うちは毎年お正月になると、祖父母の家に親戚が集まる。私とお兄ちゃんとその両親も、もちろんそれに参加する。

 みんなで居間の座卓を囲むとき、会話の中心にいるのはいつもお兄ちゃんだった。私と違って頭の回転が速いお兄ちゃんは、その一つ一つの言動で周りの興味を引くことができる。

 ——本当にしっかりしてるわねぇ、太陽(たいよう)くん。去年まで小学生だったとは思えないくらい。

 ——真央ちゃんは人見知り? まだ幼稚園だもんね。

 ——頼りになるお兄ちゃんがいて良かったわねぇ。

 お兄ちゃんが中学一年生のとき、私は幼稚園の年長だった。七歳差の兄妹で、優しいお兄ちゃんが妹の面倒を見ている、というのが周りから見える全てだった。

 私は、お兄ちゃんのお荷物。お兄ちゃんの後ろにくっついているだけで、一人では何もできない。親戚も、両親も、それを前提にして話すのがいつもの風景だった。

 私はその空気感が嫌だった。みんなが見ているのはお兄ちゃんだけで、私はその場に居ても居なくても同じ。そう思うと、こうしてみんなで集まっているときよりも一人で遊んでいるときの方が楽だった。

 だから話の途中で、私はいつも別の部屋へ向かった。居間よりも暗くて狭いその部屋の隅には、大きめのケージに入れられたウサギがいる。

 祖父母が知り合いから譲り受けた、全身が真っ白なウサギだった。格子の向こうで、静かに鼻をひくひくとさせている姿が可愛らしい。

 ——うさちゃん、こんにちは。

 挨拶をしたところで返事はないけれど、私はそれが心地良かった。何も喋ってはくれなくても、けっして私を否定することはない。

 その子を見ながら、私はいつも絵を描いていた。祖父母がくれたお絵描き帳に、色鉛筆でウサギのキャラクターをたくさん描いていく。

 ——あら真央ちゃん。絵、上手なのねぇ。

 たまに様子を見にくる親戚たちは、私の絵だけは褒めてくれた。
 といっても、所詮は幼い子どもが描いた絵。技術も何もない、ただ感性だけで描いた絵だった。ちゃんと絵の勉強をしている人には到底かなわない、拙いもの。

 それでも、褒められるのはやっぱり嫌じゃなかった。
 絵画教室に通わせてみたら? という親戚の声もあって、翌年、小学校に上がったときには実際に通わせてもらえることになった。

 あれがもしかしたら、私の人生のピークだったのかもしれない。
 大好きな絵をたくさん描いて褒められる。それ以上に嬉しいことは何もなかった。

 だから私は、きっと浮かれていたのだと思う。

 あのとき、お兄ちゃんがどんな目で私を見ていたのか、そのときの私は考えもしなかったのだ。