初めて唇を重ね、肌を寄せ合ったあの夜から、三ヶ月が過ぎた。

 私たちは、依然として身分を隠し、国内を放浪する日々を送っていた。人里離れた森の奥深くを歩き、時には小さな村で食料を分けてもらう。凍える夜は野宿をすることもしばしばで、王宮の生活とはかけ離れた、過酷な毎日だった。それでも、私の心は満たされていた。隣には、クロイツがいたからだ。

 日々の苦難を共に乗り越える中で、私たちはより深い絆で結ばれていった。
 
 彼が黙々と、しかし決して私から目を離さずに周囲を警戒する姿。
 疲弊しきった私のために、黙って水を差し出す手。
 野盗と対峙した時、一瞬たりとも躊躇せず、私を護るために剣を振るう彼の圧倒的な強さ。
 そして、時折彼の瞳に滲む、深い悲しみに触れるたびに、私は彼の全てを知りたいと願った。

 いつしか、彼への特別な感情は、明確な恋へと変化していくのを感じていた。彼の隣にいることが、私にとって何よりも大きな安らぎとなっていた。あの夜の口づけは、私の中の何かの蓋をこじ開けた。
 
 彼が私を護るだけではない。
 私が彼を護りたい。彼と共に生きたい。

 そう、強く願うようになっていた。私は、彼の寡黙な優しさに包まれるたびに、心が温かくなっていく。

 旅の途中で耳にしたのは、新王朝に対する民衆の不満の声だった。クーデターを起こし、国王となった元大公トビ・デグベルは、己の権力を盤石にするため、民衆を顧みず、過剰な軍備増強と王宮の贅沢に資金を注ぎ込み、そのしわ寄せとして苛烈な重税を課しているという。
 道行く村々で、痩せこけた子供を抱き、嘆き悲しむ母親の姿を目にするたびに、私の胸は締め付けられた。国民の不満は、小さな火種となって各地でくすぶっていることを知った。このままでは、国は朽ち果ててしまう。

◇◆◇◆

 そんな中、偶然の再会が訪れる。

 その日も、私たちはとある街道を歩いていた。人通りは少ないが、用心のため、私は深くフードを被り、顔を隠す。その時、向こうから馬車が来るのが見えた。御者は従者を連れており、見るからに貴族の馬車だ。私は反射的に身を隠そうとしたが、隣のクロイツが、私の腕を軽く引く。
 彼の視線の先を追うと、馬車の中から、ひょっこりと顔を出した男がいた。彼は、私の顔を見るなり、驚いたように目を見開く。私もまた、その顔を見て、思わず息をのんだ。

「マリー様!?」

 それは、まさしくカチュール・デキュジだった。かつて父が信頼を寄せていた開明派のヴィクトラン侯爵の息子。私とも以前から交流があり、宮廷でよく顔を合わせていた。彼は少し軽い印象だが、内面は誠実な人物だ。カチュールは、驚きながらも私たちを歓迎してくれた。彼はすぐに馬車から降りて、私に深々と頭を下げた。

「マリー様、まさかこんな場所で、このようなお姿でお会いするとは……。ご無事な姿を見て安堵いたしました!」

 彼の声は、心からの安堵と喜びに満ちていた。私は、思わず涙が滲む。この状況で、心から私を心配してくれる者がいる。その事実に、胸が熱くなった。私たちはすぐに馬車に乗り込み、彼の指示で近くの森の奥へと向かう。そこで、カチュールは私たちに、私たちが探し求めていた希望の光を示してくれた。

「マリー様。実は……この国には、まだ希望がございます。我々開明派の生き残り、そして、新王朝の暴政に反発する者たちが、水面下で反乱を計画しております」

 彼の言葉に、私の胸は大きく高鳴った。

「私の父、ヴィクトラン・デキュジ侯爵が、その首謀者の一人でございます。彼は、国王陛下の死後も、密かに同志を集め、新王朝打倒の機会を窺っておりました。我々は、この国の真の平和を取り戻すため、立ち上がる時を待っているのです」

 カチュールは、興奮した面持ちで語った。彼の言葉は、私に大きな衝撃と、同時に深い喜びを与える。私は、これまでずっと、自分は一人ぼっちで、いばらの道を乗り越えなければならないと思い続けていた。しかし、まだ、この国には希望が残されていたのだ。

「王太子妃であられたマリー様が私たちに加担していただければ、民は必ずや立ち上がるでしょう」

 彼の言葉に、私の胸に新たな炎が灯る。ただ逃げているだけの自分は、もう嫌だった。家族を失い、国を荒廃させた者たちを、このまま見過ごすわけにはいかない。兄ローレンが命を賭して護ろうとしたこの国を、今度こそ、私が護る番なのだ。
 私は迷うことなく、その反乱計画への参加を決意した。クロイツが隣で、私の決意を見守るように、静かに立っている。彼の視線は、私に「それで良いのか」と問いかけているようにも見えたが、その奥には、私の決断を尊重する、揺るぎない信頼が満ちていることを確信する。

「ええ、喜んで。この国を、そして愛する人々を守るために、私はもう逃げません」

 私の声は、これまでになく力強く響いた。

 私はもう逃げない。クロイツと手を取り、この国に真の光を取り戻すのだ。