新庄は私を見下ろし、口角を吊り上げ、どこか下品な笑い方をした。ぬっと伸びてきた手のせいで、荒神くんが一歩下がる。私もあわせて一歩下がった。

「……荒神、退きな」
「ほらあ、フェミニスト仲間じゃん。女の子を守るのが男の義務じゃん?」
「退けって言ってんだよ」
「荒神くん!」

 バンッと大きな音と共に荒神くんの頬が体ごと弾き飛ばされた。私が悲鳴を上げるのと、新庄が私の胸座(むなぐら)を掴んだのがほとんど同時だった。

 体が持ち上がり、奇妙な浮遊感に襲われる。副流煙による息苦しさと胸座を掴まれたことによる苦しさとで顔を(ゆが)めていると、不意にスカートの、中をまさぐられて、まるで虫が()うような悪寒が背筋に走った。

「っ──」
「古典的なセコイ真似しちゃあだめだよ、三国ちゃん」

 スカートの内側から、弾くようにスカートのポケットを叩かれた。その手は無駄に、そして執拗(しつよう)(ふと)(もも)を外側から内側へと()でる。人の体温が、こんなにも気持ちが悪いことなんてなかった。

「三国!」

 荒神くんの声と、もう一度鈍い音が聞こえた。視界の外で「なに? なにやってんの?」「いいじゃん、ほっとこうぜ」「てか荒神って……あれだろ? もうちょい縛ったほうがいんじゃないの」と他の三人が話す声が聞こえる。

「三国ちゃん、手出されないと思って、油断してない?」

 太腿から手が離れたかと思うと、その不快感は、体がコンクリートの上に叩きつけられた痛みに断たれた。新庄が私の上で馬乗りになる。背中からはビリビリとした痛みとコンクリートの冷感が、お腹からはズッシリとした重みと新庄の体温が、体に注ぎ込まれるようだった。その不気味さに、悪寒を感じる余裕すらなく体が凍り付いた。

 その手は、今度こそスカートのポケットに突っ込まれる。新庄は、開きっぱなしの携帯電話を、見せつけるように私の頭上で振った。

「だーれに電話してたのかな? 雲雀くん?」

 新庄は携帯電話を見ながら「でも雲雀なら登録してんだもんな。電話だってさっきかけたし。なんだこれ」と呟く。その携帯電話番号を見ていない以上、私にだって誰に電話をかけていたのか確信を持てない。

 ドクリドクリと心臓が鳴っていた。早く、見せて。せめて、早く見せて。手探りの発信にミスがなかったと安心させて。

 新庄がゆっくりと、私に画面を突き付ける。

「ねーえ、これ誰?」

 「通話中」が表示された画面を凝視する。頭の中にある写真とそれを比較した。

 十一桁の数字は間違いなく一致していた。通話時間は

 7分17秒、18秒、19秒……

 と(きざ)まれていく。

 それが、ブツリと切られた。通話時間は7分21秒。

 頭の中で、荒神くんの連絡先を登録したときの携帯電話画面の記憶を引っ張り出す。あのときに画面の右上にあった数字は16:32だった。次に、新庄が私に携帯電話を突き出したときの画面の記憶を引っ張り出す。あのときに画面の右上にあった数字は16:55。つまりこの二つの行動の差は二十三分。

 荒神くんの連絡先を聞いてから私と荒神くんが車に乗せられるまでの時間、倉庫に着いてから雲雀くんに電話をかけさせられるまでの時間を概算して、その二十三分から無駄な時間を引く。ついでに頭の中の地図で現在位置と灰桜高校の位置との距離を概算する。おそらく新庄が口にした「三キロ北」は適当ではなく、新庄自身が認識している概算の距離。

 きっと、灰桜高校からここまで来るのにかかる時間は、車で十分。〝7分21秒〟を刻んだ通話時間は、充分とはいえないけれど、不充分ともいえない程度の時間ではある。

 新庄の口角が一層吊り上がった。その手は制服のスカーフを、優しいと言えるほどに丁寧に優しくほどく。

「ねえ、三国ちゃん、知ってる?」

 新庄の手が咥え煙草を取り、私の顔の真横で、ジュッと押し潰す。耳元で、ジリ……と火が(つぶ)れる音がした。その音に反応したのか、心臓の鼓動ごと体が揺れている気がした。

「相手が処女かどうかで、犯罪って違うんだってさあ」
「新庄ッ!」

 私の位置と姿勢から、荒神くんは見えなかった。せいぜい分かるのは、私が息を詰めたのと、荒神くんが叫んだのが同時だったということくらいだった。
「三国に手出したら、昴夜たちは絶対深(ディープ・)(スカーレット)に入んないぞ」
「手出したって、分かんのかなあ?」

 新庄の手はセーターのボタンを一つずつ丁寧に外した。するりと、セーラー服からセーターが滑り落ちるようにはだけられた。

 ずっと早鐘(はやがね)を打っている心臓は、もうそのままセーラー服を突き破ってしまいそうだった。新庄の手は、私の胸よりも先に心臓に触れてしまうのではないかと思えるほど、心臓の鼓動は大きかった。心臓が口から飛び出そうというのは、こういう有様をいうのだろう。

「大丈夫だよ、顔を殴ったりしないから。大丈夫」

 その笑みの裏にある下劣(げれつ)さは、経験則も論理則も関係なく、無根拠に、まさしく直感したと言えるほどダイレクトに伝わってきた。

「三国ちゃんと荒神が黙ってれば、三国ちゃんが犯されたかどうかなんて、分かんないよお」

 ジリジリとセーラー服のチャックが上げられた。セーラー服の中に入ってきた手は、無遠慮に私の胸に触れる。他人に触られて初めて分かる自分の体の柔らかさに、ドッと再び心臓が跳ね上がった。新庄は吹き出す。

「すっごい心臓速い。こんなんでよくそんな表情(かお)でいられたねえ。本当は怖くて堪らないでしょ?」

 ……怖いに、決まってる。薄暗い倉庫で、冷たいコンクリートの上で、十数分前まで顔も知らなかった男に馬乗りになられて、制服を脱がされかけて、怖くて堪らなくないわけがない。

 体だって、コンクリートに自分で自分を押し付けるようにして(こら)えなければ、ひとりでに痙攣(けいれん)し始めてしまいそうなほどに震えていた。新庄が喋る間、何も返事をしないのだって、声を出そうとしても、まるで喉に詰め物でもされたように、声が出ないから。涙が出ないどころか目がカピカピに渇いてしまっているのは、きっと恐怖のあまり神経が麻痺してるから。

 怖くて怖くて、堪らなかった。散々蛍さんに忠告されたって、何も分かってなかった。こんな目に遭うなんて思ってもなかった。後悔なんてないけれど、本当に、怖くて仕方がない。

 顔に何もでなくたって、私にだって、感情くらいあるんだから。

「ッ──三国は蛍永人のお気に入りだ!」