スプリング・バック




 人事部長が呼んでる、なんて言伝《ことづて》に戦慄が走った。

「……まさか左遷じゃないよね。……まさかね」

 現実的に一番考えられるのは本社戻りのはずだ。地方経験を積むという名目のもと、地方に飛ばされることは決まってる、それならいっそのこと行きたい地方に希望を出して存分に楽しんでしまおう。そんなノリで北国へやってくることはや二年、そろそろ東京本社に戻れると期待しても的外れではない……はずだ。

 はずだ、けれど……。脳裏に、一瞬彼の顔が過った。でも住んでいる場所も勤めている会社も違う彼のことが、人事部長の耳に入る可能性はない……、はずだ。勝手知ったるビルの中をずんずん歩きながら、緊張で拳を握りしめた。

「失礼します」

 馳《は》せ参じると「あぁ、お疲れ様」としわがれた声に短く迎えられた。いかにも昔からやりての営業マンでしたと言わんばかりの風格は今日も健在で、それでもって手八丁口八丁で顧客を獲得し続けた腹の内は全く読めない。お陰で、顔ではなんでもないように仕事用の鉄仮面を被ってはいたけれど、内心では冷や汗が止まらなかった。

「忙しいところ悪かったね」
「いえ……」
「時期も時期だし、分かってると思うが、異動だ」

 毎年この時期になると全国各社で人と人が行き交うことが決められる。人事部長にとっては頭が痛くなるほど多忙なタイミングで、だからこそさっさと言い渡して受諾させて終わらせたいのだろう。もったいぶりもせず、ただ、ぽん、と辞令を差し出した。

「ロンドン支社。行きたがっていただろう、ずっと。四月から、どうだ」