「昴夜がこんなに言ってるんだから呼んであげてもいいじゃん、なあ?」

 まさしく桜井くんのことを名前で呼ぶようになった九十三(つくみ)先輩は、数学組のところへやってきて桜井くんの肩を持つ。雲雀くんの目はその顔を(にら)んでいるので「真面目にやれ」とでも言いたいのだと思う。確かに勉強会中一番うるさいのは九十三先輩だ。

「……呼び方って、関係性が出るじゃないですか」
「よくない? 俺と英凜(えり)の仲じゃん?」
「なになに、それどういう仲?」

 観察していると、雲雀くんの視線が素早く動いた。きっと美人局(つつもたせ)の件を下手に口外されては困ると危惧(きぐ)したのだろう。そしてそこはやはり相棒の以心伝心なのか、桜井くんの口は開いたまま(しばら)く止まる。

「……手料理食う仲!」
「はあ!?」

 ただ、それはそれで(やぶ)(へび)だった。しかも九十三(つくみ)先輩が大きな声を出したせいでみんながみんな振り向く。

「お前胡桃ちゃんにも晩飯貰ってんだろ? でもって三国ちゃんの手料理ってなんだそれ!」
「いやだから俺と英凜はそういう仲で……」
「大学生のカップルじゃねーんだぞ!」
「九十三先輩、いまの桜井くんの言い方は語弊(ごへい)があります。桜井くんがたまたま助けたお年寄りが私の祖母だったのでうちに来たことがあり、祖母がお礼もそこそこに出かけてしまったのでお昼時ということもあって食事を作っただけで」
「分かりにくいわ! なんだいまの説明! ロボットかよ!」
「要約すると偶然による1回の出来事なので関係性を裏付ける事実にはなりません」
「なんっも分からん! やっぱ俺インテリちゃんキライ! でも雲雀くんより三国ちゃんが好き、英語教えて」
「いいですけど、この間の小テストはどうだったんですか?」
「やだ厳しい」

 これ以上桜井くんとの関係を話していると美人局の件で口を滑らせてしまうかもしれないし、さっさと英語組に移動しよう……。他の先輩達にあれやこれやと絡まれている桜井くんを取り残してそっと雲雀くんの隣に座る。雲雀くんは椅子の上に胡坐(あぐら)をかき、辞書を載せていた。見た目は誰よりもヤンキーなのに、その姿勢は誰よりも優等生だ。ちょっと恰好は不真面目だけれど。

「いま何してたの? 文法?」
「と、単語。先輩らマジで欠片(かけら)も単語分かんねーから」
「先輩に生意気(ナマ)言ってんじゃねーよコイツ!」
「小テストで7点以上取ってから言ってくれます?」
「てか単語ってどうやって覚えるの?」

 九十三先輩は私の隣に座り、机の上の単語帳をぱらぱらと(めく)る。

「こんなんただの記号じゃん?」
「よく言うのは書くとか声に出すとかではないでしょうか」
「あー、デシデって?」

 謎の呪文が聞こえた。一体何だと思って九十三先輩の手元を(のぞ)きこめば、単語帳には"decide"と書かれている。デシデ……読めなくはない。

「……そういう覚え方をすると発音が分からなくなりません?」
「あー、そう、だから読めない。音読とか最悪の授業だね。三国ちゃんはどうやって覚えてんの」

 “よく言う”というのは必ずしも自分でも取り入れている方法とは限らない。九十三先輩は意外と耳聡(みみざと)いらしい。

「……どうって言われても」
「あー、それあたしも知りたい!」