ずるっ、とクラリッサは足を滑らせ、そのままへたり込んだ。緊張の糸が切れ、立っていることができなくなったのだ。
ゆっくりと、ユリウスが振り向く。エーヴァルトと対峙していたときと変わらぬ目に射竦められると、余計に立ち上がることができなかった。
「……クラリッサ」
唇は、静かにその名を呼んだ。
「……“聖女クラリッサ”。君は“リサ”ではなく、クラリッサだったのか」
嫌われてしまう。胸に落ちたその不安が、波紋のように広がっていく。
それでも、今更「違う」などとは言えない。もう隠し通せない。
静かに頷いたが、ユリウスは黙ったままだった。
騎士団長は、過去に家族を亡くし、その家族は聖女に救ってもらえなかった人かもしれない――ローマンから聞いた言葉が耳元で響く。
もし、私が拒絶した人が、ユリウスの家族だったら?
「……もう、来てくださいませんか?」
「何?」
怖くて声が震えた。怖いというのはおかしかったが、そうとしか言えなかった。もうユリウスがここに来てくれなくなる。あの穏やかなまなざしを向けてくれることがなくなる。
そう考えたときに感じるのは、寂しさとは全く違う恐怖だった。
「……ユリウス様は、“聖女”を嫌っているのでしょう?」
リップ音がしたが、ユリウスは何も言わなかった。見上げれば、その唇を強く結び、眉間にはいつにもまして厳しげにしわを寄せていた。
「……私は“聖女”ですから。ユリウス様は……私を」
「そうではない」
間髪入れず答えた後で、ユリウスははっとしたように口を覆った。言葉に悩むように、その視線は虚空をさまよう。
「……そうでは、ない」
ゆっくりと繰り返す。片言隻語のやりとりばかりのユリウスらしくなかった。
「……違うのですか?」
「違う。決して“聖女”を嫌っているわけではない……」
もう一度口を閉じ、そして開いた。
「……昔話なんだ」



