だから、何を言っても私が譲らないと桜井くんには分かったのだろう。暫くの沈黙ののち、困ったようにぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜた。

「……俺も行く」
「えっ」思わぬ提案にさらにしどろもどろと視線を泳がせる羽目になり「いい、いいよ、本当にちょっと行ってみるだけだから。ちょっとだけ。夜までに帰るし」
「紅鳶神社、鳥居通(とりいどおり)の向こうはラブホ街だよ、英凜も知ってるラブホ街」
「知ってる、知ってるけど、もう知ってるから行かないから!」
「手引っ張って連れてかれたら困るじゃん。いーよ、俺暇だし」

 桜井くんは軽い足取りで私を通り越す。そのまま階段まで降り始めるので、慌てて追いかけた。

「ちょ、ちょっと、だから一人で大丈夫だって……」
「英凜、いま自分の立場分かってる?」

 足を止めないまま、桜井くんは顔だけ振り向いた。いつもの人懐こい顔に子供っぽさがなくて、ほんの少し、怒られているような気がした。

「英凜、いま侑生の彼女なんだよ」

 ドクッと心臓が揺れた。桜井くんの口からその関係性を言われるのは初めてだった。

 私の表情はどう変わったのだろう。桜井くんはぱちぱちっと瞬きした後、また前を向いた。

「侑生、群青のメンバーなんだよ。んでもって、1年の群青メンバーって俺と侑生と颯人(はやと)と英凜の4人だけ。しかも颯人はOBに兄貴がいるから入ってるようなもん、颯人自身の喧嘩の腕はからっきし」

 中津くんってそうなんだ……。知らなかったけど、確かに5月時点で群青のメンバー、しかも1年生で1人目なんて、なんらかのコネクションがあるのが自然だ。

「んで、このままいくと、3年になったときの群青のトップは俺か侑生」

 ソラシド#ーレシー、と音楽が聞こえ始める。私と桜井くんが並んで立つ駅のホームに電車が滑り込んでくる。

「少なくとも、英凜は将来の群青No.2の彼女だよ」電車の音に掻き消されないよう、桜井くんは声を張り上げて「そんな英凜が一人でうろうろしないほうがいいんじゃない? 特に月見(つきみ)(どおり)より向こう側」

 ……雲雀くんか桜井くんが、将来の群青のトップかNo.2だなんて、考えなくたって分かることだった。現在の1年生のメンバーは中津くんを除けば私達3人、半ば守られるために群青に入れられたと言っても過言でない私は幹部として論外。それだけじゃない、群青の幹部は先代による指名制だ、仮にメンバーが増えたって、こんなに可愛がられてる桜井くんと雲雀くん以外がそのトップに選ばれるとは思えない。そして桜井くんか雲雀くん、どちらかがNo.1になれば、No.2には自分の親友を指名するに決まってる。

 だから、そんな幹部候補の彼女に手を出すことは、将来の群青を牛耳る足掛かりになるのかもしれない。

「……でもそんなこと言ったら一人で動けない」
「仕方ないんじゃん? まあ英凜狙ったら群青総出だからね、逆に手出してこないのかもしれないけど」

 扉が開いて、電車に乗り込む。人はまばらだったけれど、私と桜井くんが並んで座るところはなかったせいで、立ったままになった。

 そこで、桜井くんを見上げなければならないことに気付いた。いや、今までだって見上げてはいたのだけれど、電車だと少し距離が近いぶん、首の角度が大きくなっていた。

「……背、また伸びた?」
「うん、いま169センチかな。168.8とかそんなだったけど、誤差だなって」
「そんな頻繁に測ってるの?」