桜井くんに言われた海岸沿いの駐車場へ行くと、二台並んだバイクの隣に桜井くんが座り込んでいた。太陽の光に金髪がきらきらと反射しているので、なによりの目印だ。何をしているのか、遠くからは分からずにおそるおそる自転車を押しながら近づくと、松の葉で文字通りひとり相撲をしていた。
「……どうも」
そっと覗き込むと、桜井くんはパッと顔を上げる。家を出る前に話したとおり、その金髪は今日もふわふわだ。
「お、三国。早かったな」
「そうだ、ごめん、何時くらいに着くか言ってればよかった」
「んーん、相撲やってたから大丈夫」
桜井くんの足元には切れた松の葉がたくさん散らばっている。この様子だと、私が家を出たときにはもうここで待ってくれていたような気がした。
「……荒神くんは? っていうか、雲雀くんもいるんだよね?」
「あー、そうそう。アイツら、海入ったから砂浜に上がりたくないとかいって。じゃんけんで負けた俺が来させられたの」
どおりで、桜井くんの足首には砂がついているはずだ。なんなら、折られたズボンの裾は濡れている。プルオーバーのパーカーも、お腹のあたりに濡れた形跡があるので、きっと水をかけて遊んだのだろう。
「三国、その足、寒くねーの?」
「……だって海で遊ぶんでしょ?」
「やる気満々じゃん! 来いよ、ビーチバレーやってんだけどさ、三人だとできねーなってなったから三国呼ぼうと思って」
完全に桜井くん達の遊び相手・四人目になっている。いささか疑問はあったけれど、桜井くんが軽い足取りで海岸へ向かうのでよしとした。
ザァッと、寄せては返す波の音が段々と大きくなる。ゴールデンウィークの潮風は少し冷たい。磯と潮の香りもまだ薄く、海開きはまだまだ遠いことを五感で理解する。
「三国、ゴールデンウィーク、なにやってんの?」
「えー……と、本読んだり、ピアノ弾いたり……?」
「ピアノ弾けんの?」
「ちょっとだけ」
「すげー! じゃ、今度あれ弾いてよ、『フロッカーズ』の主題歌の」
桜井くんが言っているのは月9ドラマのことだ。見たことはないけれど、音楽番組でその主題歌が特集されているのは見たことがある。主題歌のタイトルは『ありし日の愛し合い』。ピアノで弾けそうなバラードだった。
「楽譜があれば練習するんだけど」
「んァ」
音楽をやっている人間からすれば、それはごく当然のことだったのだけれど、桜井くんの反応はそうではない。ということは、桜井くんは音楽にさっぱり縁がないのだろう。
「ほら、あの主題歌って、ピアノだけじゃなくて、ヴァイオリンとかビオラの音も入ってるでしょ? だからピアノ用にアレンジされた楽譜が必要で」
「あー……。うーん、俺、ピアノの音以外分かんねーから。そっか、そういうのが要るのかあ。じゃ楽譜持ってったら弾いてくれる?」
持って行くってどこに? まさか家に? 頭にはおばあちゃんの家に桜井くんがやってくる図が浮かんだ。アップライトピアノが置いてあるのは、和室ばかりの家の隅っこにある洋室で、私の部屋だ。私の部屋に桜井くんが来る……。
頭の中にある自分の部屋の図に桜井くんを合成してみる。違和感があるといえばあるけど、ないといえばない光景だった。
「……いいけど、練習してからね」
「あ、マジ?」
頷けば、桜井くんの顔は目に見えて輝いた。丸い目を見開き、口角が自然に上がり、白い歯が覗く。それこそ、私にも分かるくらい嬉しそうな表情だった。
「約束な! その楽譜探すから!」
「……いい、けど」
そんなに気に入った曲なの? と聞こうとして、浜辺にいる荒神くんから「おーっす、みくにー!」と声をかけられたので口を噤んだ。
荒神くんはやけに目立つ朱色の、そしてゆるっとしたティシャツを着ていて、ジーパンの裾を膝あたりまで折っている。対する雲雀くんは、黒いスキニーにネイビーのティシャツと全体的に暗い。夜の海だったらそのまま同化していそうな恰好だけど、辛うじて銀髪のお陰で目立っている。スキニーの裾は気持ち折ってある程度で、濡れるのは諦めたようだ。
雲雀くんは、私の存在に気付くと顔を向けたけれど、荒神くんと違って手を振ったりはしない。代わりにその手には砂まみれのビーチボールが載っている。



