振り向いた桜井くんに返事はせず、蛍さんはブツブツと呟いた。隣の雲雀くんが「だから言ったでしょ、アイツ中身小学生以下だし」とさきほどよりも桜井くんの精神年齢を下げている。

 そんな私達はともかく、群青の先輩たちはいつの間にかわらわらと桜井くんの横に集まっていて「えーいいじゃん胡桃ちゃん中で待ちなよー」「え、いいんですか?」「いんじゃない? 可愛ければなんでも」「ねー、永人、いーよねー?」なんて許可を取り始めた。桜井くんはさっきまで真横で蛍さんに反対されていたせいか、まるで子犬のような目でこちらを振り返っていて「俺悪くないよね?」とでも聞こえてきそうだ。蛍さんのこめかみにはやっぱり青筋が浮かんでいるのでやっぱりこの人は群青の世話でハゲるんじゃ、以下略。

「どうするんですか、永人さん。あれもう牧落ちゃん入れないとデモとか起こりますよ」
「……入れてやれ」

 はあー、と蛍さんは深い溜息をつき、能勢さんが「牧落ちゃん、入っていいよー」と|飄々(ひょうひょう)としたいつもの笑顔で許可を出し、先輩達は欲望を包み隠すことなく雄叫(おたけ)びを上げ、雲雀くんは蛍さんと同じような溜息をついた。

「……蛍さんが牧落を上手く追い払えたら一生忠誠誓えたのに」
()しいことしたな、俺」
「……雲雀くん、それ喋るのが嫌いとかいうレベルじゃなくない」
「アイツが俺の顔に薬品塗りたくったのを許してない」

 完全な八つ当たりで逆に安心した。能勢さんはニヤニヤ笑っているし、何も知らない九十三(つくみ)先輩に「え、なに、怪しい薬でもぶっかけられたの? 意外と怖いね、胡桃ちゃん」と風評被害が生まれた。

 それはさておき、牧落さんは「ありがとうございます!」と顔を輝かせ、あろうことかそのままよいしょと窓から入って来ようとする。先輩達が「え、胡桃ちゃん危なくない?」「手貸そうか?」「お前気持ち悪いんだよ」と騒ぎ立てながら手を伸ばす中――桜井くんが窓から身を乗り出した。

 よっと、なんて小さく(こぼ)しながら、まるで猫でも迎え入れるように、そのまま桜井くんは牧落さんをうまい具合に抱えて教室内に入れた。先輩達が「……役得だな」「いや俺らがやったらキモイだけ、幼馴染の特権」とぼやいている。

 ただ当の本人達は気付いているのかいないのか「つか胡桃ローファーじゃん。窓から入った意味なくない?」「あ、大丈夫、横向きに置いとくし」と下足(げそく)の心配しかしていない。

「ていうか重くない? おろしていいけど」
「ああ大丈夫、英凜と変わんない」

 ……女子に「重くないか」と聞かれたら「重くない」以外答えてはいけない。そのくらい高校生になれば私にでも分かる。牧落さんは降ろされた窓枠に座りながらにっこりと笑みを浮かべ、パンッと桜井くんの頭を叩いた。

「な、なぜ……」

 桜井くんの顔は見えないけれど、茫然としているのは声で伝わってくる。

「今言うのは『大丈夫』だけでよかったの。学んで」
「でも英凜より胡桃のほうが背高いじゃん? んで変わんないんだから胡桃のほうが軽いってことじゃん、よくない?」

 パンッと再び桜井くんの頭は叩かれた。

「よくない。ていうか今のも言っちゃだめ」
「でも英凜は気にしないと思う」
「そういう問題じゃないの。ていうか三国さんのこと英凜呼びなの? あたしも英凜って呼ぼっと。英凜も胡桃でいいからねー」