追放された偽物聖女は、辺境の村でひっそり暮らしている



 少女が、ユリウスの額に手を載せた。その柔らかいてのひらを、汗を吸い取るようにぴたりと押し当てる。そうしてもらうと、妙に身体が軽くなっていくような気がした。まるで、今まで雁字搦めにされていたかのように窮屈だった体から、ふっと力が抜けていく。

 ああ、そうだ、ユリウスが風邪を引いたとき、悪夢にうなされたとき、いつでも姉上はこうして額に柔らかい手をのせ、その苦痛を和らげてくれていたのだ。手のひらが離れていくのを感じながら、そんなことを思い出した。



 ぼんやりと、ユリウスは意識を取り戻した。

 酷くうなされ、懐かしい夢を見ていた記憶があった。……死んだ姉の夢だったように思う。しかし、なぜ姉だと思ったのか、その姉が夢の中で何をしたのか、何を話していたのか、思い出せることは何もなかった。

「……俺は」

 何をしていた。そう口に出そうとして、喉が酷く傷んだ。咳き込んでしまいながら体を動かそうとしたとき、ガタガタッと視界の外で椅子の揺れる音がした。

「騎士団長!」
「……ローマンか」

 姿を見つけるより先に声で気付き、顔を向けると、ローマンはへたりこんだように床に座り、手をついていた。

 まだはっきりとしない頭で記憶を探る。最後に見たローマンは、馬の下敷きになっていた。動けなくなったローマンが狙われてはならないと、慌てて馬から飛び降りたが、その後のことを思い出せない。

 ただ、見る限り、腕以外に大きな怪我は見当たらない。その顔には傷痕が残っているものの、腫れはだいぶ引いていた。

 もしかすると内臓を押し潰されたかもしれないと心配していたが、無事だったようだ。安堵すると、途端に自分の顔に巻かれた包帯が鬱陶しくなり、手をかけ――部屋の隅で眠る少女に気が付いた。

 同時に、自分が毒矢をこの目と腕に受け、さらに体に穴があくほどの重傷を負ったことを思い出し、戦慄した。

「クラリッサ!」

 駆け寄ろうとして、膝から床に落ちてしまった。寝台の横に置いてあった机が倒れ、水差しが落ち、けたたましい音を立てて割れ、あたりが水浸しになり、破片がその場に砕け散る。

 しかし、ユリウスにとってそんなことはどうでもよかった。まさか――その予感に突き動かされるがまま、クラリッサの土気色の顔と、ローマンの居た堪れなさそうな顔を見比べ……立ち上がり、ローマンの胸座を掴み、揺さぶる。

 何も口にせずとも、それだけで何を聞かれているのかは理解したのだろう。上官相手にも関わらず、彼は静かに項垂れた。

「……申し訳、ありません。騎士団長の……必要以上に彼女に接触するなという言いつけを……」
「……お前が、連れてきたのか」
「……彼女が、聖女だという話を聞き」

 申し訳ありません、という呟きを聞くより先に、ローマンの体を投げ捨てた。あまり力が入らず、ローマンは蹈鞴を踏んで背中を扉にぶつけただけだった。

 よろりと、自分らしくない力の入らない足が、クラリッサに向く。その前に崩れるように膝をついた。

「……クラリッサ」

 姉と同じだ。ユリウスの脳裏に、十余年前の記憶がよみがえる。酷い高熱にうなされ、目が覚めると、姉は――。

 恐ろしいほどに冷たくなっていた体、それに触れた瞬間の感覚が今このときにも掌に蘇るようで、どんな戦場よりも背を怯えが襲った。