歩道のほうからバイクの排気音が聞こえてきて、私達は揃って視線を向けた。荒神くんが「んげ、また新手かぁ」と参ったように呟いたとおり、ところどころ青い光を反射するバイクが二台止まっている。
ジュッと音がしたので視線を向ければ、ゴリラが落とした煙草が海水に鎮火されていた。
「たーいへんそうだなぁ、桜井、雲雀」
バイクの上で、ピンクブラウンの髪が揺れた。バイクのサイズに不釣り合いな体が海岸に飛び降りてくる。もう一台のバイクの主はバイクに乗ったままだ。
「……やばい、蛍永人だ」
ボソッとゴリラの仲間が呟いた。既に足は数歩下がり、蛍さんが近づいてくる前から及び腰だ。ゴリラだって、煙草を落としてしまうくらいには余裕がないことが伝わってくる。
対して蛍さんは、悠々と、まるで海岸を散歩にでも来たような態度だ。休日だというのに学ラン姿で、首には安っぽい白いイヤホンをひっかけている。
「だから言ったろ、中坊のときほど甘くないって」
「……なんか用かよ」
間違いなく、蛍さんが来たお陰で助かったはずなのに、雲雀くんは不遜な態度だった。でも蛍さんは気にした素振りはなく「相変わらず無愛想だねえ、可愛いのは顔だけ」と白い歯を見せて笑う。どうやら雲雀くんの女顔は、雲雀くんを知っている人からするとからかいの鉄板ネタらしい。
「ちょっとな、海岸の煙草が目についたもんで」
ちらと、ピンクブラウンの髪の隙間から、蛍さんはゴリラを睨む。ゴリラは怯んだように数歩後ずさった。
「……桜井と雲雀は、群青じゃねーだろ。なんでアンタが出て来る」
「だから言ってんだろ、ちょっと煙草が目についたんだ、ってな!」
学ランが翻るのとその足がゴリラを吹っ飛ばすのと、どちらが早かったか。少なくとも私には分からなかったし、ゴリラが倒れる横では、桜井くんと雲雀くんも我に返ったようにゴリラの仲間を吹っ飛ばしていた。
私と荒神くんの前では、ゴリラが呻いていた。蛍さんがゴリラを蹴っ飛ばした衝撃で、そのポケットからは携帯電話やら煙草のケースやらが落ちて砂浜の上に転がり、無残に波に襲われている。
波が引くのと一緒に、黒い携帯電話とエメラルドグリーンの煙草の箱が海にさらわれてしまいそうになったところを、蛍さんはなぜか煙草の箱だけを拾い上げた。更に吸殻を拾い上げると――倒れているゴリラの口に砂ごと押し込んだ。
「モガッ……」
「おーし、ちゃんと灰皿に入ったな」
煙草の箱は親の仇かと思うほど強く握りしめ――いやもはや握り潰し、蛍さんは桜井くんと雲雀くんに視線を遣る。二人の近くにはゴリラの仲間が二、三人が転がっていたし、残りの仲間は、歩道に残っていた人も含めて逃げ出していた。
「……んで、お前らなにやってんだ。特に桜井、上半身裸で。夏じゃねーんだぞ」
「ビーチバレーやってたの!」
「なんの答えにもなってねーよ」
蛍さん達が話している間に、荒神くんの背中から歩道を見上げた。蛍さんとやってきたもう一人はバイクに跨ったままで、顔がよく見えない。ただ蛍さんより背が高く、髪は黒かった。
「……そういうアンタこそ、何しにきたんだ」
「本当に可愛くねーな、コイツ。休日のお出かけだよ、お出かけ」
「No.1とNo.2が揃って? デートでもしてんのか?」
雲雀くんが示したのは、歩道の上のバイクの人だった。No.2――ということは、この間荒神くんが言っていた「能勢芳喜」だろう。そうだとすれば、背が高いというのは聞いているとおりだ。
「そういうこともある。なあ、三国英凜?」
蛍さんの目が私を見た。この間、一年五組の教室で話したときの私の回答を反芻されているのは分かったけれど、それが何を意味するのかは分からなかった。なんなら名前を伝えた覚えはなかったのだけれど、それくらいは誰かに聞けば分かることだろうし、特に気にする要素ではなかった。
「……アンタへの貸しは一つだとしても、俺らは群青に入んねーぞ」
体を包んでいる泥を払い落としながら、雲雀くんは頑なに拒絶する。隣の桜井くんは、同じく頭から泥を落としながら「うん、まーねー」と曖昧な返事をした。
「そう。んじゃ黒鴉からの誘いは断ったのか?」
「んじゃ、ってわけじゃないけど、うん、まあ。だって急に来て殴るとかヤバイじゃん、暴力反対」
「お前らには言われたくねーだろうけどな」
蛍さんの目がもう一度私を見た。つい、荒神くんの背中に隠れる。悪い人ではなさそう、というのは最初の印象のとおりだけれど、それでも知らない人には変わりない。
「三国英凜、お前はここで何してんだ?」
「……なに、って」
「俺らが呼んだんだよ、あそぼーって」
「お前本気か?」
私を庇うようなセリフに、蛍さんの目が不意に鋭く細められた。私がその目を向けられたわけでもないのに、つい、体が震えてしまう。
「お前らみたいに目立つヤツが、女連れまわしてんじゃねえ。お前らがやられるのは勝手だ、けどな、お前らがやられたら女がやられるってことくらい分かっとけ。大体、三国英凜のこの恰好はなんだ?」
なぜかサッと荒神くんが動いて私を隠した。でももう遅い、蛍さんは咎めるように私のことを親指で示している。
「襲ってくれって言ってるようなもんじゃねーか。何して遊んでたか知らねーけど、お前らのせいで三国が襲われて、お前らが責任とれんのか?」
前回会ったときとは打って変わって、蛍さんの声は冷たかった。その物言いから――表情からも、妙に真に迫る厳しさが伝わってくる。桜井くんと雲雀くんも、その指摘を正しいと感じているのか、いつもの軽口を叩くことはなく、じっと黙り込んでいる。



