真夏の観測者たち

 
 いくらでも待ってやる、なんて。
 そんな風に言われたのは初めてだった。

 だってほとんどの人は、無駄なことに時間なんて割きたくないはずだ。口下手な私の話に付き合う時間は、無駄の方が多いはず。だから私はできるだけ、普段は聞き役に徹しているのに。

「別に焦らなくていいし、文法がめちゃくちゃでもいいからさ。いま一ノ瀬が思ってること、全部吐き出してみろよ」

 話し方が下手でも、彼は気にしなくていいと言ってくれている。
 本当に、いいのだろうか。
 私の話がどれだけ拙くても、つまらなくても、彼は最後まで私の言葉を聞いてくれるのだろうか。

「その、私……」

 私が口を開くと、彼は相変わらず真剣な顔で、こちらの声に耳を澄ませてくれる。
 だから私は、思いきって、少しずつ心の内を言葉にしてみた。

 人と会話をするのが苦手で、自分の気持ちをどう話せばいいのかわからないこと。
 無理に話そうとすると、相手に迷惑をかけている気がして怖くなってしまうこと。
 親からもよく話し方を注意されること。
 他の人からも実際に嫌な顔をされたことがあること。

 それから、遠野くんがこうして私の話を聞いてくれるのが、すごく不思議だと思っていること。

「遠野くんは、どうして……そんなに優しくしてくれるの?」

 私が改めてそう尋ねた頃には、空には一番星が浮かんでいた。
 潮の香りを含んだ風が、遠野くんの短い髪を揺らす。

「別に優しくしてるつもりなんてないけど……。ただ、一ノ瀬みたいな奴を見てると、放っておけなくなるんだよ。せっかく色々考えてるくせに、ぜんぶ自分の中だけで完結させようとする奴。……俺の弟も、そんな感じだったから」

 弟さん。
 そうか、遠野くんはお兄ちゃんなんだ。
 だからこんなにしっかりしてて、周りが見えるのかもしれない。

「ねえ、真央。そろそろ家に帰らなくても大丈夫?」

 と、今度は私の手元から幼い声が上がった。
 ずっと握りしめていたスマホ。その画面の向こうから、ラビが私を心配している。そういえばアプリを開きっぱなしだった。

「十九時三十八分の電車に乗らないと、門限に間に合わないよ」

 言われて、私はすかさず時刻を確認する。あと十五分ぐらいしかない。急いで駅まで戻らないと電車に乗り遅れてしまう。

「門限か。そりゃ大変だ。気をつけて帰れよ」

 遠野くんはそう言って、わずかに頬を緩めた。
 高校生にもなって門限で焦るなんて、と笑われたのかもしれない。遠野くんみたいにしっかりしている人なら、門限なんかなくても親に心配されたりしないんだろうなと思う。

 けれど、彼の私を見る目はどこか優しさが含まれているような気がした。もしかしたら弟さんのことも、こんな風に見守っているのかもしれない。

 どちらにせよ、彼の穏やかな表情を初めて見ることができて、私は嬉しかった。
 できればもう少しだけ話したかったな、なんて。今までの私では考えられなかったような気持ちが胸の奥から湧き上がってくる。

 彼と二人で過ごした時間。
 こんなにもたくさん私の話を聞いてもらって、すごく特別な時間だった。
 叶うなら明日の学校でもまた、彼と話せたらいいなと思ってしまう。

「じゃあな、一ノ瀬」

「うん。ありがとう、遠野くん」

 まるで夢のような、夏の日の夜。
 お互いに手を振り合って、私たちは別れた。