お母さんが死んだのは、小学2年生のときだった。

 学校で、急に先生に呼ばれた。今すぐにランドセルに荷物を片付けて職員室に来なさいと言われて、この間焼却炉で電球割って遊んだのがバレたのかなあ、なんてことを考えた。後になって思えば、怒られるだけで荷物を片付けるはずがなかったのだけれど。実際、職員室に着いた途端に別の先生に車で送るなんて言われて、学校を出ることになった。下校時間よりずっと早く学校を出る俺を、教室の窓から見つけたクラスメイトが「早退だ、ずるい」と(はや)し立てたことを覚えている。俺も早く帰る理由は分からなかったから、早く学校から帰れてラッキーくらいにしか思っていなかった。

 警察署に行ったのは、それが初めてだった。あのとき行った部屋の扉になんて書いてあったのかは覚えていない、でも後から漫画で読んだら、そういう部屋の扉には「安置室」と書いてあることが多いから、きっとそうだったんだと思う。

 その頃には父さんは単身赴任中で、俺はじいちゃんと一緒にお母さんの死体を見た。あの時は泣くより先に気分が悪くなったような気もするけど、今はあまり覚えていない。人間は辛い記憶は勝手に思い出さないようにするって何かで読んだからきっとそれだ。

 夜、やっと父さんがやってきた。父さんはお母さんの遺体に(すが)り付いて泣いていた。父さんが泣いているのは初めて見たし、そもそも父さんみたいに大の大人が泣いているのなんて初めて見た。

 飲酒運転の車に()かれたらしい。お母さんがスーパーから出て、横断歩道が青になるのを待っていたところを直撃、即死。だから病院にも運ばれなかったんだって。

 そんな話は、後で父さんから聞いた話だ。あとは裁判で聞いて、読んだ話。

 裁判所に行ったのは初めてだったし、そういう系のドラマも見たことがなかったから、物珍しかったことを覚えている。法廷と呼ばれていた個室では、まるで俺達とその運転手を(へだ)てるように、座席が並んでいるスペースと、その運転手が座っているスペースの間に木のバーが設けられていた。俺はバーの手前の椅子に父さんとじいちゃんと、カーターのじいちゃんとばあちゃんと、おじさんも座っていた。確か平日だからシリルは来れなかったんだと思う。バーの向こう側では、父さんより少し年上に見えるおじさんが「気が付かなかったとはいえ、遺族の方には申し訳なく思っています」と話したのを覚えている。その人の年齢は44歳だった。

 裁判は長かった。バーのこっち側では寝てる人もいた。それでもって1回じゃ終わらなくて、じゃあ続きはまた1ヶ月後に、なんて黒服の裁判官が言っていて、そりゃ長いけどさ、それにしたって続きは1ヶ月後は長すぎだろって思った。

 その最後。最初に裁判所に行ってからどのくらい経ってただろう。最後の日、個室の外に貼りだされた紙には『13時10分 判決』と書かれていた。

「主文、被告人を懲役3年に処する。未決(みけつ)勾留(こうりゅう)日数中60日をその刑に算入する」
「被告人は、運転開始前に飲んだ酒の影響により、前方注視及び運転操作が困難な状態で普通乗用自動車を走行させ」
「歩行していた被害者に被告車両右前部を衝突させることにより、同人に(のう)挫傷(ざしょう)の傷害を負わせ、即時同所にて被害者を前記傷害により死亡させた」
「被告人は、自らが事故の当事者であるとの認識がなかった旨を主張する」
「しかし、関係各証拠によれば、被告人は被告車両が被害者に衝突した当時、被告車両を止め、車両を降りたうえで現場状況を確認していることが認められ」
「被告人の公判(こうはん)供述(きょうじゅつ)は全く信用できず」
「不自然不合理な弁解(べんかい)に終始し、反省の態度が認められない」
突如(とつじょ)としてかけがえのない家族を失った遺族の精神的苦痛は筆舌(ひつぜつ)に尽くしがたく、その処罰感情は峻烈(しゅんれつ)である」
「他方、これまで前科(ぜんか)前歴(ぜんれき)がないことなど被告人にとって有利に斟酌(しんしゃく)すべき事情も認められる」
「よって、主文のとおり判決する」

 黒服の裁判官が何を言ってるのかはよく分からなかった。分かったのは、人を殺したからって死刑になるわけじゃないってことくらいだ。

 後になって、判決文のコピーを貰った。何度も何度も、暗記するほどそれを読んだ。やったことはないけど、もしかしたらそらで言えるかもしれない。父さんの本ですら見かけない意味の分からない漢字と独特の言い回しに頭を混乱させながら、じいちゃんに言わせれば狂ったように俺は判決文にかじりついていた。意味はよく分かっていなかった。