真夏の観測者たち

 
          ◯


 午後六時。
 いつもならまだ明るい時間帯だけれど、先ほどから降り始めた雨のせいで空はどんよりと暗かった。

 オフィスビルの中にあったロビーチェアで待っていると、お兄ちゃんは時間通りにそこへ現れた。
 スーツ姿のお兄ちゃんは、家で見るよりもさらに大人っぽかった。背丈も遠野くんほどではないけれど高めなので、すらりとしたシルエットがいかにも有能そうな雰囲気を醸し出している。

「お待たせ。……あれ。母さんは?」

 私と顔を合わせるなり、お兄ちゃんは開口一番にそう言った。

「今日は私だけだよ。お兄ちゃんと二人だけで話したかったから」

「一人で来たのか? 珍しいな」

 きっと、私が一人で遠出してくるなんて考えもしなかったのだろう。お兄ちゃんの中ではいつだって、私は一人では何もできない幼い妹なのだ。

「もしかして家出でもしたくなったのか? 真央ももう高校生だし、そういう年頃だよな」

 言いながら、お兄ちゃんはちょっとだけ悪い顔で笑う。大人っぽさの中に、少年時代のあどけなさが混じったような、愛嬌のある笑み。

 あれ。お兄ちゃんって、こんな風に笑う人だっけ?
 昔はもっと気難しいイメージがあったのに。
 あるいは私の見え方が変わったのかな。

「家出じゃないよ。ただ、お兄ちゃんに相談したいことがあったの」

「相談ね。わざわざ会いにきたってことは、それだけ深刻な話ってことか」

「その……うまく話せるかわからないし、信じてもらえないかもしれないけど」

 私はそう前置きしてから、一気に本題へ入る。

「明日、もし自分が死ぬ可能性があるとしたら……お兄ちゃんならどうする?」

 死ぬ、という物騒な言葉に反応したのか、お兄ちゃんの表情が変わった。口元から笑みが消え、私の頭の中を覗き込むかのように、真剣な顔でじっと見つめてくる。

「……とりあえず、場所を変えないか? 俺の家でよければそっちで話そう」

 言い終えるが早いか、お兄ちゃんは(きびす)を返してビルの外を目指す。

(……あ。もしかしてこれ、私が自殺でも考えてると思われてる?)

 さっきの私の言い方だと、そう捉えられてしまったかもしれない。
 まずいかな、とは思ったものの、お兄ちゃんが真剣にこちらの話を聞いてくれるのはありがたい。

 後で訂正すればいいか、と楽観的に考えながら、私はお兄ちゃんの後を追った。


          ◯


「……なるほどな。タイムリープにパラレルワールドか。確かに、そう簡単には信じられない話だな」

 お兄ちゃんの住むマンションの一室で、私たちは座卓を挟んで向かい合わせに座っていた。
 オフィスから地下鉄で二駅の距離にある社宅。1LDKの内装は、いかにも独身男性が住んでいそうなすっきりとしたものだった。

「信じてもらえなくても仕方ないと思ってる。だから、ただ意見を聞かせてくれるだけでいいの。もしもお兄ちゃんがそういう状況に陥ったときは、どうするのか。そういうゲームに参加したとでも思ってくれればいいから」

 この不可思議な現象を信じてほしいとは言わない。むしろ、信じてもらえなくてもいいと私は思っている。
 いまの私の目的は、お兄ちゃんの知恵を借りることであって、けっして自分の置かれている状況に共感してほしいというわけではないのだから。

 自分がいまどうしたいのか。どうするべきなのか。その目的を見失わない限り、私は毅然としていられる。

 お兄ちゃんはコップに入ったお茶で喉を潤すと、どこか改まったように口を開いた。

「その話。確かに荒唐無稽(こうとうむけい)にも思えるけど、俺は信じてもいいぞ」

「え?」