの三家に過ぎないというのだ。これでは、あまりに厳しい戦いを強いられるだろう。仮に、彼らが精鋭揃いであっても、数で圧倒されれば、勝利は望めない。多くの命が無駄になるだけではないか。
私は、幼い頃に読んだ異国の歴史書に記されていた、革命や民衆蜂起の事例を思い起こした。ただの力任せの戦いでは、決して勝てない。特に、圧倒的な戦力差がある場合、それは無謀な自殺行為に等しい。真の勝利を得るためには、別の戦略が必要だ。
私は、ヴィクトラン様とカチュール、そして集った貴族たちの前で、ゆっくりと口を開く。
「皆様、現状の戦力では、まともにぶつかっても勝ち目はありません。これでは、多くの命が無駄になるだけです。私たちは、『情報戦』と『心理戦』で民衆を味方につけ、内側から敵を崩すべきです」
私の言葉に、彼らは訝しげな表情を浮かべる。しかし、私は構わず続けた。
「新王朝は重税を課し、民を苦しめています。その不正を明らかにし、彼らが正当な統治者ではないことを民衆に広く知らしめるべきです。そのためには、緻密な秘密情報網を構築し、新王朝の不正や暴政を告発する流言飛語を、計画的に拡散する必要があります」
私は、頭の中で整理された思考を淀みなく言葉にした。王宮での生活で、私は政治の駆け引きや、情報が持つ力の重要性を学んでいたのだ。私の提案を聞いたカチュールが、興奮したように言った。
「それは素晴らしい提案です。流石、深紅の公爵家ご令嬢、いや、深紅の王太子妃殿下!」
その言葉を受け、皆が改めて私の深紅の髪を見つめる。すると、ヴィクトラン様がおもむろに話し始めた。
「建国譚の預言を、マリー様と結びつけるのはどうかね?」
出席者たちの顔に疑問符が浮かぶ。
「どういうことでしょうか、父上?」
「皆もよく知っている建国譚の中に『深紅の女神』降臨の預言がある。これを利用すべきではないのか?」
建国譚。それは、今は亡きローレン兄さんから教えてもらった物語だ。
光陰歴八二九年。人々が争いを続ける中、女神がひとりの女に力を与え、その女が人々の諍いを治め、国を建国し女王となる。女神は建国時に女王に預言した。将来災いがあり国難に陥るが、深紅の女神の末裔が現れ国を正すであろう、と。
「マリー様の存在と、国民に深く根付いている建国譚『深紅の女神』の預言を結びつけて訴えかければよいのではないか? マリー様が、民を救うために現れた『深紅の女神の末裔』であると。そうすれば、民衆は反乱ではなく、正義の戦いであると信じ、必ず立ち上がるでしょう。」
皆の顔色が変わった。彼らは、預言が持つ影響力の大きさを知っていたのだ。それを聞いたカチュールは、希望に目を輝かせながら、再び興奮気味に言った。
「確かに! マリー様こそ、まさに預言の深紅の女神そのものではないですか! 民衆にそう訴えれば、彼らは必ず立ち上がります! そして、貴女様は元王太子の妃。王家の血筋を引く者として、その正統性は誰よりも揺るぎません!」
彼の言葉に、私の心は激しく揺れる。預言は、幼い頃に兄から聞いた、どこか遠い夢の出来事に過ぎない。それは、子供の頃に読んだ絵本の中の物語のように、現実離れしたものだったはずだ。それが今、私自身の身に降りかかろうとしている。
それを現実の戦いに利用することへの抵抗、そして、私自身が本当にその「選ばれし者」なのかという不安。そして、その重責を負うことへの途方もない恐怖が、一瞬で私を襲った。私が、あの預言の女神になれると? そんな大それたことを。私の存在は、亡国の王太子妃に過ぎない。民衆の希望を背負うことなど、私にはできない。
「で、できません……!」
私は、その提案を震える声で拒絶する。クロイツが、私の隣で静かに立っていた。彼の視線が、私に注がれているのを感じる。彼もまた、私のこの提案への戸惑いを理解しているように見えた。
ヴィクトラン様や他の貴族たちは、私の突然の拒否に戸惑いの表情を浮かべていた。彼らにとっては、私という「旗印」が、反乱成功への唯一の道筋に見えているのだろう。
だが、私には、その「女神」という重責が、あまりにも大きすぎた。
この身一つで、民衆の希望を背負うことなど、私にはできるはずがない。
私はただ、この国を正し、愛するクロイツと共に生き抜きたい。
それだけなのに……。



