騎乗の男が騎士だと気付いたリサは、ますます体を硬くした。服の様子からして彼らの上官、ということは、彼らが手間取っていることを知り加勢しに来たのかもしれない。今度こそ、聖女として連れていかれてしまう……。

 開け放たれた扉の前で馬が止まる。濃いブラウンのたてがみの立派な馬だった。そこに乗る男は、無愛想で粗削りながらも凛々しい顔をしている。髪の色は馬とおそろいだ。

「村での略奪は団規違反だが?」
「も、申し訳ございません、ユリウス騎士団長!」

 静かな怒った声に、騎士は慌ててリサの腕を離すと共に敬礼した。リサも、自分が怒られているわけではないと分かっても背筋を震わせた。

「しかし略奪などではなく、こちらの村に“聖女”がいるとの噂がございましたので、騎士団のために連れて参ろうと考えた次第でございます!」

 でも、この現場に駆けつけて真っ先に略奪を疑い騎士を咎めるなんて、話の分かる方なのかな……? カスパーのそばに屈みつつ、リサは見ず知らずの騎士相手に、胸に淡い希望を抱く。

「……“聖女”だと?」

 が、その単語を聞いた瞬間に親の仇を見つけたがごとく歪んだ顔と、なにより吐き捨てるような言い方に、再び跳び上がってしまった。まるで聖女を憎んでいるかのようだ。

「は、はい。もちろん、ユリウス騎士団長が“聖女”の存在を否定していらっしゃるのは存じ上げております。ですが、この村ではあらゆる病や怪我を治してまわる聖女がいるという噂でありまして、現にこの女がそうだと……」
「現に? なにか証拠でもあるのか」

 ユリウスと呼ばれた騎士は、そこで騎士達の後ろに視線をやり、馬から降りた。騎士はすぐに道を開けたが、リサは慌てて扉の前に立ちふさがる。

「……なんだ」
「……私は聖女ではありません。お引き取りください」

 真っ黒い目に見下ろされ、思わず後ずさりしてしまいそうになった。しかし、聖女を毛嫌いしているのかなんなのか知らないが、薬の棚を荒らされてはたまらない。

「貴様が聖女かどうかなどどうでもいい」
「きゃっ」

 そんなリサの肩を掴み、ユリウスは半ば無理矢理小屋の中に入ると――その場に屈み、カスパーに肩を貸して助け起こした。

「やあ、すみませんね、どうも」
「隻腕で杖をつきながら地面に這いつくばるのはやめておけ。背中と腰もやりたいなら別だがな」

 そのまま、カスパーをもとの椅子に座らせ、杖も持ちやすい位置に引っ掛けてやる。唖然とするリサを無視し、ユリウスは騎士2人に向き直った。

「“聖女”の噂があるとのことだが、具体的にどういうことだ。大方“聖女のようだ”という話ではないのか」
「は……それは……そうかもしれませんが」
「しかし、現にどんな怪我も病も治すのだと……」
「どう治している。長々とまじないでも唱えているのか? それとも、神々しい光でも放つのか?」

 そうだというのならば、確かに聖女と認めよう。そう馬鹿にしたように鼻で笑われ、騎士達はさらに口籠った。

「……そういった話は、ありませんが……」
「大体、この老人を見れば分かるだろう。聖女なら彼の腕をもう一度生やしてやればいい。それをしていないということは、そんなことはできないということだ」

 そのとおりだ。騎士達は再び顔を見合わせた。本物の“聖女”がどんなにすごいのかは知らないが、もし彼女が“聖女”なら、この老人はもっとピンピンしているはずだ。腕は生えないとしても、杖をつかねば歩けないというのはおかしい気がする。

 早とちりだったかもしれない……。そんな空気が流れ始めたところで、ユリウスはリサに顔を向けた。

「貴様は聖女ではない。そうだな?」

 そんなこと|ある(・・)|はず(・・)|がな(・・)|い(・)――そう言いたげな強い意志を感じる瞳に、リサは文字どおり生唾を呑んだ。

「……はい。違います」

 騎士達の顔には落胆が浮かんだが、ユリウスはまったく構う様子なく「分かったら早く戻るぞ」と外へ顔を向けた。

「雨が降る前に陣営を整えておく必要がある。こんなところで油を売っている暇があるなら木でも運んでいろ」
「は、失礼いたしました」
「俺ではなく、家主らに謝ったらどうだ」
「……失礼しました」

 上官に言われて渋々頭を下げる彼らに、リサは口も開かずにおいた。

 ユリウスは「早くしろ」と部下を追い立て、小屋の外に出てから二人に向き直る。

「部下が迷惑をかけた。すまなかったな」

 にこりとも笑わず、そのわりに騎士達のかわりにしっかりと頭を下げる。今度のリサは、その姿に呆気に取られたせいで「あ、いえ……」程度しか声が出なかった。

 その顔は扉を閉めるときにいささか歪み、しかしそのまま出て行った。

「……災難だったなあ」

 蹄の音が去るのを聞いた後、カスパーが溜息を零した。

「……ごめんなさい、カスパーさん。私のせいで面倒事に巻き込んでしまって」
「せいだなんてとんでもない、勝手にやってきたのは向こうだからね」
「どこも打ちませんでしたか? ちょっと見せてくださいね」

 カスパーのことだから、怪我をしてもなんともないと言うに決まっている。リサは慎重に袖を捲り、そっと様子を確認した。

「しかし、紛争が起こっていたというのは困るね。村に戦火が及ばなければいいんだが」
「ええ、本当に。……死傷者も多いということでしたね」

 あらゆる怪我や病を無限に治癒する力など持っていない。でも、薬草の心得くらいはある。もし、自分が手伝うことで少しでも楽になる人がいるのなら……。それに、またこうして小屋にやって来られて、カスパー以外の人達にも迷惑をかけられては困る。

 リサがそう悩んでいることに気付き、カスパーは穏やかな目を優しく細めた。

「リサ、君は優しい子だから気にしているんだろう。私達のことは気にしないでいいんだよ」
「……そんなわけにはいきません。もし騎士団の方々がこの村を荒らすようなことがあったら」
「さっきのユリウス殿が統括しているなら大丈夫だろう。年寄りに優しい者に悪者はおらん」
「それは……そうですが……」

 リサの頭には、ユリウスが真っ先にカスパーを助け起こした様子が浮かぶ。しかし、自分に向けられた視線はどういう意味だったのだろう。憎悪とまでは言わないし、嫌悪とも違う……あれはいったい……。

「まあリサ、そう気にすることはないさ。どうせこの村には略奪するようなものもない」

 カスパーは呑気に笑うが、そう言われても気になるものは気になるのだ。リサは空と同じように暗い顔をしたままだった。