口にその名前を出した途端、ドッと、心臓が跳ねた。自分の席に横向きに座ったまま、雲雀くんの顔を見ることもできずに、俯いたまま、スカートの上で拳を握りしめる。
「……なに?」
雲雀くんの声がいつになく優しく聞こえた。心臓がぎゅっと小さくなってしまった気がした。胸が苦しいとはこういうことを言うのだと思った。拳に緊張を逃そうと更に強く握りしめたけれど、今度は拳に力が入らなくなった。
だめだ、ちっとも、上手くなんかできない。つい、能勢さんが「大抵の人間は恋愛なんて上手くやれないもんなんだから」と言ってくれたのを思い出した。やっぱりどうして能勢さんは私に親切に――と連想ゲームを始めてしまい、やめろやめろと自分に言い聞かせた。いい加減、現実逃避をしている場合じゃない。
「……話したい、ことが……あるんです、けど……」
教室に残っている人達に、ギリギリ聞こえるか聞こえないかくらいの声だったと思う。なんなら雲雀くんにすら聞こえたか怪しい。
「……数学教室でも借りるか」
よかった、聞こえてた。ガタリと隣で雲雀くんが立ちあがる音を聞いてから、私も立ち上がる。拍子に膝がカクンと砕けそうになり、慌てて机に手をついた。雲雀くんは気付かないふりをしてくれたのか、何も言わなかった。
そろりそろりと、そのまま教室を出て、隣の数学教室の扉を開ける。普段使われていないせいか、開けた瞬間に埃が舞った。カーテンが引かれているせいで、明かりは廊下側から差し込んでくるものしかなく、中は薄暗かった。
ドクリドクリとうるさく鳴っている心臓を押さえながらおそるおそる奥へと足を進め、ピシャリという音がして飛び上がった。振り向けば、雲雀くんが後手に扉を閉めているだけで何もおかしい光景なんてなかったし、そんな光景を見ずとも、これから話すことを考えればごく自然な行動とそれによる音だと分かったはずだった。それすら判別できないくらい、頭が上手く働いてなかった。
雲雀くんはゆっくりと腕を組んで、扉脇の柱に背中を預けた。薄明りでも、その表情はよく見える。そしてその表情には、どことなく、何かを諦めたような翳りが差していた。
それを理解できることこそが、私と雲雀くんの距離だった。
「三国」
「え、な、なに」
先に口を開いたのは雲雀くんだった。縮み上がるような返事をしてしまったせいか「別に取って食いやしねーよ」と笑われ、ほんの少し緊張が緩んだ。それでもまだ心臓はドクリドクリとうるさく鳴っている。
「……なんか気まずそうにしてるから、悪かったなと思って」
「え、いや、別に悪いとかそういうことは……私が上手くやれればいいだけの話だし……」
「……俺だって上手くやってないんだから、三国だけ上手くやる必要なくね」
「それは……そう……なのかな、いやよく分からないんだけど……」
雲雀くんの目はまっすぐ私を見ていた。それを見続けることができずに、そわそわと視線を彷徨わせる。
今になって、外で人の声が聞こえていることに気が付いた。もしかしたら、この教室に私達が入るのを見た人もいるかもしれない。そもそも、5組を出るときに、私と雲雀くんが揃って出て行ったのは見られていたかもしれない。いや、見られていたに違いない。でもそんなことを考えている余裕なんてなかったし、今だって、それに気付いたから仕切り直しにしましょうなんて言う気にはなれなかった。
「……なに?」
雲雀くんの声がいつになく優しく聞こえた。心臓がぎゅっと小さくなってしまった気がした。胸が苦しいとはこういうことを言うのだと思った。拳に緊張を逃そうと更に強く握りしめたけれど、今度は拳に力が入らなくなった。
だめだ、ちっとも、上手くなんかできない。つい、能勢さんが「大抵の人間は恋愛なんて上手くやれないもんなんだから」と言ってくれたのを思い出した。やっぱりどうして能勢さんは私に親切に――と連想ゲームを始めてしまい、やめろやめろと自分に言い聞かせた。いい加減、現実逃避をしている場合じゃない。
「……話したい、ことが……あるんです、けど……」
教室に残っている人達に、ギリギリ聞こえるか聞こえないかくらいの声だったと思う。なんなら雲雀くんにすら聞こえたか怪しい。
「……数学教室でも借りるか」
よかった、聞こえてた。ガタリと隣で雲雀くんが立ちあがる音を聞いてから、私も立ち上がる。拍子に膝がカクンと砕けそうになり、慌てて机に手をついた。雲雀くんは気付かないふりをしてくれたのか、何も言わなかった。
そろりそろりと、そのまま教室を出て、隣の数学教室の扉を開ける。普段使われていないせいか、開けた瞬間に埃が舞った。カーテンが引かれているせいで、明かりは廊下側から差し込んでくるものしかなく、中は薄暗かった。
ドクリドクリとうるさく鳴っている心臓を押さえながらおそるおそる奥へと足を進め、ピシャリという音がして飛び上がった。振り向けば、雲雀くんが後手に扉を閉めているだけで何もおかしい光景なんてなかったし、そんな光景を見ずとも、これから話すことを考えればごく自然な行動とそれによる音だと分かったはずだった。それすら判別できないくらい、頭が上手く働いてなかった。
雲雀くんはゆっくりと腕を組んで、扉脇の柱に背中を預けた。薄明りでも、その表情はよく見える。そしてその表情には、どことなく、何かを諦めたような翳りが差していた。
それを理解できることこそが、私と雲雀くんの距離だった。
「三国」
「え、な、なに」
先に口を開いたのは雲雀くんだった。縮み上がるような返事をしてしまったせいか「別に取って食いやしねーよ」と笑われ、ほんの少し緊張が緩んだ。それでもまだ心臓はドクリドクリとうるさく鳴っている。
「……なんか気まずそうにしてるから、悪かったなと思って」
「え、いや、別に悪いとかそういうことは……私が上手くやれればいいだけの話だし……」
「……俺だって上手くやってないんだから、三国だけ上手くやる必要なくね」
「それは……そう……なのかな、いやよく分からないんだけど……」
雲雀くんの目はまっすぐ私を見ていた。それを見続けることができずに、そわそわと視線を彷徨わせる。
今になって、外で人の声が聞こえていることに気が付いた。もしかしたら、この教室に私達が入るのを見た人もいるかもしれない。そもそも、5組を出るときに、私と雲雀くんが揃って出て行ったのは見られていたかもしれない。いや、見られていたに違いない。でもそんなことを考えている余裕なんてなかったし、今だって、それに気付いたから仕切り直しにしましょうなんて言う気にはなれなかった。



