ぼくらは群青を探している

「……全部じゃないよ。普通に、見たけど意識に入っていないものを覚えてないこともある。でも、見たけど意識に入っていない、それなのに覚えてるものもある。私でも、その違いがどこにあるのかは知らない」

 人の頭は忘れるようにできている、というのは誰でも知っている話だ。私だってそのくらい分かっている。だから、見たけど意識に入っていないものを覚えていないこともある、というのが私の正常さのひとつだと思っていた。

「……保存しすぎるって話したのは、お店の中の様子を写真みたいに覚えすぎるってこと。目に見えてくるものをどんどん覚えちゃって、目の奥と頭が痛くなる」

 目を閉じると、目蓋の裏に次々と写真が浮かんできて頭痛がする。その仔細(しさい)を|見よう(・・・)とすると頭痛は酷くなる。

 だから、ファッションビルのように情報量の多い場所へ行くと頭痛がする、そのメカニズムを、私は「保存しすぎるから」と整理している。

 それは例えば、写真のデータをパソコンに保存することと同じ。撮影したデータそのままを保存しようとすると、サイズが大きくてハードディスクを圧迫してしまうし、処理にも時間がかかるから、パソコンは重くなる。重くならない程度に圧縮処理をすればいいのだけれど、それができない。同じように、大きいサイズのまま保存しても圧迫されないほどのハードディスクの要領はない。

 見た光景を写真でそのまま保存すると、脳はパンクする。だから普通は、その光景を、写真のようにではなく、自動で情報を取捨選択して最適化して保存する。私の脳はその最適化ができないから、パンクする。

 実際にどうなのかは知らない。医者にそう聞いたわけではない。人間の脳に関する研究成果論文を読んだわけでもない。私みたいに次々と光景を写真のように保存してしまう人がみんなそうなのかは知らない。もしかしたら、最適化をできないバグ持ちの脳は、代わりに圧倒的な容量を持っているものなのかもしれない、ただ私の脳にその機能が欠けてしまっただけで。

「それは、きっと私の|異常さ(おかしさ)を裏づけるものなんだと思う」
「……|異常さ(おかしさ)ありきみたいに言ってんの、俺の勘違いじゃねーよな?」

 こめかみを押さえながら、また苦笑いしてしまった。確かに、雲雀くんのいうとおり、数学ができるかどうかは仲良くなるために必要な要素かもしれない。

「……例えば、私には、いま雲雀くんが怒ってるのか、ただ(いぶか)しんでるだけなのか、それとも状況を楽しんでるのかさえ分からないよ」

 小学1年生のとき、椅子取りゲームで南塚健太くんをいわば指名したこと。小学4年生のとき、平野くんに「興味がない」「どうでもいい」と答えたこと。中学1年生のとき、虐められて仲間外れにされているとは察知せずに豊池咲良さんのノートを拾ったこと。

 空気が読めないという表現を知ったとき、なんだそれはと思った。空気を読むってなんだ。空気は吸うものだなんて言うつもりはなかったけれど、そう言いたくなるくらい、全く意味が分からない表現だった。

 だって、他人の感情なんて分かるはずがないのに、それを読み取って()み取って行動しろなんて、そんなの、ただのエスパーじゃないか。

 雲雀くんは眉間に皺を寄せていた。この文脈でそんな表情をする理由はひとつ、“よく意味が分からない”から。だから、雲雀くんの表情は「言ってることの意味がよく分からないという表情」と形容するのが論理的。