でも、別に私の前で両親の話をするのはタブーでもなんでもない。なんなら、両親が健在でいながら祖母の家に預けられているといっても、それだってネグレクトでもなんでもない。

 むしろ、両親が最大限私に配慮した結果だ。

「……別にいいよ。というか、親は喜ぶんじゃないかな」
「……喜ぶの?」

 ……そういえば、桜井くんに話していないままだったし、雲雀くんにも中途半端なことしか伝えなかったな。

「……うん。友達に冗談を言えるって、いいことでしょ」

 桜井くんは首を傾げた。

「……ま、そりゃそうだな」

 雲雀くんは無言だった。

 読み通り、2人との勉強会は勉強会に名を借りた遊びとしかならず、大して勉強も(はかど)らないうちに2人は帰って行った。ちなみにバイクで乗り付けると「三国家が暴走族に襲われている」と勘違いされそうなので、今日は2人とも大人しくバスで来たらしく、歩く後ろ姿に手を振ることになった。

 おばちゃんが帰ってくる前、急須と湯呑とグラスを洗いながら、ぼんやりと考えた。

『少し、マイペースなところがあるようですね』

 小学1年生のときの担任の先生はそう言った。私に対する評価は“ただのマイペースな子”だった。

『三国さんは……すごく、お勉強はできますけれど、他人に対する配慮とか、他人の気持ちに対する想像力とかが、あまりに欠けているように思います。なんというか、アンバランスで……少し、|異常な(おかしい)のではないでしょうか』

 でも、小学4年生のときに、その件が取り沙汰(ざた)されてしまった。

 自分に好意を寄せている男子に向けて、真正面から「興味がない」と言うこと、そう言い放つことが相手にどういう意味を持つのかが分かっていないと思われること、そのくせ知的な遅れは見られず、むしろ同年代の子の中で比較的秀でていたこと、おまけとして異常なほどの記憶力があること。

 それを聞かされた母はショックを受けていた。

『お友達と遊べないなんて、病気よ』

 でも、母は、あれよりもっと前に、私を異常だと言ったことがあったのだ。

 もし、母がそのことを覚えているとしたら、そして小学4年生のときの面談でそのことを想起してしまったのだとしたら、きっと、今日の光景を喜ぶはずだ。あの日のように──河川敷(かせんしき)のだだっ広い遊び場で、私の両肩に手を置いて(さと)した日のように──お友達と普通に(・・・)遊びなさいと説く必要はもうなくなったのだと。

 たとえ、内実としては回復の兆しさえないとしても、少なくとも外見としては|普通(・・)に見えて、それ以外に私の異常さを証明するものはないのだから。