「おい三国英凜」
「えっあ、はい」
「お前、俺が何でお前の名前知ってるか、分かってるか?」
名前を伝えた覚えはなかったのだけれど、それくらいは誰かに聞けば分かることだろうし、特に気にする要素ではない――そんな自分の考えが間違っていると指摘された気分だった。
誰かに聞けば分かる。――なにをどう聞く?
桜井くんと雲雀くんが仲良くしてる女子のことを知らないか。――誰に聞く?
二人は一年五組だから、一年五組の人に聞く。――その必要がある?
入学気の桜井くんと雲雀くんの所業は次の日には学校に知れ渡っていた。当然、そんな二人が仲良くしている特定の相手がいれば、目立つ。それは一年五組のクラス内外を問わない。つまり、あえて一年五組の人間に聞く必要はない。――そもそも、二人が女子と仲良くしている女子には、特殊な情報がなかったか?
入学式、フルネームで名前を呼ばれ、例年は特別科からしか出ない新入生代表挨拶をした。――ということは?
三国英凜が桜井昴夜と雲雀侑生と仲良くしているという情報は、いわば公知の事実であって、わざわざ探るまでもないことだ。
「なあ三国英凜、気を付けな」
蛍さんの声が、不気味に忠告する。
「俺は、今年の新入生代表の三国英凜が、桜井と雲雀と仲良くやってるって話を、まったく求めてもないのに聞かされた」
「……桜井くんと雲雀くんのことを知ってる人は、それと同じくらい私の存在を――ご丁寧にフルネームまで含めて、認識しているってことですよね」
「そういうこと。んで、どこのチームも桜井と雲雀をこぞって欲しがってる」
お前は絶好のエサだ。――そう告げられ、心臓が鷲掴みにされたような恐怖が全身に走る。
「分かったら、コイツらとは早いうちに縁を切りな。今ならまだ、脅されてましたで済む話だ」
ぽろりと、蛍さんの手から煙草の箱が落ちた。ゴリラの胸の上でころりと転がったそれを、蛍さんはもう一度踏みつける。呻くゴリラに構わず、蛍さんはポケットから一枚の紙きれを取り出した。
なんなのか分からず、ただ緊張感で首を傾げることもできずに固まっていると、受け取れとでもいうように顎を動かされた。おそるおそる受け取ったそこには、11桁の電話番号が書いてある。
「もし、縁を切るつもりなら、早めに言え。そのへんの噂は、ちゃんと流してやる」
……その気になったら、連絡しろ、ってことか。
その紙きれをじっと見つめる。まるでずっと渡すのを待っていたかのように、その紙きれにはところどころ皺が寄っていた。
「……で、俺は群青のメンバーじゃないヤツらを助けはしない。お前らがどんな目に遭おうが、知ったことじゃない」
ふい、と蛍さんは踵を返した。きゅ、きゅ、と砂浜が鳴く。
「分かったら、群青に入るかどうか、ちゃんと考えな」
桜井くんと雲雀くんは、まるで保護者に怒られてしまったかのように黙り込んでいた。蛍さんはそのまま、おそらく能勢芳喜さんの隣のバイクに乗り、揃って走り去る。能勢芳喜さんはついぞ私達に対して一言も声を掛けなかった。
「――っはー! 怖かった!」
一番最初に声を発したのは荒神くんだった。私は呆然と突っ立ってしまっていたので、荒神くんに手を引かれて我に返り「つかここ離れよ、足下にコイツいるのコワイ」なんて言われて慌てて足を動かす。桜井くんと雲雀くんは、再び泥を落とし始めながら石階段の荷物を回収しに行く。
「……蛍さん、めっちゃ怒ってたなあ」
ぼそりと呟いた桜井くんは、目に見えてしょんぼりとしていた。雲雀くんはティシャツを脱ぎ、バサッバサッと振るって砂を落とす。
「……あの人の噂、本当かもな」
「噂?」
「蛍さん、どっかの抗争に巻き込まれて姉貴が死んでんだと」
ティシャツを着直しながら、雲雀くんはなんでもなさそうに告げた。重さのわりに、その口調は重くはなかった。
「だから三国のことがだぶってんだろ」
「あーね、俺らに巻き込まれて三国が死んじゃうかもってね」
「……それにしたって、妙に肩入れされてた気がするんだけど」
「その姉貴に三国が似てるとかなんじゃねーの? 分かんねーけど」
荒神くんの想像を聞きながら、もう一度、手の中の紙切れを見つめた。やっぱり、ずっと渡すのを待っていたかのようなくたびれ方をしている。それこそ……、ちょうど、蛍さんに会ったあの日から、渡すタイミングを見計らっていたと言われてもしっくりくる。
「おい三国ィ、ぼーっとしてんなよ。帰るぞ」
「あ、うん……」
でも蛍さんに肩入れされる理由はない。そうだとしたら、荒神くんのいうとおり、蛍さんの亡くなった(という噂の)お姉さんと私が似ている……のだろうか。首を捻りながら、石階段の荷物を拾い上げる。
「つか三国、なにで来たの? チャリ?」
桜井くんはぐっしょり濡れたパーカーをかぶりながら「うへぇ、気持ち悪い」と顔をしかめた。
「うん……」
「昴夜、お前三国のこと送れ」
「えー、うーん、別にいいんだけどさ、俺と一緒に歩いてちゃまずいんじゃないの?」
「今は一人のほうがあぶねーだろ。いざとなったら三国だけチャリで逃げろ」
「俺は?」
「お前は知らねーよ」
「……雲雀くん、パーカー……」
「着とけ。帰り寒いだろ」
それは二割も乾いていないティシャツを着ている雲雀くんのほうなのでは……バイクだし……。なんて思っていたけれど、駐車場へ行くと雲雀くんはバイクの中からジャケットを取り出した。バイクに収納スペースなんてあるんだ。
「え、まって、そんなんあるなら俺にくれればよくない? なんで俺、上半身裸でいたの?」
「忘れてた」
「ぜってー嘘じゃん! 濡れるのがイヤだったとかじゃん!」
ギャンギャン喚く三人を見ながら、蛍さんの言葉を反芻する。コイツらとは早いうちに縁を切りな――その声は、表情と一緒に、音声付き写真として脳内に保存される。
ただ、何も見えなかったときのあの体温も、記憶の中に残っていた。



