カラカラと本気にしてなさそうな声で笑うお兄ちゃんに「教室で殴り合いが起きたことがある」と例によって入学式の日を思い出しながら伝えると「コッワ」と本気でドン引きされた。もしかして私が見慣れてしまっているだけで、普通は殴り合い自体を目にすることがないのかもしれない。

「え、それ巻き込まれたりするの」
「巻き込まれ……」頭には夏祭りのことやらなにやらが浮かんだけどパッパと振り払い「いや、殴り合いに巻き込まれることはない。近くで殴り合ってる人がいるなあくらいで」
「え、いやいやおかしいでしょ。僕、死んでも灰桜高校は受けない。てか死ぬよねそれ」
「でもそういうのは普通科だけだから。特別科は喧嘩とかないと思う」
「英凜ちゃん普通科なの? なんで?」
「なんとなく」
「殴り合いというのは何をきっかけに起こるんだ」

 駿くんは年齢のわりに妙に大人びた喋り方をする。私が聞く限り、駿くんは本の虫で友達と喋る時間より本を読む時間が多い有様なので、きっと本で読んだ言い回しがそのまま定着してしまったのだろう。ただ、そもそも小学1年生が物事の契機(けいき)を気にするなんてこと自体が妙というか、小学1年生にしては理屈っぽいので、そもそも駿くんは変わっている部類に入るのかもしれない。

「……今まで見てて一番分かりやすかったのは、先輩に女顔をからかわれたからムカついて殴った、とか」
「分かりやすくないだろ、それ蛮人だろ」

 兄の感想は、美人局の一件で相手のことを突き飛ばした桜井くんに私が抱いた感想と全く同じだった。血は争えない。

「やばくない? 英凜の高校、マジ世紀末じゃん」
「お兄ちゃんみたいな頭の人もたくさんいるよ」
「マジか、やべー。てかそれなら英凜も染めても怒られないんじゃね?」お兄ちゃんはちょんちょんと自分の髪を指さしながら「ピンクとか」
「でもピンク色好きじゃない」
「んじゃ青とか。涼し気でいいんじゃね」
「……でも雲雀くんが髪染めようとしたら止めるって言ってたしな」
「なにくん?」
「なんでも」

 桜井くんは止めるのかな。意外と黒が一番似合うとか言って止めるかもしれないな。
 そんなことを考えながら海に着き、お兄ちゃん達が「よっし泳ぐかー」「凜くん運動まだしてるんだっけ?」「フットサルやってる」と準備運動をする中で携帯電話を開いた。雲雀くんから「海の家の前あたりにいる。目印は先輩ら」とメールが来ていた。海の家ならすぐそこだ。あの色物集団ならすぐに見つかるだろう。「すぐ行く」と返信した。

「じゃあ私友達と合流するから」
「あー、英凜、小銭貸しといて。財布置いてきた」

 (きびす)を返そうとしたところに実の兄からカツアゲを受け「うわ……」と冷たい声が出てしまった。そういえば、お兄ちゃんが「()れるから」と財布は元の荷物から取り出さずにいた様子を思い出した。私は計画的に小銭だけビニールポーチに分けたというのに。

「自分の分しかないんだけど」
「いくら?」
「800円」
「なにその微妙な額」
「お昼代500円と飲み物150円が2本の計算」
「えー、んじゃ全然ないのか」

 私に向けて手を出していたお兄ちゃんは「金こっちに入れてたかな」とボディバッグを探る。「僕も1000円くらいならあるからどうにかなるんじゃない? 水持ってきたし」なんて言う京くんのほうがよっぽど年上の振る舞いをしている。隣の駿くんはチャポンチャポンと水筒の水音をさせているので別枠だ。

「じゃ200円だけ貸しといて」
「お昼の予算が減るからやだ」
「ケチッ」