七月十七日の事故は、ラビの予測通り現実のものとなった。

 午後七時二十九分。JR神戸駅付近の歩道に、トラックが突っ込んだ。しかし奇跡的に歩行者はおらず、トラックに乗っていた二人が軽傷を負った以外に怪我人はいなかった。

 私たち四人は無事に事故を回避し、その日を生き延びることができた。

 そして七月の下旬。
 待ちに待った夏休みが、ついにやってくる。



「青い空に白い砂浜! そして麗しの美女が二人! いやー、男どもは贅沢だねぇ」

 常夏カラーのフリル付きビキニに身を包んだハルカちゃんは、そう言って太陽に手を伸ばす。
 その隣で、彼女と色違いの白のビキニを纏った私は、慣れない格好にそわそわと落ち着かなかった。

「うんうん。眼福、眼福。やっぱ夏は海だよなー、遠野!」

 サーフパンツを穿いた向田くんは、同じくサーフパンツ姿の遠野くんに絡みながらニヤニヤと上機嫌に笑う。

 夏休みが始まってすぐ、私たちが訪れたのは須磨(すま)海水浴場だった。
 ここは神戸が誇る阪神間最大のビーチで、東西に伸びる砂浜は一八〇〇メートルもある。

 朝一から遊泳とスイカ割りを楽しんだ私たちは、いまは海の家で休憩しながらスイカを味わっていた。

「そういや真央ちゃん。ハルカから聞いたけど、今度美術部に入るんだって?」

 スイカの種を口元に付けたままの向田くんに聞かれて、私は頷く。
 まだ正式には申請していないけれど、私はそのつもりだった。今さら絵の練習を始めても遅すぎるかなとも思ったけれど、遠野くんのすすめもあって、ちょっとだけ前向きに考えている。

「いいよなー、美術部。面白そう。陸上部もまあまあ楽しいけど、夏はあっついからな。休憩時間が一番楽しいわ」

 半ばうんざりするように向田くんが言って、ハルカちゃんが笑う。それから思い出したように、彼女はパッと顔を輝かせて言った。

「そういえばさ、今夜は近くで花火が上がるんだって。地元のお祭りらしいんだけど、帰りはそれも観に行こうよ!」

 夏のシーズンはお祭りが多い。街のあちこちでも、小規模な花火が上がることがある。

「おお、いいなそれ。でも真央ちゃんは時間大丈夫か? 門限って何時だっけ」
 
 そんな向田くんの疑問に、ハルカちゃんはハッとした顔をする。
 私の門限。以前は八時だったので、花火を観て帰るとなると帰宅が遅くなるけれど、

「大丈夫だよ。お母さんには門限を遅くしてもらえるように交渉したから。今日は特に縛りはないし、普段も夜九時までは許してもらえるようになったの」

「えっ、やるじゃん真央!」

 お母さんを説得するのは大変だったけれど、こちらが真剣に話をすれば、案外こちらの要望も聞いてもらえることがわかった。
 とはいえ、その説得のコツはお兄ちゃんからこっそり教えてもらったのは内緒だけれど。

 やがて全員がスイカを食べ終えた頃。向田くんは外に見える入道雲を見上げながら、ぽつりと呟いた。

「……結局さ、あれって本当に宇宙人の仕業だったのかな」

 彼の言う『あれ』というのが何を指すのか、私たちは口にせずともわかっていた。

「事故に巻き込まれずに済んだのは良かったけど、なんかオレたち、あいつらに振り回されただけだったよな。あの後からは、不思議なことなんて何も起こらないし……」

「振り回されただけなんかじゃないよ」

 私がそう反論すると、向田くんは意外そうな顔でこちらを見る。
 その顔を真っ直ぐ見つめ返しながら、私はこの数日間で確信した答えを口にする。

「私たちは、生きたいと願った。四人で一緒にこれからも生きていきたいって、そう望んだの。そのために、自分たちにできる精一杯のことをした。だから私たちは、自分たちの意思で、この未来を掴み取ったんだよ」

 言い終えた後、その場に沈黙が落ちる。

「……あれ。私、何かヘンなこと言った?」

 なんとなく気恥ずかしくなって尋ねてみると、ハルカちゃんは静かに首を横に振って微笑む。

「ううん。なんか、最近変わったよね、真央」

「ああ。なんていうか、良い意味で別人みたいになった気がする」

 ハルカちゃんも、向田くんも、そして遠野くんも笑っている。
 そんな三人の顔を見て、私も笑う。
 こんな日常が、これからもずっと続けばいいなと思う。

 明日、この世界がどうなっているかはわからない。
 もしかしたらまた、あの事故のような怖い未来が待っているかもしれない。

 でも、だからこそ、いつだって後悔しないように、私は自分自身の心を見失いたくないと思う。

 在りたい自分で在るために、これからもずっと、私は素直な自分でいられるように生きるんだ。

(……そういえば)

 ふと、最近はあのアプリを開いていないことに気づく。ウサギのキャラクターがこちらの悩みを聞いてくれる、AIが搭載されたアシスタントアプリ。

 私はスマホを開いて、ホーム画面を表示した。いくつもアプリが並んでいる中に、見慣れたあのウサギのアイコンがある。

 ラビには、今までたくさんお世話になってきた。私が一人で悩んでいるとき、いつも相談に乗ってくれるのはこのAIのキャラクターだった。

 でも、

(いまの私にはもう……必要ないよね)

 私はそのアイコンを長押しして、現れた『×』のボタンをタップした。
 直後、ウサギのアプリは一瞬にして、その画面から消える。

「さーて! もうひと泳ぎしますか!」

 ハルカちゃんはそう言うと、勢いよく立ち上がって砂浜へ駆けていく。

「あっ、待てよハルカ。一人で行くとナンパされるぞ! なんたってオレの彼女は可愛いからなぁ!」

 向田くんも同じように外へ飛び出して、その場には私と遠野くんだけが残される。
 そして、

「真央」

 名前を呼ばれて、私は顔を上げる。

「俺たちも行くか」

 こちらを見つめる、彼の真っ直ぐな瞳。
 彼の視線が、声が、私の心を震わせる。

「うん。行こう、彼方くん!」

 青空の下で、彼と手を繋ぐ。
 入道雲はどこまでも高く立ち上る。

 未来は、どこまでも続いている。

 私たちの夏は、まだ始まったばかりだった。








(終)



 最後までお読みいただきありがとうございました。

 当作品はアルファポリス第8回ライト文芸大賞に参加し、【青春賞】を受賞しました。
 開催期間中も応援してくださった読者の皆様、ならびに選考してくださった関係者の皆様に重ねてお礼を申し上げます。